見出し画像

【西武ライオンズLEGEND GAME】選手名鑑

西武ライオンズ史上初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」が3月16日に開催されます。
開催が発表されてから本当に本当に本当に楽しみにこの日を待っていました。
色々と書きたいことはあるのですが、出場予定選手の選手名鑑を作りました。

なお記載している成績はライオンズ在籍時のみのものです。
移籍先のチームで何勝しようが、何安打しようが書いてありません。コメントも極力ライオンズ在籍時の情報に絞っています。
3月16日、フィールドに散らばるのはライオンズ戦士のみ。スタンドを埋め尽くすのもライオンズファンのみ。
ライオンズファンの皆さん、ライオンズに溺れましょう。

※年齢は3月16日時点

監督

東尾修【チームLIONS】

1950/5/18 73歳
697登板 537先発 247完投 251勝 247敗 23S 4086 投球回 1684奪三振 1588自責点
防御率3.50 K9.8% BB6.4% K-BB3.4% WHIP1.27
戦力不足の福岡時代から、黄金時代まで「ケンカ投法」で投げ続けた球団最大の功労者。勝敗・投球回などあらゆる部門で球団歴代トップに立つ。95年からは監督として投手王国を築いた。広岡達朗監督の管理野球に反発してヤカンでビールを飲んだ逸話も。

田淵幸一【チームSEIBU】

1946/9/24 77歳
598試合 516安打 154本塁打 400打点 4盗塁
打率.253 出塁率.339 長打率.511 OPS.850
新生ライオンズの目玉として1978年オフにタイガースからトレード加入。在籍6年で154本塁打と期待に応え、盟友・東尾修とともに悲願の優勝も味わった。自身がモデルの「がんばれ!!タブチくん!!」で全国的な人気にも大きく貢献。


投手

松沼博久【チームLIONS】

1952/9/29 71歳
297登板 266先発 76完投 112勝 94敗 1S 1662 投球回 975奪三振 744自責点
防御率4.03 K14.0% BB8.0% K-BB6.0% WHIP1.23
髭がトレードマークのアンダースローの「兄やん」。弟・雅之とともに1979年に入団。チームの開幕12連敗を止め新生ライオンズに初勝利をもたらした。新人から2年連続200イニング、通算7度の規定投球回。現在は解説でファンのような癒し系発言を連発。


森繁和【チームLIONS】

1954/11/18 69歳
344登板 81先発 22完投 57勝 62敗 82S 939 投球回 455奪三振 389自責点 防御率3.73 K11.5% BB7.3% K-BB4.3% WHIP1.25
所沢移転直後のドラフトで1位指名を受け入団すると、1年目から200イニングと大車輪の活躍。1983年には59登板34Sとリリーフでも力を発揮した。2004年からドラゴンズで落合監督と名コンビを組んだが、落合に森のことを推薦したのはライオンズ管理部長を務めた根本陸夫。

松沼雅之【チームLIONS】

1956/7/24 67歳
241登板 149先発 51完投 69勝 51敗 12S 1142 1/3投球回 625奪三振 460自責点
防御率3.62 K13.1% BB7.9% K-BB5.2% WHIP1.25
ドラフト外での入団時にはジャイアンツとの激しい争奪戦となったが、「兄弟合わせて2人で契約金1億5000万円」が決め手になりライオンズ入り。1980年から5年連続二桁勝利でその期待に応えた。解説時には兄・博久と一緒に球場入りすることも。


鹿取義隆【チームSEIBU】

1957/3/10 67歳
289登板 5先発 0完投 46勝 17敗 73S 505 投球回 296奪三振 147自責点
防御率2.62 K14.5% BB6.9% K-BB7.6% WHIP1.14
1990年にジャイアンツからトレードで加入。リリーフの切り札として活躍し、古巣相手の日本シリーズでは二塁走者を牽制で刺してピンチを切り抜ける妙技を見せた。潮崎哲也・杉山賢人とのリリーフトリオは「サンフレッチェ」と呼ばれた。

