ネリマ富士

後期高齢者の仲間入りを果たしたのを期して、日々の出来事、気づきそして思いを綴ってみよう…

ネリマ富士

後期高齢者の仲間入りを果たしたのを期して、日々の出来事、気づきそして思いを綴ってみようと思い立った。老いを受け入れたくない自分と、受け入れざるを得ない現実の間での葛藤を客観化して、老いの楽しさ、おかしみを表現したい。

最近の記事

老人は バス・タクシーが 頼りなり

 バス停のポールに赤地に白抜きで【急告】と記した張り紙があった。何事かと思ってみると、「4月から土曜日も休日ダイヤで運行する」との知らせである。「乗務員の人員不足ならびに自動車運転手の基準改正への対応のため」と理由が書かれていた。「2024年問題」が、早くも我が身に降りかかってきたのだ。  ニュースでは「2024年問題」を、新たな残業規制でトラックの運転手が不足し、それによって物流が滞り、経済全般に影響が及ぶ問題として取り上げられていた。しかし、問題は物流だけでなく人流にも

    • 買収の 行方を決める 労組かな

       日本製鐵は最近、アメリカのUSスチールを買収すると発表した。USスチールの経営陣は既に買収に同意しているそうだが、この案件を実現させるには鉄鋼業界の労働組合の同意が必要だと報じられている。  若い頃に、働いていた会社で労働組合の役員を経験した者として、この買収に対してアメリカの鉄鋼労連がどれだけの影響を及ぼし得るのか、今後の推移に興味が湧く。この話と逆に、USスチールが日本製鐵を買収することを想定した場合、日本製鐵の労働組合がそのような経営判断に影響力を与えることは難しい

      • 手習は 始める歳を 選ばない

         4月から某大学の社会人講座の科目「基礎からのエッセイ教室」に通い始めた。3年前に始めた「老境自在」は、「エッセイもどき」だと思っている。この「もどき」をなんとか取り除き、たいと思い受講することのした。  毎回、講師が出す課題に従い、600字のエッセイを書く。講師がそれに赤ペンを入れて返してくれる。最初の課題は、「節目」である。  さて、自分にとっての「節目」は、いつで、なんだったのだろうか。講師は、「節目とは、人生の中で幾度か訪れる転機の内で最もインパクトの大きなものを指

        • 縦が横 横が縦へと 変わるとき

           日本語の文章は、縦書きと横書きの2種類がある。元来、日本語の文章は、中国語や朝鮮語と同じく縦書きであった。横書きのはじまりは、江戸時代にオランダ語で書かれた本の翻訳本であるとされている。横書きは、明治時代に西洋化の進展とともに広がっていき、第二次大戦後にG H Qのローマ字導入推進策などがあって確固たる地位を確立した。  昨今、漫画の世界で、横から縦への変化が起こっているという。スマホで漫画を読む人が増え、縦描きの方がスマホに適していることからそうなっているようだ。漫画は

        老人は バス・タクシーが 頼りなり

          ボランティア 八十路近づき 尻込みす

           先日練馬区のマッチングフェアに行ってきた。マッチングフェアといっても、婚活ではなく、ボランティアをしてほしい人としたい人を結びつける集まりだ。  会場の練馬区民交流センターの入り口で、来場目的を書く紙を渡された。テーブルに置いてあった鉛筆をとって、その用紙の記入欄に従って、氏名、年齢、 ・目的:社会貢献と人との交流 ・内容:公園の掃除等 ・特技:なし  と記入して、会場に入った。  どんなボランティアグループが募集をかけているのだろうかと会場を1周してみた。子供食堂を運

          ボランティア 八十路近づき 尻込みす

          ローマから オスマントルコに 馳せる夢

           塩野七生の「ローマ人の物語」を読んだのは、今から20年近く前の還暦が近づいた頃だった。当時の新聞の書評欄で取り上げられて興味を持ったのが、この本を読むきっかけだった。文庫本で43巻(単行本では15巻)の長編で読み終わるのに数年を要した。  大学受験を日本史で受けたせいか、ローマの歴史について無知だったので、ローマが生まれてからヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがる大帝国を築いていく話は、驚きの連続で長編を最後まで読み切った。それから10年後、古希を迎える頃に出たヤマザキマ

          ローマから オスマントルコに 馳せる夢

          アルコール 低めが今の トレンドか

           ビールのテレビCMが最近増えたように感じる。ビールメーカーが「若者のアルコール離れ」をなんとか食い止めるために、若者向けのCMを増やしているのだろうか。「若者のテレビ離れ」と言われて久しいのに、テレビにCMを打ってはたして効果があるのだろうか。  そんなCMの中に、オヤと思うキャッチフレーズがあった。 「ビールとの新しい付き合い方が始まっている。」 「やりたいことを楽しむためのビール。」  ターゲットを若者に絞ったCMのようだ。  飲んでもゲームをしたり、ドラマを一

          アルコール 低めが今の トレンドか

          散歩道 マックに寄れば 世界見ゆ

           ウエッブに、「マクドナルドの売上がイスラエル・ガザ・ボイコットで落ち込んだ」とのニュースが上がっていた。散歩の途中でコーヒーを飲みにマックに寄るようになって、マックに関するニュースが目に止まるようになった。この見出しでは何のことやら分からないので本文を読んでみた。  イスラエルのフランチャイズ店を経営するオーナーが、ガザに攻め入ったイスラエル軍の兵士に無料でバーガーを提供したことが発端で、アラブ諸国、パキスタン、マレーシア等のイスラム諸国でマクドナルド・ボイコット運動が起

