白ご飯に人参ぶっ刺す友人の話

※不快に感じたらすみません


昔、ものすごく話のつまらない友人がいた。別にそこまで性格は悪い方ではなく、むしろ優しくていい子だったと思う。ただ、ものすごく話がつまらなかった。と言いつつ向こうは楽しそうに話をするので、つまらなくはあるもののまあいっかと思い話を聞いていた。
ある時ふと、一体何が原因でこの子の話はつまらなくなっているのかがとても気になった。話し方なのか、抑揚なのか、構成力なのか。分析しようと集中して聞いてみると、意外と理由は簡単に判明した。『自分の話』の盛り込み方が致命的に下手くそなのだ。

自分の話とは例えば
「昨日どこどこに行った」
「昔こんなことをしていた」
「この間○○さんにあって〜と言われた」
すなわちエピソードトークである。
一方でこれの逆に当たるのが、
「○○ってレストラン知ってる?」
「昨日の△△見た?」
「アイドルとか好き?」
「よく行くお店とかある?」
といった相手に尋ねる形のトークだと(私は勝手に)分類している。こちらはいわゆる会話のキャッチボールであり、自分一人の話術に頼らなくても良い分難易度は低いと言える。相手も会話に参加するため、『つまらない』と思われにくいというのもあるだろう。多くの人間は自分が話す時の方が楽しく、相手の話をただ聞いているだけの方がつまらないと感じるーー場合が多い(例外あり)。

対するエピソードトークは、キャッチボールではなく自分一人でリフティングやボール回しやお手玉をして相手から拍手を貰う、というイメージの方がしっくりくるだろう。当然、下手くそなら相手はつまらないと思うだろうし一方でそれが磨きのかかった大技なら盛り上がること間違いなしだ。つまり面白さは話し手の話術に大いに依存する。その能力がないと聞き手にとって会話の時間は苦痛そのものになる。

ちなみに例外が、愚痴である。愚痴は問いかけタイプの会話では無いが、エピソードトークの様な話術は必要ない。何故か。愚痴は会話じゃないからである。あれは会話では無い。自分の鬱憤や不平不満を内に溜めておけなくなった人が、仲のいい友人に投げて受け止めてもらう。バッティングセンターだ。愚痴を言うことで相手に楽しんでもらおう、という人はまずいない。だからこそ、愚痴を言う人は始まる前に「愚痴言っていい?」と、聞き終わったあとに「ごめんね話聞いてくれてありがとう」と言うのだ。感謝を忘れてはいけない。

さて、友人の話に戻そう。例の友人は、エピソードトークの盛り込み方が苦手だ。苦手なのにそれに気づかず自分の話をとにかく沢山しようとするから会話がつまらなくなっていくのだ。
一体何が下手なのか?端的に言うと、脈絡もオチも無いのだ。

例えばここに人参があるとする。これをどうしても料理に使いたい。そこでいきなり白ご飯に丸ごとぶっ刺す奴がいるだろうか?細かく切って味付けして炊き込みご飯にすればもっと美味しくなるのに。
あるいはキュウリやらなんやらと一緒にピクルスを作ったとしよう。それをデザートのチョコレートケーキを食べている最中に出すだろうか?今じゃない、見てわかるだろう今じゃない。

その子と話したのはかなり昔のことで、もう具体的な例文は思い出せないが、こんな感じのめちゃくちゃ料理をぶっ込んでくる子だったのは覚えている。

私は思う。我々は芸人じゃない。だから例え10分15分の会話でもそのうち全てを自分のエピソードトークで賄うのは無理だ。それだけの時間相手を飽きさせず面白い話をし続けられるだろうか?
これこそが、会話を『キャッチボール』と言う言葉で形容する所以かと思う。片方が話をして、相手に話題を振り、相手がそれに応えて追加で話をして、また片方に話を振る。そうしてどちらもが『自分の話をする』という欲求を満たして初めて双方が楽しい幸せな会話が成り立つのだ。それを破ってまで自分の話のみをしたいのであれば、それ相応の、それこそ芸人並の話術が必要になる。

その友人と出会ってから、私は少し自分の会話の仕方に気を使うようになった。そう、ここまでボロクソに言っておきながら実は私もあまり話の上手い方では無かったのだ。むしろ下手な方だったと思う。言われていないだけで、誰かから「アイツの話はつまらない」と思われていたんだろう。だからこそ友人と話して初めて人の振り見て我が振り直せたとも言える。

一方でそんな私にも当時何人も友達がいた。面白くないはずの私と話をしてくれた。優しい人に恵まれていたのだ。じゃあそれでいいじゃないか、そもそも気を使って話すような間柄は真の友達と言えないんじゃないか、と言われたら私は何も言い返せない。本来は互いが気を使わないで話せる関係の方が良いのだろう。あの友人も今は、私のような性格の悪い奴とは違い、気にせず自分の話を聞いてくれるような良き友と出会っているかもしれない。そうであって欲しいと願う。

それでもやっぱり私自身としては、話が上手くなりたい。「この子と話してると楽しいな」と思ってもらいたい。だから今日も私は一生懸命色々考えながら人と話す。そうして得られる『話してて楽しい人』という評価が私にとって何よりも嬉しく大切なものだから。

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