杉本正【チームLIONS】

1959/5/3 64歳
110登板 87先発 22完投 33勝 34敗 2S 539 投球回 222奪三振 215自責点
防御率3.59 K9.7% BB7.9% K-BB1.8% WHIP1.33
ルーキーの1981年に初登板初完封で華々しくデビューを飾ると、入団から4年連続120イニングと先発ローテを担った。85年にドラゴンズにトレード移籍。引退後はライオンズを含む各球団でコーチを歴任。

小田真也【チームSEIBU】

1961/1/18 63歳
196登板 3先発 0完投 4勝 6敗 9S 0H 139 1/3投球回 86奪三振 68自責点
防御率4.39 K14.8% BB8.9% K-BB5.8% WHIP1.31
一軍での出番を掴むためにサイドスローに転向。1986年から左のワンポイントとして登板機会を増やし、88年にはチーム最多41登板。現役時代の登場曲は童謡「クラリネットをこわしちゃった」。


郭泰源【チームLIONS】

1962/3/20 61歳
272登板 229先発 92完投 117勝 68敗 18S 1682 1/3投球回 1069奪三振 591自責点
防御率3.16 K15.6% BB6.6% K-BB9.0% WHIP1.14
国際的な争奪戦の末に入団した「オリエンタル・エクスプレス」。剛速球と高速スライダーで打者を手玉に取り、通算117勝は球団歴代5位。伊東も「最高の投手」と評している。専属通訳だった薛森唐はプリンスホテルを経て、富士山麓でホテルを経営。

小野和幸【チームSEIBU】

1962/8/19 61歳
67登板 51先発 8完投 15勝 18敗 0S 332 投球回 202奪三振 155自責点 防御率4.20
K14.5% BB6.7% K-BB7.8% WHIP1.27
高卒6年目の1986年に20先発で6勝と台頭、翌87年には規定投球回をクリア。しかし日本シリーズ中に森祇晶監督が星野仙一監督に平野謙とのトレードを申し込みドラゴンズへ。88年日本シリーズでライオンズ戦に登板するがKOされてしまった。

工藤公康【チームLIONS】

1963/5/5 60歳
320登板 204先発 84完投 113勝 54敗 3S 0H 1575 2/3投球回 1300奪三振 555自責点
防御率3.17 K19.8% BB10.4% K-BB9.3% WHIP1.27
左腕では球団史上最多の113勝を挙げたレジェンドサウスポー。明るいキャラクターで渡辺久・清原とともに「新人類」と評された。1986年の日本シリーズではサヨナラ安打を放ったことも。現役ラストイヤーとなった2010年に47歳でライオンズ復帰。

新谷博【チームSEIBU】

1964/7/14 59歳
193登板 106先発 19完投 51勝 44敗 14S 829 投球回 666奪三振 323自責点
防御率3.51 K19.3% BB7.2% K-BB12.1% WHIP1.20
28歳と遅めのプロ入りだったが、1994年に8先発のみで規定投球回に到達し最優秀防御率のタイトルに輝いた。その後96年まで3年連続の二桁勝利。引退後は女子野球の指導に注力し、ライオンズ・レディースでGMも務めている。

橋本武広【チームLIONS】

1964/9/18 59歳
453登板 0先発 0完投 9勝 12敗 19S 309 投球回 266奪三振 96自責点
防御率2.80K21.2% BB9.6% K-BB11.6% WHIP1.18
秋山らとのトレードで1994年にホークスから加入。投手としては小柄だったが、左のリリーフとして才能が開花し、95年から7年連続50登板以上とブルペンに欠かせない存在に。通算453登板は先発経験がない投手では球団最多。

石井丈裕【チームSEIBU】

1964/10/25 59歳
206登板 133先発 43完投 66勝 46敗 10S 1021 2/3投球回 707奪三振 354自責点
防御率3.12 K17.1% BB5.7% K-BB11.3% WHIP1.12
パームを武器に1992年に15勝を挙げると、歴史的死闘となったスワローズとの日本シリーズで第3戦に1失点完投、第7戦に10回155球を投げ抜き、自らタイムリーを放つ活躍で日本一を呼び込んだ。現在はアカデミーコーチを務める。

