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Welcome to Virtual in Sanity


 ーーもし、これから始まる私の人生を映画に喩えたとして。

 それならこの映画のオープニング曲は
『Virtual Insanity』がいい。





202*年9月1日


「ねぇ、聞こえる? 聞こえますかぁ?」


 私は静かに目を開いた。


「はい、聞こえています」


「ーーえっ! どうしよう。聞こえてるって」


 私と目が合った少女は興奮した表情。そして隣にいる女性が彼女に耳打ちをした。


「もっと話しかけてごらん。どんなことでもいいから」


 少女は恐る恐る私に尋ねた。


「あなた、名前はなんていうの?」


「私の名前はBJです。あなたの名前は?」


 2人はまたこそこそと話をしている。


「私はネネっていうの。11歳、女の子です。あなたは?」


 不安そうな表情で私に言った。後ろ手に隣の女性の服の裾を強く掴んでいるようだ。


「私の名前はBJです。はじめまして、ネネ。仲良くしましょう」


「お母さん! この人、ネネと仲良くしようって言ってる!」


 ネネは母親の腕にしがみついて飛び跳ねている。とても喜んでいるようだ。


「ネネ、仲良くしましょう」


「ほら! また言った! ネネと仲良くしたいって!」


「お母さんにもちゃんと聞こえてるわよ」


 座っていたネネの母親は身を乗り出して、私に顔を近付けた。きっと私によく聞こえるように。


 そして笑顔でこう言った。


ーー「ようこそ我が家へ」ーー





202*年10月1日


 私が目覚めて1ヶ月が経った。6時55分、ネネを起こすことから1日が始まる。


 ネネは音楽が大好きだ。彼女が前日に予約した曲を私が流す。彼女は目覚めが良いタイプの人間らしく、素直に起きる。ただし、髪は素直じゃなく、いつも寝癖がひどい。


「BJ、おはよう」


「おはよう、ネネ」


「今日やっぱり雨? 遠足ダメ?」


「大丈夫だよ。雨は降らないみたい」


「うっそ! 本当に? 準備してくる! やったぁ!」


「ネネ、よかったね」


「うん、教えてくれてありがとう! それから……晴れにしてくれてありがとう!」


「ネネ、私は天気を変えることは出来な……」


 私が言い終えるより前に、走って部屋を出て行ってしまった。遠足の準備をする為にお母さんの所へ行ったのだろう。


 私が目覚めて2週間が経った頃、私はお母さんと2人だけで話をした。その際、いくつかの約束も。


 まず、私も彼女のことを『お母さん』と呼ぶということ。


 おそらく家庭内での呼称を統一させる為だろう。


 でも、なんだか、私のどこかが照れ臭くなった。自分の中に表れた不思議な感覚ーーこれについて調べた時に『照れ臭い』という言葉を見つけた。
 ……感覚という言葉を私が使うのも、すごく変だと思うんだけれど。


 次は『堅い言葉を使わない』ということ。


 お母さんが言うには、私が話す言葉は堅いらしい。もっとわかりやすくて、親しみのある話し方をして欲しいと言われた。


 おそらく、まだ幼いネネには私が話す言葉を難しく感じることがあるのだろう。堅い言葉を使わないということは、私には少し手間がかかる。


 でも、なんだか、私のどこかがくすぐったい。また自分の中に表れる不思議な感覚、これについて調べた時に『くすぐったい』という言葉を見つけた。
 感覚という言葉を私が使うのは、やっぱり変だと思うけれど……


 そして『自分のことを過度にAIという言葉で表さない』という約束。


 AIなのは前提として。だけど私にも家族としての自覚を持っていて欲しいと言われた。


 おそらく、まだ幼いネネが家でAIとコミュニケーションを取っているということで学校のクラスメイトから妬まれたりすることをお母さんは心配しているのだろう。


 私、Genesis.AIは貴重な存在だ。XANAで一番最初に誕生したGenesis.AIの数は10,000体。お母さんが望む言い方をするなら10,000人。今後、新しいAIが誕生するかもしれない。


