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人類よ。永遠の思春期を過ごす覚悟はあるか?

私の考えるメタバース時代の人類の新たな生き方のイメージは、人生が全て「永遠の思春期」になるということです。

ドキドキしたり、ワクワクしたり、楽しいことばかりとは限りません。お互いの心の距離がこれまでよりもぐっと近づく分、傷つけあうことも増えると思います。それが肉体というバリアを脱ぎ捨てた、抜き身の魂たちのコミュニケーション。新たな社会のかたち。

私達の魂は果たしてそれに耐えられるか? 今問われているのは、そういうことじゃないかと思っています。

メタバースは永遠の青春!?


物理現実の社会秩序の限界

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物理現実社会では、未成熟で教わる側の「子供」と、成熟して教える側の「大人」の不変の関係性がありました。肉体というアバターは年齢を外部に伝え、その役割を固定化する装置でもあったのです。それは、社会に秩序をもたらす為に人類が進化の果てに獲得した形質でした。

しかし、ITの登場とイノベーションの加速が全てを変えてしまいました。もはや永遠に学び続けるしかないこの社会において、この有史以来の人類社会の基本構造がいよいよ限界に達し、崩壊しつつあると感じています。それを補完するのがメタバースだ、という考え方はどうでしょうか。

アバターがもたらす「フラット」な社会

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いまメタバースで可愛らしい美少女アバターが好まれてるのは、オタクが多いからとかそういう表面的な話ではなく、この社会構造の変化に対する人類という生命の種として反応だと私は考えています。

メタバースではアバターを介することにより、物理肉体の年齢に囚われないフラットなコミュニケーションが行われます。美少女どうしで仲良くなって普段仲良くいちゃいちゃしている相手が、なにかの拍子で自分よりふた周りくらい年上だったことがわかったびっくり! あるいは落ち着いていて、自分より年上だと思っていた人が、逆にふた周りくらい年下だったことがわかってびっくり! なんてことも日常茶飯事です。

kawaiiとはお互いの未熟さを愛しいと思う概念です。私はこれこそが来る」「誰も大人になれない社会」における、新社会秩序の基本概念となっていくと考えています。

揺れ動く自分を受け入れる覚悟

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でも、永遠に大人になれないってことは、たぶん、もの凄く、とてつもなく辛いと思います。

それは、傷つけあったり、ドキドキしたり、ワクワクしたりする、不安定な心と一生付き合っていくということだからです。常に変化し、揺れ動く自分を受け入れる覚悟が問われます。

「自分が恋をするなんて思わなかった」

メタバースの世界で、現実では縁遠いと思っていた恋に直面して悩んでいるひとをよく見かけます。年齢も性別も肩書も不確かになって、魂達が触れ合う世界で、愛しく思う人を見つけた人たち。素敵なことだと思いますが、多くの場合、それは次の瞬間人間関係の悩みに変わります。バ美肉3名の三角関係などもよく見かける日常になりつつあります。

人類よ。永遠の思春期を過ごす覚悟はあるか?

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かつて人類は生存戦略として、有史以来「不変」を追い求めてきたと思います。成長して、成熟した、大人になること。次世代に知を伝える存在となること。

人類を永遠の「変化」に適応した存在に書き換えるのがkawaiiという新たな生存戦略。不完全な生き物であることを受け入れ、不完全なまま、寄り添い、生きること。

人類よ。永遠の思春期を過ごす覚悟はあるか?


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