渡辺久信【チームSEIBU】

1965/8/2 58歳
370登板 268先発 104完投 124勝 105敗 26S 2014 投球回 1560奪三振 817自責点
防御率3.65 K18.2% BB9.9% K-BB8.3% WHIP1.33
人気・実力を兼ね備えた「トレンディエース」。抜群のスタミナを誇り在籍14年間で2000投球回を投じた。1999年に指導者として台湾に渡ったが、通訳がいないため現役復帰して投げる姿を見せながら指導することに。2008年から監督を務め日本一も経験。現在はGMとしてチーム作りに奔走。

渡辺智男【チームSEIBU】

1967/6/23 56歳
85登板 74先発 31完投 41勝 25敗 2S 556 投球回 408奪三振 207自責点
防御率3.35 K17.5% BB9.2% K-BB8.3% WHIP1.25
高校2年時の夏の甲子園で、KKコンビ擁するPL学園を倒して優勝を飾り一躍全国区に。社会人を経て入団後は1990年日本シリーズで初登板初完封、91年に最優秀防御率に輝いた。94年に秋山らとともにホークスへトレード。引退後はスカウトを務める。

デニー友利【チームLIONS】

1967/9/21 56歳
241登板 1先発 0完投 15勝 13敗 22S 274 投球回 271奪三振 90自責点
防御率2.96 K23.6% BB6.6% K-BB17.0% WHIP1.16
1997年にベイスターズからトレードで加入。威力あるボールで高い奪三振率を残し、リリーフの柱として活躍した。移籍組ながら投手陣のリーダー的存在となり、松坂大輔の兄貴分でもあった。現在はジャイアンツの編成本部長補佐国際スカウト。

潮崎哲也【チームSEIBU】

1968/11/26 55歳
523登板 97先発 9完投 82勝 55敗 55S 1249 1/3投球回 967奪三振 439自責点
防御率3.16 K18.8% BB6.8% K-BB12.0% WHIP1.18
魔球シンカーを武器に1年目からリリーフで活躍。キャリア後半には先発も経験した。ルックスと裏腹に威力あるボールを投げ込む様子をデストラーデは「『うちに遊びに来なよ』と言われて、家に入った途端に殺されるような存在」と表現する。引退後はコーチ・フロントとして在籍。

後藤光貴【チームSEIBU】


1974/8/27 49歳
82登板 48先発 2完投 23勝 14敗 0S 348 1/3投球回 275奪三振 137自責点
防御率3.54 K19.0% BB6.9% K-BB12.1% WHIP1.19
2002・03年に先発として活躍。特に03年は規定投球回をクリアし10勝を記録した。05年にトレードでジャイアンツに移籍するも、翌年にライオンズに復帰した珍しい経歴の持ち主。引退後は近畿地区スカウトとして数々の主力選手を発掘。

土肥義弘【チームLIONS】

1976/9/1 47歳
251登板 0先発 0完投 6勝 10敗 1S 7H 217 投球回 166奪三振 87自責点
防御率3.61 K18.1% BB8.2% K-BB9.9% WHIP1.24
1999年から左のリリーフとして活躍。ローズなど左の強打者たちと対峙してきた。引退後はコーチとして指導力を発揮し、菊池雄星のフォーム固めにも力を注いだ。現在は国際部所属。解説時代の論理的かつ明晰な語り口も印象深い。

星野智樹【チームLIONS】

1977/7/29 46歳
445登板 7先発 0完投 14勝 14敗 3S 105H 330 投球回 303奪三振 138自責点
防御率3.76 K20.8% BB12.1% K-BB8.7% WHIP1.43
ワンポイントを中心に5度のシーズン50登板を果たした左サイドスロー。日本一に輝いた2004・08年も登板数を伸ばし、08年日本シリーズ第7戦では勝利投手となった。埼玉県のキャラクター「コバトン」を胴上げ時にアピールし、知名度アップにも貢献。

