沖縄

自由になりたい

「自由になりたい」

ため息を吐くように、ふとした瞬間に。

無意識のまま、自分の口から出てくる言葉。
だけど、特に、自分の中で定義があるわけでもない。

きっと「なにかいいことないかなー」って
呟くのと同じような感じ。
求めているけど、求めていないような。

望んでいるのかいないのか。
そんなこともわからないくらい、ただふんわりと、
自由になりたい。ずっと、そう思って生きてきた。

この「自由」を探すことこそが、
私のこれまでの人生のテーマだった気がして、
noteの最初の題材にしてみる。

私が求めているのは、きっと物理的な自由ではない。

だって、極端に生活に困っていたわけでもないし、
学校生活でひどいイジメにあっていたわけでもない。

恵まれた環境で。世間で言われる普通の。
本当に普通の生活を過ごして、普通の人間として生きてきた。

なのに、幸せな毎日のはずなのに、ただただ感じる生きづらさ。
何にも縛られていないはずなのに、
締め付けられるような窮屈さからずっと解放されたかった。

自分自身を苦しめている原因がなんなのかわからず、
こんなに恵まれた平和な生活をしているのに、
私は何を求めているのだろう。
もしかしたら、
一生得られない何かを求めているのではないかと不安になった。

社会人になって、実家を出た。
誰も知っている人がいない街に移って。
少し自由になった気がした。

だけど、組織に属し、
知り合いが増えていくと、また自由を失っていく気がした。

他者と自分の関係性。
それが、私を縛っているもの?

会社での生活に慣れてきて、
会社で評価してもらえるたびに、自由を手に入れた気がした。

認めてもらえると、自由を感じられる。
自由に生きられる居場所を見つけた気がした。

ゆとり世代と呼ばれた私たちは、
自己肯定感の低い世代とも言われている。

自分で自分を認める術がないから、
私たちは誰かに認められることを求めるのか。

満たされない隙間を埋めてくれるのは、
誰かからの承認だと気付いた。

マズローの欲求5段階説でも、
「自己実現の欲求」の前に「承認欲求」がある。

承認欲求が満たされないと次に進めないのかもしれない。

時々思う。みんなどうやって、
承認欲求を満たして生きているのかと。
誰か教えて欲しい。それとも諦めているの?

私にとっての、自由は、
他者からの承認を必要としない状態なのだろう。

誰かからの評価を気にしたり、
誰かから必要とされている状態であり続けなくても、
自分で自分を認めてあげられる状態。


どんな自分でも、赦してあげられる。


承認欲求からの解放。
そんなとき、私は自由になるのかな。


ありがとうございます。感謝いたします。