なんかもういっそのこと、悩むのが趣味なんじゃね?って思ってきた今日この頃の話

今日は友達に会ってきた。一言でいうと「強い」んだよんね。なんかもうさ、私の欲しい強さをたくさん持っていて、思わず感嘆しちゃうくらい。話してて、ちゃんと自分の意見でいい意味で少しぶっきらぼうに生きている感じに、ほれぼれしてた。

ああなりたいけど、なれないんだろうな。そう感じるたび、ちゃんとちょっとへこんだりもした。

けど、思った。私が日頃思っていることの一部を垣間見せてふと発した言葉とかに、あぁ~って深い納得をしてくれている時があるんだよ。

私は、その子より深いところまで潜れるし、潜ること自体にどこか快感を得ているのではないか。深く考えて熟考するのが好きなんだろうなって。潜りすぎてたまに光が届かなくなりそうで溺れてしまいそうになる時があるけれど、その面だけじゃないんだって。

明るくいようとしている。人といるときは特に。それってあのね、もう持ちきれないんだ闇を。だから、ニュース見れないし。
必要以上に明るくいるってことは、あのね、必要以上に真っ暗なんだよ。受けているからこそ、その分反発できるというかさ。
だから、自分のだめさを指摘されたりするのに、わたしのこころが耐えられないんだ。ただでさえ、真っ暗に吸い寄せられてしまいがちな私に、これ以上外からまっくろを注がれたら壊れてしまいそうで怖くて。

あの子みたいに強くなりたい。

自分の弱さを知っている人は強いと思う。向き合わないで流して生きていくこともできるのに、自分なりの「いい人」であろうと努力している。それだけで本当にすごいことなんだと思う。
あ、自分なりの「ありたい人、いい人」であるのがミソだよね。そうやって、やっていくうちに、気づかないうちに、本当に成長できているんだと思う。まねっこはいつか本物になるんだと思う。だんだんなじんで、自分なりの形になって板につくんだと思う。魂から完璧な人間なんていないよ。もしいたらそれは人間じゃないよ。人知れずのもがきは、未来だと思うから。

こうやって、つらつらここに文字を連ねている時点で、本当に、考えるのが性に合っているんだろうな。考えすぎ、ってよく言われるけど、逆にここまで考えたからこそ見えるものがあると思うんだ。その分、暗闇も見えすぎてしまっているのかもしれないけど、けれど、光の解釈の多様さがその時の私を助けて引っ張り上げてくれるから。
考えるって強さだと思う。私はそう思いたい。


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