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自己紹介note

今回気合を入れて書いてみます。自己紹介noteです。長文になりますが私の人となりがわかると思いますのでぜひ一読くださいませ。写真は小学校の入学式の写真です。既に顔が生意気です。

【現在】
44歳。既婚。子供3人(小学6年長男、小学4年次男、小学1年長女)
ネオキャリア、一筋22年です。

【出身】
1978年北海道の中標津というとてつもない田舎で生まれています。人口が2万人に牛が3万頭?ぐらいいます。3人兄弟の末っ子。4つ上の姉、2つ上の兄そして私です。父、母ともに7人兄弟なので従兄弟がたくさんいます。

【幼少期】
幼少期は両親が共働きだったので保育園でした。両親がお店(飲食店、いわゆる町の大衆食堂的な感じです)をやっており、父の兄弟がみんなでお店を切り盛りしていた感じでした。お店と家が繋がっていて、常に兄弟従兄弟達でワイワイ遊んでいた記憶があります。家の二階には宴会場があり、そこの大広間で紙飛行機を飛ばしたり、ミニ四駆(今じゃ死語かw)を走らせたり、、、とにかく子どもたちで日々楽しく遊んでいた感じです。

【小学校・中学校】
小学校、中学校といわゆる悪ガキでした。書けない事が沢山ありますが、書けるレベルの悪すぎたエピソードとしては、
・悪さしすぎて小学校3年のときに先生に足を持たれ逆さまにされ、窓からぶら下げられ、落とされそうになりました(私が悪いのですが)
・小学校5年のときに体育館の裏でプロレスしていてバックドロップしたら友達が大怪我をしました(本当に偶然です…)
・小学校6年のときに先生に指導されグーパンチで殴られました(私が悪いのですが)
・中学校は書けることがないぐらい酷かったですが、とりあえず学校の偉い人に「今までの当校の歴史の中でこんなに問題を起こし続けたのは後にも先にもお前だけだ」と言われました
・地元の高校受験を当日ボイコット(いわゆるバックレってやつです)しました(多分兄と同じ高校に行きたくなかったんだと思います)
※ちなみに父親はPTA会長、その後町長もやっていたので、大分迷惑かけたと思います。

とにもかくにも、めちゃくちゃだった(面白かった)のですが、凄いのは親っ!両親から一度も怒られた記憶がありません。諦めていたのか、私の性格を理解していたのか、特に母親はそういう意味では凄い忍耐力だったと思うのですが、いついかなるときも私のあらゆる行動を肯定し続けてくれました。当然道を踏み外した行為に関しては厳しく言われましたが、それ以外のいわゆる「若気の至り」的なものに関してはずっと認めてくれていました。「亮一は凄い子なんだよ」と言われて育てられました笑。この両親の育成方針によって「とてつもない自己肯定感」という武器が手に入りました。あれだけやんちゃでも認め続けてくれることはもはや奇跡であり、両親に感謝ですが、社会に出てから継続し続けられているのは親のおかげじゃないかなと思っています。本当に心の底から尊敬しています。 ※そしてうちの父親は社会に出てからは「とにかく周りに感謝をしなさい」と言い続けています。

【高校】
さて、そんなこんなで高校は札幌(自分の田舎から車で6時間以上かかります)に行きまして寮生活でした。最高に楽しい3年間でした。入学二日目に「君はそうとう入試の結果が悪かったから何もしないと留年するよ。」と言われ「マジか!!」とかなりショックを受けた記憶があります(ちなみに中学時代は常に学年で下位ベスト10でした。田舎で下位ベスト10入りをし続けるのはまぁまぁ凄いです)。その結果、一番最初の中間テストのときに初めての勉強というものをしてみました。すると、、、360人中30位になり、「お…!俺ってもしかしたらやればできる子?」と勘違いをし、それから勉強が楽しくなりました。1年目の最後には6位まで行き、2年目からは理系コースでずっと学年トップを取り続け、行くつもりもなかったのですが学校が推薦をしてくれるということで、東京の日本大学に行きました。
※ちなみにここでもオチがあり、元々理系だったのでたった1枠しかない理工学部の推薦をもらったのですが、諸事情ありまさかの面接で落ちる(学校でも初めてのことだったようでw)、という奇跡があり、その後たった2枠しかない商学部の推薦をもらい商学部に行くという路線変更も経験しています。

【大学】
大学はアルバイト、麻雀、サークルをぐるぐる回転させてただただ楽しく過ごしていたのですが、アルバイトがそれなりに責任をもたせてもらった仕事だったため、就職活動においてもそういう環境を探してしまいました。就活の軸は「30歳で自由を手に入れること」そのために20代が大事だと思っていました。成長環境、優秀な意識の高い社員がいるところを探していました。当時銀行、証券、保険といった金融機関を中心に廻っていたのですが「この人達とは働きたくない、、、」と思うような方々が続々とでてきてしまい、悩んでいたところ、新卒でも起業させてあげるよと言ってくれる変な会社がありそこに就職しました(直感的なもので決めました)。

