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外れ値の主張



ふと考える事がある。


私の主張は、外れ値の主張なのではないか、と


話を聞いて貰った時に
変わった考え方だね
そんな事考えたこともなかった
と、よく言って頂くからだ


自分から生まれた主張に対して
変わった考え方だね
そんな事考えた事もなかった、と
言って貰えることは
奇抜なアイディアを
創造出来たようで
熱くなる
それと同時に
その主張は
肯定されることも
否定される事もなく
自分の中にそっと留めておく
ことになるから
行き場が何処にもないようで
孤独なのである


人間には必ず個体差があって
全く同じ見た目や
感情や
考えを
持った人間は絶対に居ない

けれども
千差満別に思える人間の感情や思考も
統計的に傾向を掴む事で
数値化して可視化する事はできる

可視化すると
孤独な主張って
いわゆる
外れ値にあたるのでは?
と思うのだ




抽象的な頭の中



果てしなく続く
終わりなき概念が好きで
その中でも特に
数と宇宙は
私に新しい世界を
沢山沢山
見せてくれる
特別な存在である




人間の頭の中も
思考を深く深く
掘り進める事ができるが故

宇宙と同じ
終わりなき無限の世界が
広がっている

時々
終わりのない
思考の宇宙に
飲み込まれて
溺れてしまいそうになる時がある

答えも
救いも
終着点も
無いのに
一体、私は
何と戦っているのだろうか、と





この果てしなく広がる
宇宙の中の
銀河系の
地球という星の
小さな島国で
意思を示す私

宇宙からみたら
私なんて
限りなく0に近い
「無」に等しい存在で
私が何か意思を
示したところで
そんなものに
なんの意味があるのだろうか
と途方に暮れる時がある

その言葉を紡ぐために
自分の中に積み上げてきた
思考の過程さえも
無意味に思えてくるのである


そもそも
生きること自体
大した意味なんてないのだから
どんな生き方を選ぼうと
何を言おうと
考えようと
自分の生きたい通りに
気楽に生きればいいのだ

そう思う自分がいる

無意味である事が
時には良い方向に
働く事もある

こう思う自分もいる

でも
自分の生きた証は何も無い、無意味だ
と突きつけられると
それはそれで
では
この世の全ては何のためにあるのか
と思ってしまうのである

生きる意味に
答えがないからこそ
絶望してしまうのだ




祖母の命日



祖母の命日にお墓参りに行った時


ふとこんな事を考えた

私が死んだら
命日のその日にお墓参りに来て
死を悼んでくれる人はいるのたろうか、と

私の存在を
知っている人が
この世から居なくなったら?

その時代を生きる人々は
私が生きていた事なんて
知る由もないのだろう

そう考えると
私が生きる数十年など
本当にちっぽけな生命活動なのだ、と思う


同時に
ちっぽけだからこそ
自分の使命を全うする事で
生きた証を残したい、とも思うのだ

どんな小さな事でもいい
世の中を変革するきっかけになるような
そんな、生きた証を残したい
無意味な生命活動では、終わりたくないんだ、と

果てしなく続く
無限の概念に飲まれそうになる度
そう、強く思う




広大な宇宙の
限りなく無に等しい「塵」なりの
野望を抱いてみた


塵のくせに一丁前にね











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