見出し画像

謎の唐津焼との出会い

珍の山唐津 徳利

 富治は、西荻窪にある骨董屋の店内のテーブルに置かれた一風変わった徳利を見ながら店主と話をしている。

「電話でお話した通り、船岡左馬之助は私の母方の祖父の兄なんですよ。」
「この通り、箱の蓋にの船岡左馬之助の裏書がありますよ。」
「おー。ありますね。佐賀の自宅から大正2年に掘り出されたものと書かれていますね。この徳利を見ていると、不思議な出会ってあるんだなと思います。」
「私としても、自分が手に入れた物がこうして関係ある方の手に渡るというのは商売冥利につきます。」
「徳利にしては大きすぎるようですが。5合くらいは入りますよね。」
「江戸時代の徳利は大きなものが多いですね。あの時代は濁り酒が主で、アルコールの度数が低かったために大きな徳利が使われていたようです。」

 それから富治は、徳利の首の部分が奇妙な形になっている訳などについて店主とおしゃべりした後に、値段を聞き、言い値の5万円を払い、木箱に入った徳利を抱えて店を後にした。

 数日前、富治は定年で会社を辞めた後に厄介になっている会社の仕事で、佐賀市に出張することになった。佐賀市に行くことが決まった時、北九州に住む従兄弟が以前「佐賀市に、勝三爺さんの兄で左馬之助と言う人が建てた銀行の社屋が今も残っている」と話していたことを思い出した。
 せっかく佐賀に行くのなら、左馬之助の建築物を見てみたいと思い立ち、Yahooの検査サイトで船岡左馬之助、建築物と打ち込んでみた。すると幾つかヒットしたが、その中に「古美術 仙遊堂ー珍の山唐津 徳利 船岡左馬之助氏が自宅を建てる時に地中から掘り出したもの」とあるのに目を引かれた。

 左馬之助ゆかりのものの存在を知って嬉しくなった富治は、すぐに電話をして仙遊堂に駆けつけた。こうして不思議な徳利を手に入れたものの富治には、この徳利は本当に左馬之助の庭から出たものだろうか、船岡左馬之助とはどんな人だったのだろう、珍の山唐津の珍の山って地名だろうか、次々に疑問が湧いてきた。
 Yahooで判明した左馬之助設計になる建物を見るだけでなく、手に入れた焼物の真贋、左馬之助の人物像及び、焼物のの奇妙な名前の由来を知りたくなった富治は、仕事が終わった次の日も佐賀に滞在することにした。

(2024.01.26)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?