          散歩道 マックに寄れば 世界見ゆ

          風温み 心のつぼみ ほころびぬ

           春のような陽気になった先週の土曜日、少し長めの散歩をしようと家を出た。いつもと違う道に入って行くと、青い空に黄色い花をたわわにつけた木が目に飛び込んできた。立ち止まってその木の立つお宅の塀のそばに寄って行った。  庭で中年のご夫婦が、黄色い小さな花がビッシリとついた枝を切って花束を作っておられた。 「綺麗な花ですね。これは何というか花ですか。」 「ミモザです。」 「ミモザって、こんな大きな木なんですね。写真を撮っても良いですか。」 「構いませんよ。どうぞ。」 スマホを取り

          風温み 心のつぼみ ほころびぬ

          謎の唐津焼 夢か現か

           富治が乗った福岡空港発、羽田往きの飛行機は水平飛行に入った。離陸時の緊張も解けて、脳裏に今日1日、佐賀で出会った人々の顔を浮かんぶと同時に、色々な思いが湧いてきた。  船岡家の裏の家の夫人、徴古館の女性職員、旧古賀銀行の管理人、なんの前触れもなく偶然に会ったにも関わらず、どの人も親切だったなあ。  船岡家の裏の夫人が言っていた「掃除に訪れる娘さん」とは誰だろう。左馬之助の娘ってことはないので、左馬之助の長男公造の娘さんだろうか。そうだとすると、私と同年輩の女性だな。  

          謎の唐津焼 夢か現か

          謎の唐津焼 掘り出した人

           富治は、旧古賀銀行本店の前に立っている。幅が20メートル以上ある赤レンガ作りの2階建である。正面玄関のドアの窓ガラスに、「佐賀市歴史民俗館 旧古賀銀行」と書いた案内図が貼ってある。  入り口のドアを開けて入り、受付の奥の事務室で机向かっている男性に声を掛ける。男性はにっこり笑って席を立って歩いてくる。 「見学ですか。」 「はい、中を見せて頂けますか。」 「もちろん。ご案内しましょうか。」 「いいんですか。是非お願いします。」 窓口の脇にある扉を空けて出てきた男性に、 「私

          謎の唐津焼 掘り出した人

          謎の唐津焼 出土した場所

           富治は、徴古館のホール脇の小部屋で、地図と住所録を持ってきてくれた職員に話しかける。 「早速にありがとうございます。実は、私は西のお濠端にある船岡家の縁戚の者で、江戸時代あの場所に誰が住んでいたかを知りたいのですよ。」 「そうでしたか、この地図はどれも江戸時代のものですが、西のお濠沿いの土地はほとんど鍋島姓の屋敷ですね。鍋島藩には藩主だけでなく鍋島姓の上級武士が複数いましたので、そのような人たちが住んでいたと考えられますね。」 「そうですね。市のホームページの『佐賀の歴史・

          謎の唐津焼 出土した場所

          謎の唐津焼 その正体は

           富治は佐賀での仕事を終え、佐賀城の西濠沿いの道に面した大きな家の門前に立っている。門の脇に、佐賀市の指定建造物、船岡邸と書いた看板がある。祖父、船岡勝三の兄である左馬之助がこの家に住んでいたのだ、この家の庭から珍の山唐津の徳利が掘り出されたのだと思うと、気持ちが昂ってきた。  案内を乞おうと門を入り玄関まで進んだが、呼び鈴らしきものは見当たらない。静まりかえっていて人の気配がない。庭に続く枝折り戸が開いていたので、恐る恐る庭に入って行くと、飛び石を配した大きな池が現れた。

          謎の唐津焼 その正体は

          謎の唐津焼との出会い

           富治は、西荻窪にある骨董屋の店内のテーブルに置かれた一風変わった徳利を見ながら店主と話をしている。 「電話でお話した通り、船岡左馬之助は私の母方の祖父の兄なんですよ。」 「この通り、箱の蓋にの船岡左馬之助の裏書がありますよ。」 「おー。ありますね。佐賀の自宅から大正2年に掘り出されたものと書かれていますね。この徳利を見ていると、不思議な出会ってあるんだなと思います。」 「私としても、自分が手に入れた物がこうして関係ある方の手に渡るというのは商売冥利につきます。」 「徳利に

          謎の唐津焼との出会い

          被災地に 平安あれと 祈るのみ

           孫達も来て新年会を始めた途端に、能登半島地震の強い揺れを感じた。家族全員が暫くテレビに釘付けになり、新年会どころではなくなった。しかし、心配した津波が、輪島での測定値で1.2メートルだと分かったところで、テレビを消して新年会を再開した。  現地の情報が入ってくるに従って、徐々に地震の被害の大きさが増していった。ただし、被害の全容が掴めたのは、地震発生から10日も経ってからだった。能登半島の地形的な特異性を踏まえても、実態把握まで時間がかかり過ぎだと感じた。被災地での救援活

          被災地に 平安あれと 祈るのみ

          振り袖に 若者気質を 垣間見た

           街に振り袖姿が目立つと思ったら、今日は成人の日だった。この街、吉祥寺には17歳から22歳まで住んでいたこともあり、今からおよそ60年前の自分の成人式を思い出した。武蔵野市主催の式典に行くため、親に送られて背広姿で家を出たことは覚えているのだが、式場がどこだったか、会場の雰囲気がどうだったかとなるとトント思い出せない。あの頃も女の子は振り袖を着ていたかな。白いストールを肩にかけていなかったとは思うが。  私が成人になった後に、日本経済は高度成長期を迎え、世の中が華美に流れ、

          振り袖に 若者気質を 垣間見た