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フェミニズムと不妊治療と。

6年ほど不妊治療をしていた。ごく正確に言えばまだ私と彼の分身のたまごは遠くの病院の冷凍室で私が迎えに来てくれるのを待っているわけだが、自分の中ではもう、あの治療の日々のことは過去形になりつつある。

というか、離れたい。あの世界から。見たくなかったあの世界から。

不妊治療というのはご存知の方もいるかもしれないが、ものすごくお金がかかる。保険が適用されないので国の目が光らない自由診療のため、あちこちの病院が「うちがいちばん!」と主張しお互いをディスりあうカオス状態、実際問題どこがいいわけ?何したらいいわけ?というのがまるで分らない。仕方がないので患者たちはオンラインで団結し、顔も名前も知らない者同士が連帯して情報交換しあい、苦しい闘いに臨んでいる。

さて私は、たぶん相当恵まれた人間だ。
それを治療のためにオンラインでたくさんの人たちの呟きを目にしたことで知った。

自分が恵まれているということを人と比較して実感するというのはなんとも聞く人からは気分の悪いものだろうと思うが、書かないと本題に進まないので書く。私は、恵まれている。何が?それは、私がフェミニストだと知らずにフェミニストだった、という点だ。

多くの男性とそして少なからぬ女性は否定するが、日本はジェンダー不平等の国である。『82年生まれ、キム・ジヨン』映画も評判がすこぶるよいので見に行こうと思っているが、原作が300万部売れたという韓国と我が国の状況はそれこそ本当に双子のように似通っていると感じる。84年生まれの私も、確かに就職活動時には圧倒的男性優位を感じたし、女じゃダメだと顧客に担当替えを求められたこともある。酒席でのお酌や多少のセクハラは日常的に体験してきた。でもそれは私にとってはたいしたことではなかった。そういうもんだ、で流せる程度の表面的なものだったから。(私にとっては)

私は40年前には珍しく苗字変更をした父と三人姉妹の長女である母の間にうまれた。祖父が長患いをしており、その分まで背負ってそれはもう猛烈に働く祖母が取り仕切る女だらけの家に父はひとりでやってきた。父は決して母の尻にしかれるようなおとなしいタイプの人間ではない。ただ彼らの当時置かれた状況を鑑みると父が婿養子に入るのは誰が見ても確かに合理的であったし、彼自身も男のプライドだなんだというようなことは横に置いて実をとれる人だった。だからだと思う。誰も「女だから」なんて一度も言ったことがない家だった。女だから何かをあきらめたことも、女だから何かを強要されたこともない。実際ともだちだって男女ともにたくさんいたし、男性と女性には何の区別もなかった。勉強だってなんだって、体力勝負以外なら女であることは何のハンデにならないと当たり前に思っていた。

それが、女であることがこんなに不利でこんなに重荷を背負わされているものだなんて、不妊治療という沼に足を踏み入れた瞬間あまりにも鮮明に見えてきて眩暈がする。自然にこどもを持てないことですでに自分の中の「女性」のポンコツさが露呈されているようで苦しいのに。もう嫌だ、女になんて生まれたくなかった。そんな風に思いたくなんかなかった。

苦しみはまるで、往年の芸能人の結婚式のウェディングケーキのように幾重にも重なって私たちを押しつぶそうとしてくる。

もちろん治療そのもののフィジカルの痛みは第一だ。

すげー痛い。

麻酔無しで玉袋に針を刺されることを想像してほしい。耐えられるか君らに。

まぁ100歩譲って麻酔をしたとしよう(もちろん麻酔は玉袋に注射)

麻酔してるんだからいいよねということで、奥まで刺した長い針で玉袋の中をかき回される。

悶絶。

これを不妊治療をしている女性たちは、多いひとだと毎月繰り返している。

専門病院はどこからこんなに、というほどの人でいつも溢れんばかり。2時間3時間待ちは当たり前、皆仕事や様々なことに都合をつけて藁にもすがる思いで通院をしている。職場や身近な人に治療をしていることを打ち明けられる人は多くない。治療経験者の2割が、仕事との両立ができずに退職をするのだそうだ。辞めたところで代わりにこどもが授かる保証などないのに。

痛い思いをして、キャリアも失って、湯水のようにお金が流れて

それほどの努力をしても、子どもを生めなかった女性への風当たりは強いし、医学的には原因の半分は男性由来なのにも関わらず、いまだ人々の意識は「不妊は女のせい」という枠から脱せていない。某国元大統領夫人などは「不妊は堕胎が理由」などとおっしゃられたとか。そんな因果関係は医学的に否定されているし、なによりも生まないと判断をするのは女性の基本的な権利だ。他人がどうこういうことではない。

私にとってはこどもができないことのショックよりも、この圧倒的負荷を当たり前に女性だけが背負っている現状のほうがずっと堪えた。女性だからという理由で何かを強要されたり諦めたりしたことなんて、私はこれまでなかったのに。

幸い恵まれた私は、親からも夫からも「こどもを生んで初めて女は一人前だ」みたいな時代錯誤のプレッシャーは受けないので、幾重にも重なる痛みのウェディングケーキに潰されることはなく今立っているけれど。

不妊治療当事者になったことをきっかけに、その理不尽さに疑問を持っていろいろ見始めるとこの国の女性が置かれている状況の前時代感に、あまりの不平等感に、とてもとてもがっかりしてしまった。がっかりしぬいて気づいた。自分がフェミニストであることに。

なぜ女性だけが苦しまねばならないのか。

その時彼女らのパートナーは何をしているのか。

患者を明らかに見下す医師がなぜこんなに多いのか。

なぜ医師は治療詳細を説明してくれないのか。

日本産婦人科学会はなぜ女性の苦しみを解決課題に据えてくれないのか。

女だから。女だからなんでしょう? 


そう思い始めたら腹が立って腹が立って吐きそうになって、もう私は不妊治療のふの字も見たくない。こどもを欲していた事実とは矛盾するけれど、この国では出産も育児もしたくない。

知ってしまった以上もちろんなかったことにはできないけれど。

ただ今は、女である呪縛から解放されていた私にまた戻りたいのだ。