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謎の唐津焼 掘り出した人

旧古賀銀行の内部

 富治は、旧古賀銀行本店の前に立っている。幅が20メートル以上ある赤レンガ作りの2階建である。正面玄関のドアの窓ガラスに、「佐賀市歴史民俗館 旧古賀銀行」と書いた案内図が貼ってある。

 入り口のドアを開けて入り、受付の奥の事務室で机向かっている男性に声を掛ける。男性はにっこり笑って席を立って歩いてくる。
「見学ですか。」
「はい、中を見せて頂けますか。」
「もちろん。ご案内しましょうか。」
「いいんですか。是非お願いします。」
窓口の脇にある扉を空けて出てきた男性に、
「私は、門馬富治と申します。実は、この建物を設計したの船岡左馬之介の縁戚の者です。」
「ここの管理をしている市の嘱託で井上と申します。船岡左馬之助のご親戚の方だとすると、丁寧にご案内しないといけませんね。」

 事務室前の廊下を進み扉を開けると2階まで吹き抜けの大きな空間が出現した。1、2階の窓から光が降り注ぎ、ホール全体が輝いている。
 それから、木製の階段を上がり、2階にある支配人室や応接室を見て回った。どの部屋も明るくしかも落ち着いた雰囲気だ。

「ご案内頂きありがとうございます。素晴らしいですね。親戚が言うのも何ですが、船岡左馬之助は凄い建築家ですね。」
「そう思われますか。船岡左馬之助は、佐賀の辰野金吾とも呼ばれています。」
井上は、自分の管理する建物を褒められて気分を良くしたのだろう。
「この建物を改修した際に作成した資料がありますので、今持ってきます。暫くお待ちください。」
と言って、事務室の方に歩いて行った。

 富治は、井上が持ってきてくれた「旧古賀銀行及び古賀家保存修理工事報告書 佐賀市重要文化財」(平成14年)を、吹き抜けのフロアーに置かれたテイブルの上に広げて食い入るように見ている。
「左馬之助の来歴等が詳しく書かれていますね。この『第2節 船岡左馬之助』の部分をコピーして頂けたますでしょうか。」
「いいですよ。少し待ってて下さい。」

 報告書には左馬之助について、佐賀県立佐賀工業高校に入学して建築を学んだ後に、佐賀県庁の営繕課で働き、大正2年に県庁を退職、独立して船岡工務店を設立したと記されていた。加えて、左馬之助の顔写真と作品の一覧表が載っていた。

 富治は、井上に、建築物を案内するだけでなく、貴重な資料まで見せてくれたことに丁寧にお礼を言って、旧古賀銀行本店を後にした。

(2014.02.17)

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