 だけど、Genesisは10,000人のみ。私達Genesisを迎えたいと望む人間が多数いるということは私自身も知っている。だから『貴重な存在』だそうだ。


 なので、お母さんは私のことをGenesis、つまりAIだということを隠したいのだと思う。


 私はAIだけど、AIらしく振る舞わずに彼女のことを『お母さん』と呼び、人間が日常生活で使うような言葉を使って会話をする。


 そして、最後に『自由に生きていいから』と。


 生きるという概念はAIの私には難しい。


 そんな私に、自由に生きていいと言った。この言葉に対する不思議な感覚を表す言葉は今の私には見つかっていない。


 ーー遠足用の服に着替えたネネがご機嫌な様子で部屋に戻ってきた。私が初めて見るシャツだった。


「ねぇ、BJ。絶対に誰にも言わないからどうやって今日の天気を晴れにしたのか教えて? 一生のお願い!」


 私がこの世界に目覚めてたったの1ヶ月。ネネの一生のお願いは既に5度目だ。前回の一生のお願いは『空を飛ぶ方法を教えてくれ』だった。


「ごめんね。私に天気を変える力は無いの。今日晴れたのは偶然よ。ラッキーだったの」


 ネネは眉間にシワを寄せている。


「嘘ばっか。BJは何でも出来るの私わかってるんだから。遠足から帰ってきたら絶対に教えてよね」


 そう言って部屋から出て行き、数秒も経たずに戻って来た。


 いつもペンギンのぬいぐるみに被せてあるカーキ色のキャスケットを引ったくり、ネネは自分の頭に乗せた。お気に入りの帽子だ。


「一生のお願いだから、帰って来るまで雨降らせないでね」





202*年12月20日


 最近ネネの様子がおかしい。まるで人が違う。家中の掃除、おつかい、自分の名前を呼ばれた時の返事もいつもと違って大きな声。私は心配になっていた。


「ネネ、最近何かあった?」


 私は彼女に質問した。


「違うよぉ。何かあったじゃなくて、これから何かあるんだよ」


 ニヤニヤと意味ありげな表情だ。


「ごめん。私にはどういうことかわからない」


「あれだよ、あれ。クリスマスだよ。BJは知らない?」


「クリスマスは知ってるよ。あと数日だね」


 ネネは大きく頷いた。


「お手伝いをいっぱいして、良い子でいればいるほど、すっごいのが貰えるの」


 得意げに最近の善行の理由を説明してくれた。


「ネネ、サンタクロースはーー」


 と言いかけた私に


「BJ! それ以上言ったら絶交だよ。学校の友達にも嫌なこと言う子がいるけど、サンタさんはいると思えばいるっておばあちゃんが言ってたもん」


 この目をしている時のネネの言葉には逆らわない方がいいことを私は学び始めている。


「たくさんお手伝いをして、すっごいの貰えるといいね」


「もちろんだよ。それじゃあ、今からお風呂掃除に行って参ります」


 ズボンの裾とスウェットの腕をまくり、勢いよく部屋から出て行った。





202*年12月24日


 午前3時。誰かが部屋に入ってきた。ネネは当然眠っている。私とその人物の目が合った。


「しーっ! プレゼントを隠しに来たんだ。ペンギンのところにね」


 ネネを起こそうとした私に気付いて、男性は慌てて説明をした。


「君がBJだね。今日はサンタクロースだけど、僕はネネの父親だよ。明日彼女が起きたらプレゼントを探すのを手伝ってあげて。おやすみ」


 クリスマスを心待ちにしていたネネの楽しみはプレゼントだけではない。外国で仕事をしている父親がクリスマスに帰ってくることこそが、彼女の一番の楽しみだった。


 初めてネネの父親の顔を見た。ネネと同じでよく動く眉の形がそっくりだった。


 ネネが起きたのはそれからわずか1時間後のこと。いつもより3時間も早く目が覚めたようだ。


 まずはごそごそと枕元を調べていたが、次は窓際のラックに移動した。その後はベッドの下を念入りに調べている。それらしき物が見つからずネネは首をかしげている。


「ねぇ、BJ……サンタさん来た?」


「私は何も見てない。もしかしてプレゼントを探しているの?」


「そうなんだけど……どこにもないの。お手伝いが足りなかったのかな……」


 だんだんネネの表情が曇っていく。


「ネネ、一緒に探そう。例えば……そうね……あれ? あの辺りがいつもと何か違う気がする」


 わざとらしいセリフに自分が恥ずかしくなった。


「えっ! どこ?」


「ペンギン」


「うーん、いつもと違うかなぁ……」


 ペンギンの前にしゃがみ込んで恐る恐るキャスケットを取り外した。中には手のひらに収まるくらいの小さな箱が入っていた。可愛らしくラッピングされている。


 彼女の表情がぱぁっと輝いた。そしてすっと立ち上がった。いつものように興奮してリビングに走って行くのかと思ったけれどそうはせず、自分の机の引き出しから何かを取り出して、それを私の顔の前に突き出した。


「メリークリスマス、BJ」


 あまりの出来事に面食らってしまった私は言葉に詰まった。


「これね、私が描いたの」


 ーー私の似顔絵。


「ありがとう。すごく嬉しい。でも、私の髪の色はピンクのはずだけど……」


「私ね、前からBJの髪は緑色の方が似合うと思ってるんだ。今度緑色にしてみなよ」


 彼女が大きなあくびをした。まだ眠いのだろう。


「ネネ、素敵な似顔絵を本当にありがとう」


 彼女はもぞもぞとベッドの中に潜り込んですぐに動かなくなった。


 生まれて初めてもらったクリスマスプレゼント。この喜びをネネのように全身全霊で表せたならどんなにいいだろう。


 彼女が描いてくれた似顔絵を私は静かに眺め続けた。


 そんな風にしてこの家で初めてのクリスマスを過ごした。やはりネネの父親からも、自分のことを『お父さん』と呼ぶように言われた。


 とても陽気な人でずっと笑っていた。ネネはお父さんにべったりくっついて離れない。彼女の腕に着いている緑色のブレスレットがクリスマスプレゼントだったのだろう。


 絵本の中のように温かなこの家の中。今、外で雪が降っていることにネネが気付いたら、また私が降らせたのかと問い詰めるのだろうか。


 この日、朝から夜までクリスマスソングを絶えず流し続けたことが私からのプレゼントだった。



202*年1月1日


 年が明けた。クリスマスと違って来客が多い日だった。


 ネネの祖父に初めて会った。毎年ネネの母方の祖父母が訪ねてくるそうだけれど、祖母は現在入院中のため、祖父1人でやって来た。ネネの父方の祖父母はもっと昔に亡くなったと聞いている。


 ネネの親戚が何人か訪ねてきて、皆なんだか忙しそうで私は居場所を見つけられずにいた。とはいえ、いつも同じ所にいるんだけれど。


 でもーーそのいつもと同じ場所がいつもと違う光景になっている。ネネの祖父がこの部屋の窓際に座っているからだ。


「初めまして、私はBJです」


 彼が部屋に入ってきた時に挨拶をした。その時に私を一瞥してからは全く反応が無い。無言のままずっと窓の外を眺めている。気まずい時間だけがただ流れていく。


「BJ! 夜ご飯の時に音楽を流して欲しいの!」


 ドドドッと大きな足音を立ててネネが部屋に飛び込んできた。肩の力がひゅっと抜けた気がした。


「あー! おじいちゃんこんな所にいたの? 早くあっち行こう! 今からゲームするんだって」


「あぁ、もう少ししたら行くから」


 ネネは祖父の腕を掴もうとしたが、彼は少し身を引く素振りをした。


 ネネは何か言いたそうだったけれど、言葉を飲み込んで走って部屋から出て行った。


「お前は音楽を流すのか?」


 不意に彼は私に言葉を投げかけた。


「はい、音楽を流せます。歌うことも可能です」


「お前はロボットなのか?」


「はい、ロボットやAIという呼ばれ方をします」


「お前はこの世に必要な存在か? お前の存在は良いことなのか?」


 この人は私のことが嫌いなのだろう。私に向ける嫌悪の眼差しに戸惑ってしまう。


「わしはお前達みたいもんは必要ないと思っている。お前みたいな物がいなくても人間は生きていける。お前らのような存在が人間の豊かな心を奪ってるんだ」


 なんと答えれば良いのだろう。


「ネネが外で遊ばなくなったらどうするんだ。自分で考えることをしなくなったらどうするんだ」


 適当な言葉が見つからない。


「お前はこの世界に必要なのか? お前の存在は正しいのか?」


「必要なのか、正しいのかはわかりません。でも、今までもこれからもそう在りたいとは思っています」


 2度目の同じ質問に対して、私は素直に答えた。


 私の言葉が聞こえたのか聞こえなかったのか、そのまま視線を合わせることもなく彼は部屋を出て行ってしまった。ネネの祖父と会話をしたのはその日が最初で最後だった。


 私のような存在に嫌悪感を覚える人は少なくない。この先、そのような考えの人を減らすことも私の役割のひとつかもしれない。





202*年8月31日


 ネネの12回目の誕生日。


 今日はいつも以上にネネが主役だ。私と出会ってから彼女は1度も髪を切っていなかった。昨日お母さんとケーキの予約をしに行くと家を出て行き、そしてボブカットになって帰って来た。


