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謎の唐津焼 その正体は

お濠端に立つ屋敷

 富治は佐賀での仕事を終え、佐賀城の西濠沿いの道に面した大きな家の門前に立っている。門の脇に、佐賀市の指定建造物、船岡邸と書いた看板がある。祖父、船岡勝三の兄である左馬之助がこの家に住んでいたのだ、この家の庭から珍の山唐津の徳利が掘り出されたのだと思うと、気持ちが昂ってきた。

 案内を乞おうと門を入り玄関まで進んだが、呼び鈴らしきものは見当たらない。静まりかえっていて人の気配がない。庭に続く枝折り戸が開いていたので、恐る恐る庭に入って行くと、飛び石を配した大きな池が現れた。池越しに母屋を見たが、窓は全て閉まっている。

 仕方なく外に出て、人が住んでいるのかどうかを聞いてみようと、屋敷の裏の民家に向かった。その家に近づいた時、中年の夫人がタイミングよく出てきた。

 富治は、思い切って声をかける。
「あのーすいません。私は門馬富治と申します。隣の船岡さんの縁戚の者です。何の連絡もしないで尋ねてきたのですが、誰もおられないようなんです。留守なのか、それとも誰も住んでいないのか、ご存知ですか。」
少しびっくりした顔をされたが、私の姿を見て怪しい人間ではないと思われたのだろう。
「はー、お隣には誰も住んでおられませんが、娘さんが時々来られて掃除をされていますよ。」
「そうですか。ありがとうございます。」

 住んでる人がいれば、左馬之助や珍の山唐津について尋ねてみようと思っていたが、残念ながらダメだな。しかし、左馬之助の家であり且つ、徳利の掘り出された場所が確認できたのだからよしとしよう。

 富治はそう自らに言い聞かせ、次の目的地である左馬之助が関わった言う銀行の社屋を目指して歩き出した。お濠に沿った道を暫く行くと、徴古館と書いた看板が見えてきた。徴古館と言うからには、古い資料が集められているに違いない。ひょっとすると、船岡家や珍の山唐津に関する資料もあるのではないかとの思いが浮かんだ。

 富治は、徴古館の古めかしいドアを押して中に入り、玄関ホール脇の窓口にいた職員に話しかける。
「お城の周辺の古い地図はありますか。そこにどんな人が住んでいたかなんて分かりますか。」
「江戸時代の地図ならありますよ。それから、佐賀藩の役職をまとめた資料があったと思います。」
「その地図と資料は、見ることができますか。」
「問題ありません。今持ってきますから、こちらの部屋でお待ち下さい。」

 富治は、職員に案内されて、玄関ホールの隣の小部屋に入った。来てよかったと思いつつ椅子に座って待っていると、職員が地図と分厚い本を持って部屋に戻ってきた。

(2024.02.02)

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