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彩凪翔は生まれつきの美形ではない


凪様は何をしても美しい、私の口癖はそうだった。少年役、青年役、貴婦人、どれだけコミカルな役を演じようが気持ちは変わらなかった。その口癖の裏側には、凪様は生まれ持っての美形だという思いがあったのだ。

素材が美しいのは誰もが承知の事実である。楽屋口などで限りなくメイクを落とした姿を度々目にすることもあるため、裏付けもとれている。しかし、ありのままであの完成度なわけではないことを先日知った。目から鱗だった。

彼女は千秋楽の挨拶で、「できるまでに時間がかかる」「そのため多くの涙を流した」と言っている。さりげなくキラッと光る、胡蝶蘭をたずさえて。あまりに力のこもったそれらの言葉を思い出し、私は自分を悔やんだ。凪様を生まれ持っての美形に仕立てあげたことを。

舞台上でキラキラと輝き、多くの人の心をさらう彩凪翔は緻密なこだわりの上に成り立ったものだった。瞳にキャッチを入れる(照明を目に反射させて輝くように見せること)ことをはじめ、少しの角度、裾の回り方、息遣いにいたるまで。すべて計算し尽くされていたのだ。

こだわるためには、飽くなき追求心と努力が必要であるということも忘れてはいけない。これらが間違いなく、確固たるポジションを築いた一因となっているだろう。

関西人でありながら、まくし立てるような姿はあまり見たことがなかった。いつもみんなの話を優しげな雰囲気で聞き、静かに頷き、たまにクシャッと崩すように笑う。しみじみとした雰囲気、と形容するのが良いかもしれない。

そんな静の灯の中には、普段見せない揺らがぬ熱さがあった。美しさだけでは到底なかった。安易な気持ちを許して欲しいとすら願った。あまりの美しさを前にすると仕方のないことだが、彼女が生まれ持っての美形だと誤解する人にどうか知ってほしい。

すべてのことを行なってきたからこその、今の美しさなんだと。

#宝塚 #雪組 #彩凪翔 #ヅカファン

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