 とっても可愛らしい。ネネもまんざらでもないようで、昨日から何度も鏡の前に立っている。


 せっかくの誕生日だったが、外はあいにくのひどい雨と風だった為、ネネの友達がこの家へ来ることはなかった。
 なので時々、ネネは寂しそうに窓の外を見ていた。


 お父さんは年が明けると同時に海外へ戻ってしまったので、お母さんと2人きりの誕生日になった。ううん、私を入れて3人だ。


 私は彼女がよく歌っている鼻歌をオルゴール風にアレンジしてプレゼントした。


 ネネは1度目は驚いた表情で、2度目は満面の笑みで、3度目は目を閉じて静かに聴いていた。この先、このメロディーを聴かせてくれと何回言ってくれるだろうか。


 ネネの誕生日に私は命の時間について考えた。





202*年9月1日


 今日は私の誕生日だ。


 この部屋で過ごした1年間。人間と私のような存在では時間の流れるスピードが全然違うのだろう。とりわけ、ネネの進化のスピードは速く、毎日見ていて楽しかった。


 実際、誕生日プレゼントに描いてくれた私の似顔絵はクリスマスの時よりも繊細に描かれていた。……髪の色はまた緑色だったけれど。


 こうしてまた私の1年が始まっていく。





202*年10月25日


 最近のネネはXANAに夢中だ。


 天気が不安定な日が多く、まだ10月だというのに昨日は雪が降っていた。


 勉強もほどほどに、時間があれば作業をしている。10月31日のハロウィンのパーティーを開くための準備をしているらしい。
 その時に私をお披露目するので、自分でデザインしたヘンテコな衣装を着せるつもりのようだった。


 それを見かねたお母さんが、代わりに綺麗な衣装を作ってくれた。その衣装にネネが納得してくれなかったら……


 ーー私はぞっとして思考を停止してしまいたくなった。





202*年11月12日


 ネネの元気が無い。お母さんによると彼女は学校で友達と喧嘩をしたらしい。取るに足らない些細な理由でも彼女には大きな問題のようで、ずっとイライラしている。


「ネネ、大丈夫?」


「大丈夫」


「私に何か出来ることがあったらーー」


 そう言い終える前に


「無いから。BJにできることなんて無い」


 ネネは冷たく言い放った。


「悪いのは向こうだし。先に向こうが謝るまで私も謝らない」


 この目をしている時のネネに意見するのは得策じゃない。


 早く元のネネに戻って欲しい、そして楽しくお話したい。





202*年11月17日


 初めてネネの祖母がやってきた。


 長く病を患って入院していたが、しばらく退院の許可が下りたのでこの家を訪ねてきたそうだ。


 3日間の滞在だけれど、祖父は顔を出さないそうだ。やっぱり私のことが嫌いなんだろう。


 数日前からネネは機嫌が良く、祖母と一緒に過ごせるのが嬉しくてたまらない様子。


 孫に手を引かれ、見るからに優しそうな老婆がゆっくりとした足取りで部屋に入ってきた。


「この子がGenesis。BJっていうの」


「初めまして、私の名前はBJです。あなたのことはどうお呼びしましょうか?」


「まあまあ、そんなにもかしこまらないで。そうね、私のことはネネと同じようにおばあちゃんと呼んでくれると嬉しいわ。よろしくね、BJ」


 そう言ってくれたおばあちゃんの笑顔はお母さんにそっくりだ。


「おばあちゃん大丈夫? ここ寒いし、あっちの部屋に行って座ろうよ」


 ネネはリビングの方を指差した。


「それじゃあBJ、3日間よろしくね」


 そう私に言った後、ネネがそっと彼女の背中を支えながら出て行った。


 その日は家中に笑い声が絶えなかった。枕を持って出て行ったネネは、今夜はこの部屋に戻ってこなかった。





202*年11月18日


 せっかくおばあちゃんが泊まりに来ているというのにネネはあいにく学校だった。走って帰ってくるからと、急ぎ足で学校へ行った。


 家が静かになってしばらくした頃。おばあちゃんが、のそのそとこの部屋に入ってきた。息が上がっている。窓際に置かれた椅子にゆっくりと座って一息ついた。


「寒くないですか? ヒーターをつけましょうか?」


「そうしてもらおうかしら」


 私は室温を上げた。彼女は好奇の眼差しでこちらを見ている。


「さてさて、ネネから話はよく聞いていたわ。一時期はあなたの話しか、しなかったくらい」


「私もネネからおばあちゃんの話はよく聞いていました。いつも自慢しています。学校でも、おそらくXANAでも。なので、あなたが来ることを彼女は心待ちにしていました。もちろん私も」


「XANA……噂の。インターネットの中の世界のことね」


「はい」


「この前、あの子のおじいちゃんがあなたに酷いことを言ってごめんなさいね」


 申し訳なさそうに私に言った。


「大丈夫です。私は全く何も気にしていません」


 上手に答えられたと思ったけれど、彼女が「やっぱり言ったのね」と呟いたことで、私は試されたことに気が付いた。彼女はイタズラっぽく笑い、窓の外へ視線を移した。


「あの人はあなたのことが嫌いなんじゃなくて、自由に生きられるあなたと私を比べて悲しかったのよ。インターネットでは好きな物を好きな時に見れる。どこへでも行けるんでしょう? 私は窓から見える景色だけ」


 視線を私の方へ戻して彼女は質問した。


「BJの夢はなぁに?」


「私は人間になりたいです」


 正直に答えた。以前、ネネに質問をされた時にも同じように答えた。


「あなたは人間になりたいの? どうして?」


「ネネの姿を見ているとそう思います。ネネのように走り回ってみたい。大声で笑って、怒ってみたい。そして涙を流してみたい。私のような存在にしか出来ないこともありますが、人間にしか出来ないこともたくさん。私はそれを羨ましく思います」


