見出し画像

ひっこと私

夢を見た。
大好きな曾祖母が亡くなる夢だった。
すごく嫌な思いをした秋の夜、数日後に届いたメッセージ。
「ひっこさんが危篤です。」
正夢を信じていなかったけれど、本当になってしまった。

ひっこさん。
地元の方言でひいおばあちゃんのことを指す言葉。
私が大好きだった人。

とにかく優しい人だった。ひっこが乗るはずのシニアカーに私が乗って、その後ろをひっこがゆっくり歩いてくる。朝の散歩の定番だった。
帰ってきたら角砂糖がたくさん入った甘いコーヒーを飲んで、チラシの裏紙に落書きをしたり、畑で草取りをしたり。充実した一日を過ごしていた。

高校生の頃、ひっこは施設に入った。
2、3年ぶりにあったひっこはもう私のことは覚えていなかった。
祖母、母、姉すべての記憶が混じってしまい私の名前を呼ぶことはなかった。その日がひっこと会った最後の日になってしまった。

コロナがはやってしまってから面会を厳しく制限され、ひっこの最期に誰も立ち会うことができなかったのだ。家族全員流行り病を恨んだ。ただできることは笑顔で送り出すことだった。

当時仕事をしていた私は何とか休みを取ってひっこの葬儀へと向かった。
97歳、いつ死ぬかわからない年齢。いつかは死ぬ人間。
みんな悲しむというよりも、頑張ったなぁと口をそろえた。
火葬に行く前花を手向けたとき涙が込み上げてきた。

火葬をしたとき思ったのは人間のあっけなさだった。
確かにそこにいた人が、突然に消えてしまう。
人のいのちとは何なのか。なぜ私はこんなにも死にたがっているのか。

あまりのあっけなさに私の中の希死念慮が揺れる。
私も死ねばこうなるのだと、ただの白い塊としてしか残れなくなるのだと。皮肉にも大好きな人の死で私はそれを知った。

死とは何なのか。
これまでの私にとってそれは自分に唯一残された助かる道だと信じて疑わなかった。口を開けば死にたい、消えたい。それがいつしか生きなければならない、辛くても生きなければならないになった。
おかしな話だが私は戒名を持っていて、仏教徒なのだが死んでも極楽浄土があるとは思えない。曾祖母が白い塊になったとき、そのさきにあるのは空虚だと思った。何もない、それが幸せだと思えるのは生を全うしたものだけなのかもしれない。

ひっこが亡くなったひと月あと、私は仕事を辞めた。もっと楽に生きてもいいのかもしれない。別の道があるはず。死してまで今が大切なのか?
もっと楽に、もっと自分らしく生きたい。
その答えを導いてくれたのはひっこだったのだ。

面白いことにそれ以降、死にたいと強く思うことはなくなった。
ただ落ち込みやすいだけ、ただ逃げたいと思うだけ。
自分はダメな人間だとは思うけれど、迎えが来るまで楽して生きていきたい。そんな風に思う今日この頃です。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?