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セカンドキャリアを考えた競技生活 柴田純一監督の信念

こんばんは。

殆どのプロスポーツの競技人生は約10年前後。
プロ引退後のセカンドキャリアは様々。

スポーツ、マスコミ業界に行く人もいれば、
知人からの紹介や、自分で1から切り開いて、新たな世界に挑戦する人もいます。

そんな中でも、埼玉医科大学グループの男子陸上部の柴田純一監督は、
セカンドキャリアとして大学で勤務することも見据えながらスカウトしています。

今日は、埼玉医科大学グループの柴田純一監督が大事にしていることについて書きます。

▼目次▼
1.柴田純一監督の経歴
2.社業ありきの競技生活
3.まとめ

1.柴田純一監督の経歴

大学時代は名門の大東文化大学で箱根駅伝に3度出場。
全日本大学駅伝では区間賞取るなど、実績を残されました。
大学卒業後は強豪のHonda陸上部に加入。
しかし、学生時代からの度重なるケガもあって、3年で退部します。

その後は、自家焙煎コーヒー店のオーナーを経て、
母校の大東文化大学で教員免許を取得。
その後、東京農大三高で保健体育科の非常勤講師となり、
2017年春から現職という異色のキャリアを積んでいます。

2.社業ありきの競技生活


埼玉医科大学グループの陸上部が他の実業団と違うのは、
必ず職場見学をして、病院業務のメリットデメリットも話して、
働く意思があるかを学生に確認した上で、
陸上部への加入を認めているそうです。

柴田監督は怪我を繰り返しながら現役でいることの辛さ、苦しさを痛いほど経験して、
社会人になってからは起伏に富んだ経歴を重ねてきただけに、
入社前の学生に対して、引退後のセカンドキャリアにまで配慮しているのです。

プライオリティーはあくまで病院業務で戦力になること。

柴田監督は、学校サイドの若手の離職率を改善する為の快活な人材確保の方針や、
病院業務を優先して欲しい考えを尊重しながら、
陸上部ではノルマという練習をさせず、
こうしてもいいよ、ああやってもOKという風に練習の選択肢をたくさん与えているそうです。

こうして、社業と競技を両立させた結果、創部4年目で東日本地区予選を初めて突破。
2021年元日のニューイヤー駅伝に初出場して、36チーム中20位と大健闘しました。


引用元:
https://the-ans.jp/column/211362/

https://the-ans.jp/column/212188/

https://news.yahoo.co.jp/articles/5d3037d5937e309af73e687f6bf9c737c5c79e31

3.まとめ

何においても、その道で成功している人は扱うものが変わっても通用するのと、
複数のことを両立出来るなと思いました。
僕自身も一貫性を持って、目の前のことに全力でチャレンジします。

吉田和憲

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