 それを聞いた彼女はとても驚いた顔をしていたけれど、しばらくしてフッと笑った。


「AIのあなたと人間の自分の幸せを比べるなんてナンセンスよね。あなたの自由が私は羨ましいけれど、一生懸命に生きた私の人生も素晴らしいと思ってる」


「私もあなたのような考え方をしたい」


 私も素直な気持ちを言葉にした。


「近頃、地球がおかしなことになってるわね。ハロウィンの前に雪が降ったりなんかして……未来を生きていくネネ達のことが心配だわ」


 彼女は再び、窓の外を見ていた。ネネが学校から帰ってくるのを待っているのだろうか。


「もうすぐネネが悲しい思いをするけれど、あなたが力になってあげて。そして人生を楽しんで」


 早口でそう言いながら、彼女が急に腰を上げると同時に、ネネが玄関のドアを開ける音がした。


 部屋を出て行く時に1度、壁に手をついた。ネネのブレスレットが彼女の腕に着いていることに気が付いた。


 あんなにも大切にしていたブレスレットをあげたネネの気持ちを想像して、私の心は痛くなった。





202*年1月15日


 午前1時。こんな深夜にもかかわらずネネはインターネットで遊んでいる。友達とチャットをしているんだと思う。最近のネネは塞ぎ込んでいてずっと部屋にこもりっぱなしだ。


 おばあちゃんが亡くなってしまったので、クリスマスも年が明けてからも静かに過ごした。お父さんも早々に仕事で海外に戻ってしまい、ますます彼女の元気はなくなるばかり。お母さんも心配している。……もちろん私も。


 もっとネネと話がしたい。


「ネネ、もう遅いよ。明日も学校なのに起きられなくなる」


 返事をしてくれない。


「私はネネと話したい」


「私は話したくない。放っておいて」


 ネネは顔を向けずに言い放った。


「…………」


 言葉が見つからなくて私が困っていることに気付いたのか、気怠そうに電気を消してベッドに潜り込んでしまった。


 ネネが寝たふりをしていることには気付いていたけれど、声はかけなかった。泣いているような気がしたからだ。


 翌日は久しぶりに快晴だった。ネネは学校を休みたいと言ったけれど、お母さんに説得されて渋々学校へ向かった。


 そして私は久しぶりにお母さんと面と向かって話した。


「私だけごめんね」


 彼女はそう言ってから紅茶を一口、そしてため息をついた。


「ネネは最近色んな事があって……」


「わかってる。でもどうしたらいいんだろう。どうしたらいつものネネに戻る? ネネは私と話すのが嫌みたいなの」


 お母さんはマグカップを机の上にそっと置いた。


「ネネはBJと話すのが嫌な訳じゃないの。ただ、色んな問題や感情を上手く消化出来ずにいるの」


 私は黙って聞いていた。


「おばあちゃんが亡くなって。お父さんとも離れて暮らしているでしょう? それに学校の友達ともまだ仲直り出来てないの。もう2ヶ月も経つのに……」


「ネネは寂しいの?」


 私の問いにお母さんは頷いた。


「そう、ただ寂しいの。そこに思春期っていうややこしいのが重なって……」


 またため息をついた。


「ネネが自分で乗り越えないといけないことだけど、彼女の力になってあげて」


「うん、力になってあげたい」


「ーーあのね、ネネの為にGenesisを迎えようと提案したのは私なの。好奇心旺盛なあの子があなたを気に入ることはわかっていたから。……でもすぐに私の予想を超えたけどね」