【社会人】
2000年4月に出資をしてくれる会社に一時入社。半年間の起業準備を経て、2000年11月にネオキャリアを設立。父親から「社長と政治家は割に合わないし本当に大変だから辞めとけ」という格言をもらっていた私は取締役として設立に携わりました。1年4ヶ月たち、4000万の赤字となり債務超過になり、当時の社長が辞めることに。「お、ここが抜けどきか!」と思っていたら、それなりに活躍していたこともあり、株主から「お前がやれ!」。社員から「西澤がやるんだったら俺ら頑張る!」的な板挟みに会い、「お、まさかの俺か!」的な感じでまさかまさかで2002年4月24歳のときにネオキャリアの社長に就任しました。やるからにはコミットしようということで、1年半で4000万黒字を出し元に戻しました。雇われ社長として続けていたのですが2008年8月に株を買い戻させて頂き自身がオーナーになりました(30歳で自由を手に入れるつもりが、2億個人で借金しまして人生決まりました笑)。
その翌月の2008年9月にリーマン・ショックがあり会社も個人もギリギリの戦いでしたがなんとか乗り越えました。
リーマンショックのタイミング、2011年東日本大震災のタイミングで色々自身としても壁にぶつかり、内省が多くありまして、mission、vision、valueの原型となる「ネオキャリアステートメント」を作りました。そして経営スタイルを大幅に変え、マイクロマネジメントから権限移譲型に変えていきました。結果、

第10期  22億円   150%
第11期  40億円   180%
第12期  73億円   180%
第13期  118億円   160%
第14期  174億円   150%
第15期  252億円   145%
第16期  338億円   134%
第17期  431億円   127%
第18期  520億円   121%
第19期  553億円    106%

こんな感じで伸びました。社員にも経営者向けにもよく言っているのですが
「どうありたいのか」我々の会社でいうphilosophy、Value
「どうなりたいのか」我々の会社でいうmission、vision
この2つが定まると人も組織も会社もブレずに成長し続ける事ができるなと思っており、当社が定まったのが2010年でした。色々ありましたが成長し続けることが出来ました。


【会社】
https://www.neo-career.co.jp/

①人材領域
新卒採用支援、中途採用支援、アルバイト採用支援を求人広告、紹介、RPO、その他様々な方法でご支援しております。また、エンジニア派遣、コールセンター・事務派遣、その他特化型の派遣サービスも行っています。

②保育・介護領域
保育業界・介護業界周りに対する採用支援、施設運営。生産性向上のためのSaas展開など業界全体の労働力確保、労働生産性向上を担います

③海外領域
アジア各国にて人材紹介ビジネスを展開しています。コロナで大変ですが頑張っています。

④HR tech(Saas)
人事向けSaasプラットフォームサービスJinjerを始め、給与前払いサービスのenigma、Web会議システムCalling、スキマ時間求人プラットフォームwakumo、LINE連携採用管理ツールmochica、など展開しています。
https://hcm-jinjer.com/
https://www.enigma.co.jp/pay/
https://www.calling.fun/
https://wakumo.jp/
https://official.mochica.jp/


【未来】
①〜2030年まで
mission:ヒトとテクノロジーで一人ひとりの価値ある未来を実現する
vision:アジアを代表するサービスカンパニーを創る

mission、visionが明確なので上記を達成します。ビジネスで社会課題を解決する、日本最大の国家課題である少子高齢化へ対抗すべく、労働力を増やす、労働生産性を上げる、シンプルにこの2つへのアプローチを続けていき、我々の存在があったからこの国が良くなったと言われる会社を創り上げます。そのためにも一定の影響力を持つために規模も重要だと思っていますので、2030年には兆単位でビジネスが展開できている姿を実現すべくコツコツ取り組んでいきます。必ずやり遂げます。

②2030年〜2060年まで
一定のタイミングで後継者を育て、第2世代にバトンタッチをすることを宣言しています。当然オーナーとして何らかの関わりを持っていきますが、一旦ラインを引いています(当然未来のことなのでどうなるかわかりませんが)。その後は自分の大好きな北海道をアジアで最も豊かな地域にすべく自分にできることを探して取り組んでいこうということを決めています。

③人生を通して
社会に出てからは、自分がやりたいことをやってきたというよりは、仲間にお客様に株主に必要とされ、皆の期待に応えるために頑張ろうという想いを持ち続けて取り組んできていますしその気持は今も変わりません。特に40歳を過ぎてからは自分の強みや特徴、何に貢献できるかもわかってきていますので、自分の役割を全うすべく取り組み続けます。自分が大切にしていることは、「楽しむこと」です。楽しいか楽しくないか、ではなく、起こっている事象に対して「楽しいと思うか思わないか」が大切だと思っています。

以上自己紹介でした。最後までお付き合いをいただき有難うございました。

最後にTwitter最近頑張っています。是非フォローしてください!
https://twitter.com/NC_nishizawa


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