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エッセイ23, 24, 25

「エッセイ23 脳内情報が交換出来たら良いのに」

面白い夢を見たんだよ。
すっごくキレイな景色を見たんだよ。

どれだけ伝えたくても、脳内の情報を他者に完全に伝えるのは不可能だ。

光があるから、闇がわかる。
闇があるから、光がわかる。

私は、これを言ってきた。
だけど以前、それを相手に伝えるのが難しいことがあった。

音もそうだ。

分かり合えないよ、人なんて。

だから伝えようとするし、聞こうとする。
でも時々、情報伝達の出来る物があったら良いなって思っちゃう。

「エッセイ24 ラベル貼りされんの嫌いです」

ラベル貼り(=レッテル)
これが、私は結構嫌いだ。

「わかるよ」って言う人ほど、
なぁ、お前さっき何を分かったか言ってくれんか?ってなる。

「〜〜っぽい」などのキャラ付け。
ガチの陽キャとか、パリピとか…本気でうるせーなって思う。
絶滅してくれ、そんな区別する文化。

「○○だから」も好ましくない。
それが、人を傷つける場合は特に。

「○○だから」
出来て当然、やって当然、然るべき。
そんな完璧な人はいないから、ロボット搭載でもしたら良いですよ?

「○○だよね」
何よりもまず、人は道具じゃないんだぞ。

レッテルという名の決めつけよりも、新しいことを発見して欲しい。

って言いつつ、自分も知らずにやってるんだろう。
注意しなくちゃ。

「エッセイ25 絵本あげるから」

「楽しそうに話してるとこ悪いんだけど、難しいわー」

なんだって!?!?

これは、仲良くなった人にほど言われがち。
通じてるだろうという、自分の驕りだ。

それでも私が楽しそうに話してるなら良いよって、
ずっと聞いてくれるのは本当に嬉しいし、感謝しかない。

帰り際に絵本をもらう。何冊目だろう?

「絵本も良いよ」
「その難しい話を、絵本くらい分かるようにしてみて」

大事に本棚にしまってから、もらった絵本を眺める時間が幸せ。

文字のない絵本もあるから、絵本の方が難しいと思うんだけど。
こういうこと言ったら、また絵本増えるかな?



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