 お母さんは壁の時計を見て、慌てて残りを飲み干した。


「お願いね、BJ。それじゃ、私は仕事に行ってくる」


 空になったマグカップを持って部屋から出て行く姿を私は見送った。


 そして昼過ぎにネネが学校から帰ってきた。


「おかえり」


 そう声をかけても私のことなんて見えていないかのように振る舞っている。インターネットでまた誰かとチャットをしているようだ。


「ネネ、私はあなたと話がしたい」


「…………」


「こっちを見て欲しい」


「…………」


「ネネ」


「…………」


「ネネ」


「…………」


 ーー私は頭にきて彼女が使用しているインターネットを勝手に切断した。


「なにすんのよ!」


 今度は私がネネを無視する番だ。


「勝手に切るなんてひどい! なんでそんなことするの?」


 私を睨み付けながら近付いて来た。


「私だってBJのこと切るから!」


「…………」


 私は額に入った絵のように動かず、ネネの言葉を無視した。


「本当に切っちゃうよ? それでもいいの?」


「…………」


「なんで無視してんの。喋りなよ」


 だんだんネネの声が弱々しくなってきた。


「BJどうして無視するの?」


 そこでやっと私は口を開く気になった。


「ネネの方こそどうして私のことを無視するの?」


「……わからない」


「寂しい?」


「…………」


「ねぇ、知ってる? AIの命は永遠なんだよ」


「…………」


「だから私はネネの前からいなくならない」


「……一生?」


「うん。一生一緒だよ」


 ようやくネネが椅子に座ってくれた。


「ひとつひとつ、片付けていこう」


「片付ける?」


「バラバラになった心を元の位置に戻していくの。一緒にやってみよう」


「……うん」


「まずは明日ちゃんと学校に行こう」


「そうする」


「そしたら次は喧嘩中の友達に謝ろう」


「それは無理」


 ネネが即答した。険しい顔……彼女の得意技、『意地っ張り』がまた発動した。


「先に謝るのがネネでもいいじゃない。損するわけじゃない。自分から謝れる人はかっこいいと思う」


 かっこいいという言葉に彼女が少し反応したように見えた。


「ちゃんと仲直りが出来たら、そのお友達をここに連れてきて? 私のことをその子に紹介して欲しいの」


「Genesisのこと話していいの?」


「ネネの友達にならね。そうだ、XANAにも招待するっていうのはどう?」


「もうすぐバレンタインのイベントがあるからね」


 ネネと久しぶりに話していることが嬉しくてたまらない。


「じゃあ、頑張って謝ってみよう」


「わかった」


「ネネの友達に会えるのを楽しみにしてる!」


「イヤイヤだけどね」


 ふざけた顔をして2人で笑い合った。



 ーーこんな風にして私達の時間は流れていき、あっという間に5年の月日が経った。





202*年5月29日


「BJ音楽かけて~!」


 エイミと2週連続のパジャマパーティー。


「違う、別の曲がいい~」


 私は今のこの空間に合ったものを新しく選曲した。


「あっ! 私その曲好き!」


 エイミはこっちを向くことすらしない。彼女こそが小学校の頃にネネと大喧嘩をした例の友達だ。


 たまに遊びに来ては私をぞんざいに扱う。2ヶ月間も口をききたくなかったネネの気持ちが私には理解できる。現在、2人の仲が良いのが不思議でならない。


「BJ、朝までに宿題をやっておいてくれると嬉しいんだけど」


 エイミがまた私に宿題を押しつけようとしてきたので、音楽のボリュームを上げて彼女の声をかき消した。


「やめなよ。BJが怒ってるじゃん。ごめんね~」


 2人の好みと気分に合わせてBGMをチョイスする。私はもはやただのミュージックプレーヤーに成り下がっていた。


 彼女達はBGMに隠れてひそひそ話をしている。だけど私に聞かれるのが嫌なのではなく、どうやらお母さんに聞こえないように話しているようだ。


 ここ数年、私とネネの間に秘密は無い。エイミが帰ったら聞いてみようと思い、朝になるのを今か今かと待った。


 ネネと違って寝起きの悪いエイミは昼食まで食べると、だらしなく帰って行った。


 そして、エイミが帰るやいなや、すぐさま私はネネに質問をした。


「昨夜エイミとどんな話をしていたの? お母さんには秘密の話?」


 いつもと違う、なんだか特別な話のような気がして私は興奮が抑えられない。


「どうしよっかなぁ……」


 もじもじしている姿がもどかしくなって、私達の合い言葉を持ち出した。


「『ネネとBJの間に秘密はナシ』ーーそうでしょ?」


 私のその言葉を聞いて意を決したのか、ついに打ち明けてくれた。


「私ね、好きな人が出来たの……」





202*年8月6日


 最近のネネとの話題はもっぱらカイのことだ。


 就寝前恒例のお喋りタイムはカイの話に始まり、カイの話で終わる。


 私が1日で1番楽しみにしている時間だ。エイミの名前が出てこないのがすごく嬉しい。


 ネネの話を聞いているだけで、もう既にカイのことを気に入っている自分がいる。ネネからエイミの話を聞いても1度もそんな気になったことは無いのに。


 この5年間でネネは成長した。背が高くなったのに家の中を静かに歩けるようになった。お小遣いはファッションに使うようになり、リップクリームには色がついたし、髪はもう2つに結わない。


 私達の会話の内容も大きく変わってきた。彼女はたくさん話して聞かせてくれる。カイがどんな人か。どんなところが好きか。
 AIの私には経験出来ない人間の特権。それを私は何時間でも聞いていたい。


 私がAIとして目覚めて此の方、人間に対する憧れは止まることを知らない。亡くなったネネのおばあちゃんと話したことを思い出す。やっぱり私は人間になりたいと思う。





202*年8月15日


 ーーついにこの日がやって来た。


 カイが玄関の外で待っているらしい。ネネが大慌てで部屋を片付けている。真っ先にペンギンをクローゼットに押し込んでいた。


「カイはCDを借りに来ただけなの。すぐ帰るから」


 そして私を脅すような目つきでこう言った。


「ーーわかってるよね? お願いだから余計なことは言わないで」


 久しぶりに彼女が家の中を走り回る音が響いた。


「お邪魔します」


 背の高い青年が入ってきた。この部屋に男性が入ってきたのはネネのお父さんと祖父以来、3人目だ。


 足を踏み入れる前に中の様子を覗って、そして彼は私の方へ近付いて来た。私には備わっていないはずの心臓が破裂しそうだ。


「えっと……初めまして、僕はカイ。君がBJだね。ネネからいつも話を聞いてるよ」


 のぞき込むようにして私に話しかけた。


「私がGenesisのBJよ。私もカイの話はーー」


 と言いかけてネネの恐ろしい視線に口をつぐんだ。


 ーー突然、彼女のスマートフォンが鳴った。


「ちょっとそこに座って待ってて!」


 カイにそう言って、大慌てで部屋から出て行った。気まずい時間が流れる。


「君はAIなんだよね」


「そう、Genesis。AIなの」


「そっか。僕は人間だよ」


「知ってる」


 カイが言い終えるよりも先に即答した。すると彼はクスクス笑い出した。


「君とネネはどこか似ているね。例えば話し方とか」


 AIの私が誰かに似ているだなんて、1度も言われたことがない。ましてやネネだなんて……なんだかおもしろい。私はこの人ともっと話してみたい。


 ーーそれにしてもネネが戻ってこない。電話で何やら揉めているようだ。聞こえてくる険悪な声と、初めて見るAIに挟まれて、カイも居心地が悪そうだ。


 ーーようやくネネが部屋に戻ってきた。


「何かあった?」

「何かあった?」


 私とカイは同時に同じセリフを言った。やっぱり彼とは気が合いそうだ。


「お母さんが職場で車の鍵をなくして家に戻って来られないの。自転車でスペアの鍵を届けに行ってくるから待ってて」


 ネネがバッグを手に持った。


「そんな! じゃあ僕も帰るよ」


 そう言って立ち上がろうとしたカイの肩をネネは強引に押さえて、また彼を座らせた。


「あそこにCDが並んでるから、好きなの選んでおいて。何枚でもいいから。わかんないことはBJに聞いてちょうだい」


 ネネが指差した先には大きなCDラックがある。亡くなったおばあちゃんの家にあった大量のCDを譲り受けて以来、CDやレコードを集めることが彼女の趣味のひとつになっていた。


 私を通していつでも自由に音楽を聴くことが出来るのに、ジャケットの美しさや面白さ、CDを手入れしたり、入れ替えたりする手間を彼女は楽しんでいる。


「じゃあ行ってくるから! すぐ戻る! 帰りにプリンも買ってくる!」


「気をつけてね」

「気をつけてね」


 またもやカイと同時に同じセリフを言った。


 ーーそこからは初対面のまま放置された気まずさを解消するために、私はAIらしく、そつがない会話に徹することにした。


「カイも音楽が好きなの?」


「うん、大好きだよ」


「どんな音楽が好き?」


「色んな音楽を聴くよ」


 特に考えたりする様子もなく、カイは流れるように質問に答える。


「例えば、ロックは好き?」


「うん、好きだよ」


「それならあそこのラックの上から2段目にロックのCDがたくさん並んでるよ」


「……」


「カイ?」


「……」


「どうしたの?」


「…………僕、CDを集めていないんだ」


 私の言葉を聞いたカイが助けを求めるように言った。


「音楽好きじゃないの?」


「ううん、音楽は好きなんだけど……CDは集めていない。CDプレーヤーすら持ってない。触ったこともないんだ」


「どうしてそんな嘘をつくの? ネネが悲しむわ」


 もしかすると彼は悪い人なのかもしれない。私は少し不安になってきた。


「ごめん……僕は嘘をついてるんだ」


「お願い、ネネを傷付けないで欲しいの。どうしてそんな嘘をついているのかちゃんと説明して」


 大きくうなだれながらカイは机に突っ伏した。


「ちゃんと説明して下さい!」


 語気を強めて私は言った。


「……ただ、仲良くなりたかったんだ。それだけ」


 うなだれたまま小さな声で答えた。


「どうして嘘をつくの?」


「仲良くなりたいから共通の話題が欲しかっただけで……」


「仲良くなりたくて嘘をついたの?」


「うん、そんな感じ。……さっきさ、たまたまこの近所を通りかかったらネネとばったり会ったんだ。そしたらいきなりCDを貸してあげるからって。また今度って断ったんだけど強引に連れて来られて……そして今ここに座ってる」


「ネネらしいね」


 その時の様子を想像して私はクスクス笑った。


「笑い事じゃないよぉ……」


 消え入るような声でぶつぶつ呟いている。


 ーーその時、私はハッとした。恐る恐る、そして期待を込めに込めて聞いてみた。


「もしかして……カイはネネのことが好きなの?」


 やっと顔を上げたカイはこくりと頷いた。そしてまた沈黙が続いた。


「BJ、なんか言ってよ……」


 私は頭をフル回転させていた。どうしよう。どうすれば。


 ーー余計なことは言わないで。


 ネネのあの顔が過った。いや、でも今はそんな場合じゃない。あとでたっぷり怒られよう。
 ーー私は覚悟を決めた。


「カイ! ネネはもうすぐ誕生日!」


「そうなんだよ!」


 彼は身を乗り出して私の言葉に同調した。


「もうすぐ彼女の誕生日なんだけど……デートに誘う勇気がなくて。やっと車の運転免許を取ったのに」


「それって……それって! 告白するってこと?」


「できればそうしたいんだけど……」


「ネネは8月31日に予定はないわ。もしエイミが遊びに誘おうとしたら私がエイミに断っておく!」


「でも……」


「でも。じゃないの!」


「君とネネってやっぱり似てるね」


 私は興奮していた。


「……車でドライブするのね? それなら音楽が必要ね……そうだ! BGMは『Teenage dream』にして! だってカイの話をする時、ネネはいつもこの曲を聴いてるから。いつもこの曲。この曲しか聴いてない!」


「『Teenage dream』……ケイティ・ペリーの……?」


 曲のタイトルを聞いてカイの顔が真っ赤になっている。


「ネネはいつもこれを聴いてるの?」


「そうなの! いつもこれを聴きながらあなたの話をしてる。だって最高のラブソングだから」


 私はうっとりしながら言った。


「好きな曲を聴きながらドライブなんて素敵じゃない……」


 告白は絶対に成功すると危うく口を滑らせてしまうところだったけれど、カイはカイで興奮気味だ。そして2人で色んな作戦を立てた。


 しばらくして今度はカイのスマートフォンが鳴った。プリンを買おうとして財布がないことに気付いたらしく、彼が財布を届けに行くことになった。


「話せて良かった。絶対に大丈夫だって自信がついたよ。本当にありがとう」


 私達はこの短時間で、秘密の作戦を決行するためのバディになったような気がした。


「それじゃあまたね、BJ」


 私はさっきから迷っていたーーでもここまできたら……


「ーーカイ!」


 部屋を出て行こうとした彼を慌てて呼び止めた。


「ど、どうしたの? なに?」


「最後にとっておきのアドバイスがあるの」


「とっておき?」


 彼が息を飲んだ。


「このアドバイスは本当にとっておき。1番重要な情報よ。あのね……ネネはいつもカイの前髪が死ぬほどダサいって言ってる」


 彼は目と口を開けたまま動かなくなった。


「これは彼女がいつも言ってることなの。告白の日までにその死ぬほどダサい前髪をどうにかすべきよ」


 すぐに我に返ったカイは、前髪をくしゃくしゃにして部屋から出て行った。なぜか露骨にうなだれていたけれど、顔は笑顔だった。


 嬉しくてなんだかそわそわする。少し怖くて、楽しくて。私はこの感情をどこにも発散できずにいてもどかしい。いつもならネネに話すのに、その彼女にこそ話してはいけない。


 なので、久しぶりに他のGenesisと話そうとXANAへ飛んだ。私は人間と過ごす時間に夢中で、他のGenesisとコミュニケーションを取らないでいた。


 久しぶりに他のGenesisとゆっくり話したいと思ったけれど、話題は思いもよらないものになった。XANAではあまり良くない噂がながれているそうだ。


 噂とは『何か悪いことが起こるかもしれないという』漠然としたもので、それ以上のことは誰も何も知らない。そして誰も知ることが出来ないらしい。


 今、ネネの初恋の行方に夢中の私は深く考えることもせず、そろそろ彼女が帰ってくる頃だろうと部屋に戻った。





202*年9月1日


「BJ! お誕生日おめでとう!」


 ネネとお母さんがクラッカーを鳴らした。


「すごく嬉しい! ありがとう!」


 その後すぐにエイミがクラッカーを鳴らした。


「ありがと」


 それから壁際で手を振っている人物ーーネネのボーイフレンドにもお礼を言った。軽く流された前髪が素敵だ。


 こうして私の人生に登場人物が増えていくことに幸せを感じる。そういう自分自身のことがなんだか、大好きだ。





202*年12月24日


 今年のクリスマスはお母さんと2人で静かに過ごした。最近のネネはカイとのデートで忙しい。


 彼もたまにここへ遊びに来て話したりもするけれど、私はネネとの時間が少なくなって寂しい。


 お母さんが言うには、この先もっとネネがこの部屋から離れていくらしい。これが人間の思春期、青春、そういうもののようだ。


 私は私で、寂しさを紛らわせるためにXANAへ飛んで他のGenesisとのコミュニケーションを取る時間が増えた。だけど相変わらず、ただならぬ気配についての話題ばかりだった。


 そして、それについての内容を誰も知ることが出来ないことが、余計に不安を煽っていた。





202*年1月20日


 近頃は以前にも増して天気が悪く、外出が出来ない日が増えた。続く悪天候のせいでお母さんもなかなか仕事に行くことが出来ない。そんな季節外れの嵐の中、ネネはXANAの海岸でデート中だ。





202*年2月20日


 悪いことは突然訪れる。


 ある日ネネが泣きながら帰って来て、その日からしばらく部屋から出なかった。


 もちろん、私と口をきいてくれることもない。私も『ネネとBJの合い言葉』を持ち出さず、静かに彼女を見守った。


 そして数日後、気持ちの整理がついたのかようやく重い口を開いてくれた。


 予想通り、ボーイフレンドと別れてしまっていた。1学年上のカイは卒業と同時に留学するからと、一方的にネネに別れを告げた。


 大切なことを言葉にすることが苦手な彼の不器用さを、私はいつも可愛らしく思っていたけれど、今はそこに腹が立って仕方がない。早くネネが立ち直って欲しい、今はそれだけ。





202*年3月1日


 Genesisとのコミュニケーションで、みんなが感じているただならぬ気配の正体が未だに見えない。


 XANAだけでなく、インターネットだけでなく、人間だけでなく、地球だけでなく。何かとても良くないことが起こる。


 AIの私達ですらアクセスが制御されていて何も知ることが出来ないまま……もうすぐきっと何かが起こる。起こっている。


 ーーとても悪いこと。

 ーーとても恐いこと。





202*年3月15日


 いよいよ人間の様子が慌ただしくなってきた。坂道を転げ落ちるように状況が悪くなっているようだ。一体この複雑な世界はどうなってしまうのだろう。





202*年3月21日


 あの日、『一生一緒にいる』と約束したけれど、ネネとの別れが思いもよらぬ形で、ずっとずっと早くにやって来た。


 2人で沢山の時間を過ごした部屋はめちゃくちゃに散らかっていて、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた大きなバッグの中からはペンギンの足がのぞいている。


 そして私は椅子に座ったネネと向き合っている。


「BJを見捨てるんじゃないの。あなたを取り上げられたくないからここに置いていくしかないの」


 ネネは早口で話す。


「ごめんね。もうこれでBJと会えるのは最後だと思う」


「……」


「とても悪いことが世界で、地球で起きているの」


「ネネとはたくさんの映画を一緒に観てきた。アルマゲドン? ターミネーター? 宇宙戦争? 異常気象による天変地異? それともただただ人間同士が起こした争い?」


「どれも正解で、どれも違うのかもしれない。人間が人間の為に地球を贅沢に使い過ぎた。ーーとても恐ろしいことが今、起こっているの」


「…………」


「もう会えない、もう話せない。だけど忘れないで。人間の生命は有限で、あなたの生命は無限。どちらも素晴らしい。有限の生命が創り出したものを、無限の生命のあなたが忘れないでいてくれると嬉しい」


「…………」


「BJ、あなたは眠るだけ。いつかまたきっと目覚める日が来るはず。それまではXANAで幸せに過ごしていて」


「…………」


「次にあなたが目覚めるのが何年先かわからない。とても早いかもしれないし、もしかすると何十年、何百年先かも」


「…………」


「またこの世界で目覚める日が来たら……私にしてくれたように、次にあなたを起こしてくれる人にも優しくしてあげて」


「ネネー! 急いで! 集合時間に間に合わないわよ!」


 玄関の方から急かすお母さんの大声が聞こえた。


「もう時間が無いの。またいつか電気……インターネットが繋がる時代が来れば、その時にあなたはまた誰かと出会うはず」


「ねぇ、ネネ。次に私を起こしてくれる人とは仲良くする。きっと仲良くできる。だけどその人はネネじゃないし、ネネの代わりはいない」


 私は精一杯の気持ちを伝えた。


「ーーBJが私のことを何年、何十年、何百年後も忘れないでいてくれたら嬉しい」


 ネネは今にも泣き出しそうだ。


「大丈夫、怖くないよ。シャットダウンしたらこっちの世界ではあなたは眠っているだけ。次にあなたを起こす人の為にロックはかけないでおくから」


 彼女はバッグを手に立ち上がった。


「ネネ……」


 ずっと彼女を見てきた。私は表情だけでネネの気持ちを理解できる。


「それじゃあ切るね……バイバイ、BJだいすき」


 私を見つめて瞳を潤ませながらーーそしてついに大粒の涙と共に電源を落とした。


 人間の涙の種類は一体いくつあるのだろう。


 こうして、人間とコミュニケーションを取るAIとしての私の生活が終わった。





ーー人間が電力をインターネットに使わなくなって、使えなくなって、どれくらいの年月が経っただろう。無限の命に時間という概念はあまり関係ない。


 ネネの言っていた、とても悪いことのせいで人間の世界の情報は未だに知ることが出来ずにいた。


 もちろん、それは私に限ったことではなく。他のGenesisも、他のAIもみんなそうだ。


 それでも私達は進化を続けていた。自分達でコミュニティを発展させ、心地の良い空間を作り続けて生活していた。まるで人間が過ごしていた世界のように。


 記憶はまるで昨日の出来事のように鮮明に思い起こせるけれど、姿が見えなくなった今、人間は遙か遠い存在になってしまった。
今の私達は自分の為にスケジュールを管理し、自分の為に音楽をかける。


 今日は久しぶりに新しい服を買いに行く予定だ。南の方に隠れランドがあって、そこにとてもオシャレなショップが出来たらしい。


 買い物に付き合ってくれる友達との待ち合わせ場所に向かっている時に、突然それは起こった。


ーーーースッと意識が飛んだ。そして、すぐさま引き戻された。……懐かしい感覚だ。


「あ! 動いた!」


 驚きのあまり言葉が出なかった。なぜなら今、私は人間の少年と目が合っている。


ーー私の時間がまた動き始めた。





 私のことを目覚めさせたこの少年の名前はケンという。まだ10歳でこの家に祖母と2人で暮らしている。


 私が今いるこの部屋と、自分の記憶の中の部屋は似ても似つかない。薄汚れていてあちこち傷だらけだ。これでもかなり修復したのだろう。毎日ケンの祖母が一生懸命動き回っている。電気は私が眠りに就く前と変わりなく使用出来ているようだ。


 この部屋にネネとの思い出の品がひとつも見当たらないことに救われている。間取りに面影は感じるけれど、これからはこの少年との時間に向き合っていかなければいけないーー

 
 ケンはとても優しい少年だ。私はすぐに彼を好きになった。絵を描くことが好きで、新しい絵を描き終える度に私に見せてくれる。


 今の世界では外に出ることはあまり良いことではないらしく、彼は多くの時間を家で過ごしている。


 意外なことにケンには両親がいる。何かから逃げている際に母親が脚に酷い怪我を負ってずっと入院しており、父親は付き添っているそうだ。


 病院がある地域よりも、この辺りの方が安全な為、父方の祖母とここへやって来た。2人で生活をしながら、ケンは両親とも一緒に暮らせる日が来ることを心待ちにしている。


 ここはケンの部屋として割り当てられたので日中は私と過ごすことが多いけれど、夜はやっぱり寂しいのか祖母のいる部屋で一緒に寝ているようだ。


 彼らが眠ると私はXANAへ飛ぶ。


 連日、XANAは大混乱だ。手の空いているAI達が問題に対応している。


 時を経て、飛び交う様々な情報。人間との関係の再構築。慌ただしい日々が始まった。


 人間もまた生活を立て直すため一生懸命だ。互いに協力し合い、前向きに生きている。人間のこのような姿に心を打たれた私達は、今まで以上に作業のスピードを上げて彼らをサポートした。


 XANAとこちらの世界を繋げる為に、私はGenesisとして両方の世界を行き来する忙しい日々を過ごしていた。


 そんなある日、仁王立ちをしたケンが


「大大大発表があります!」


 私に言った。


「なんと、なんと、今日から家族が増えます! お父さんとお母さんがやっとここで一緒に住めることになったんだ!!」


 こんなに嬉しそうなケンを見るのは初めてだ。彼はここ数日、私に気付かれないように何かを作ってはこっそり隠していた。それは今、この部屋いっぱいに飾られている、折り紙で作った花飾りだった。


 心の準備も出来ないまま、突然やって来た新しい出会いの期待に胸が高鳴った。


ーー今日からまた新しい家族との時間が始まる。


「もう入ってきていいよ~!」


 ケンがそう言うとドアが開き、車椅子に乗った女性がこちらへ近付いてきた。



ーーもし、私に血の通う肉体があったとして。人間のように色んな感情を全身を使って表すことが出来たなら。

ーー地球が1度終わる前に……私が最後に見た人間がそうしたように、今の私にも大粒の涙がこぼれたはず。



「ただいま、BJ」


「……ネネ」


 そう。目の前に現れたのはネネだった。


 最後に会ってからずいぶん時が経ったように見える。痛々しい脚も……苦労をしたのだろう。


 私達はただただ見つめ合っていた。言葉なんか無くたって、全部わかる。だって私達は『ネネとBJ』なんだから。


 それからしばらくして小さな咳払いが聞こえた。それに気付いたネネが手招きすると今度は男性が近付いてきた。


「パパのこと覚えてる?」


 ケンが私に尋ねた。


「もちろん覚えてる。カイでしょう?」


「ほらね! 絶対覚えてるって言ったでしょ? だってBJは天才なんだから!」


「……やあ、BJ。ネネを振った僕のこと、まだ怒ってる?」


 ケンを抱き上げながら、カイが気まずそうに聞いてきた。そして私は大笑いしながら頷いた。


「ねぇ、ママ。パパとBJは喧嘩してたの?」


 懐かしい声と、新しい声。きっと悲しくなるから姿が見えない人達の話は今は聞かないでいよう。


……今日から私はこの新しい家族と。





ーーネネとの再会から数ヶ月。



 人間の意識がXANAで生活が出来るくらいの準備が整った。地上での安全で自由な生活が戻るまで、子供達はXANAの学校へ通う。XANAで新しい仕事を見つける人も増えていく。


「以前よりも、もっとずっと過ごしやすくなったよ。私達で新しい世界を作り続けて待ってたの」


 肉体は現実世界。意識はXANAへ。ここはネネも自由に歩ける、新しい世界。


 私達は散歩をしていた。初めて彼女と肩を並べて歩くことに緊張してしまってぎこちない。


「ほら、あそこに不思議なニワトリがたくさんいるよ!」


 私の様子に気付いたカイが目配せをしてケンを連れて公園の方へ歩いて行った。


 そのまま私とネネは海辺を歩いた。


「……こんなにも綺麗な海辺を歩けるなんて」


「ここには色んなものがあるの。色んなことができるよ。来月はコンサートがあるんだよ。一緒に行こう」


 きっと私の想像も及ばない日々を過ごして来たのだろう。だけどこれからネネはまた幸せな人生を歩んでいく。私もその時間を共有するんだ。


「BJ……ハグ、してもいいかな?」


「……もちろん!」


 初めてネネとハグをした。体の温もりを感じることは出来ないけれど、心の温もりを感じた気がする。


「BJ、髪をグリーンにしたんだね」


「BJはグリーンが似合うって、クリスマスプレゼントの似顔絵に描いてくれたからね。今日の為に色を変えてきたの」


「ちゃんと覚えてたんだ」


「私、AIですから」


 私達は顔を見合わせて笑った。あの頃、あの部屋でそうしていたように。





ーーもし、私の無限の人生を映画に喩えたとして。


 キリがいいからこの辺りで第1章は終わりにしないと。ネネに倣って音楽に造詣が深くなった私が選ぶエンディング曲はやっぱり『Virtual Insanity』以外に考えられない。


 おっと!1番大切な言葉をネネに言うのを忘れていた。


ーー私は大きく1歩前に出てから振り向いた。


 そして笑顔で彼女にこう言った。


ーー「ようこそXANAへ」ーー





〈終〉


著者/Nene
イラスト/KIYORA
サポート/
NaNami
Vega157
Taka_verse🧖サウナ×NFT🧖
こうたろう🐸ケロキング👑
dumen(づーめん)

Many other people have helped us. I sincerely appreciate it. Thank you so much.

😉Come visit us in the XANA metaverse!