岡本篤志【チームSEIBU】

1981/5/20 42歳
265登板 5先発 0完投 11勝 11敗 10S 58H 296 1/3投球回 209奪三振 143自責点
防御率4.34 K15.4% BB9.8% K-BB5.6% WHIP1.63
2010年からリリーフとして一軍に定着して通算265登板。不安定なリリーフ陣の中で様々な場面で登板した。2005年イーグルスの仙台初戦に先発、2016年自身の引退登板ではファイターズが歴史的な逆転優勝と球史に遺る瞬間に何故か縁があった。

十亀剣【チームLIONS】

1987/11/7 36歳
259登板 132先発 8完投 53勝 50敗 3S 21H 921 2/3投球回 628奪三振 408自責点
防御率3.98 K15.8% BB8.3% K-BB7.4% WHIP1.37
規定投球回2度、シーズン40登板2度と様々な場面で腕を振ったサイドスロー。ハマると快投を見せ、2013年には8勝ながら6完投2完封を記録した。21年には引退登板の松坂大輔の後を投げ、無失点に抑えた。引退後はスカウトとして武内夏暉を担当。

高橋朋己【チームLIONS】

1988/11/16 35歳
160登板 0先発 0完投 6勝 5敗 52S 40H 151 投球回 167奪三振 46自責点
防御率2.74 K26.2% BB10.5% K-BB15.7% WHIP1.21
独特なフォームでキレあるストレートを投げ込む「トモミー」。2014・15年に通算125登板51Sを記録したが、その後は怪我に苦しみ、20年に無観客の二軍戦で1球限りの引退登板。今回がファンの前で真の引退登板となる。

宮田和希【チームSEIBU】

1988/11/16 35歳
35登板 0先発 0完投 1勝 0敗 0S 1H 39 2/3投球回 40奪三振 19自責点
防御率4.31 K21.3% BB17.0% K-BB4.3% WHIP1.79
甲賀健康医療専門学校出身の「西武の忍者」。無名の存在ながら素質を買われてプロ入り。奪三振能力は高かったが、制球難が改善できなかった。引退後はアカデミーコーチとして子どもたちに野球の楽しさを伝えており、今季で8年目を迎える。


武隈祥太【チームSEIBU】

1989/11/24 34歳
365登板 10先発 0完投 21勝 15敗 1S 68H 370 1/3投球回 254奪三振 157自責点 防御率3.82 K15.8% BB11.0% K-BB4.8% WHIP1.39
2014年から4年連続40登板。チェンジアップを武器に戦力不足のブルペンを支えた。飄々としたキャラクターで、サプライズ引退表明はファンに衝撃を与えた。引退後は長い髪と肩書で、若手に的確な助言を与える。


捕手

大石友好【チームLIONS】

1954/1/15 70歳
347試合 155安打 10本塁打 77打点 11盗塁
打率.204 出塁率.285 長打率.273 OPS.558
1年目から一軍で起用され、1982年の所沢移転後初優勝にも大きく貢献した。伊東が台頭したことで85年にドラゴンズにトレード移籍。強肩が持ち味で、引退間際の野村克也から「お前の肩を1000万円で売ってくれないか」と冗談を言われたことも。


伊東勤【チームLIONS】

1962/8/29 61歳
2379試合 1738安打 156本塁打 811打点 134盗塁
打率.247 出塁率.319 長打率.363 OPS.681
黄金時代を築き上げた司令塔。通算2379試合出場は球団史上ダントツ。2004~07年の監督時代にフロントとの関係が悪化し、退任セレモニーの花束を自ら用意したエピソードも。球団イベント出演は17年ぶりで歴史的和解の時が来た。


犬伏稔昌【チームSEIBU】

1972/4/24 51歳
116試合 56安打 4本塁打 29打点 0盗塁
打率.295 出塁率.341 長打率.442 OPS.784
2002年に左キラーとして3番に定着すると、打率.307を記録し優勝に貢献。2004年には出場機会こそ少なかったものの、ホークスとのプレーオフでリーグ優勝を手繰り寄せる犠牲フライを放った。

細川亨【チームSEIBU】

1980/1/4 44歳
853試合 480安打 69本塁打 259打点 6盗塁
打率.212 出塁率.265 長打率.360 OPS.625
伊東の後継として2004年から正捕手に定着。低打率ながら二桁本塁打3度と意外性も兼ね備える。2011年のホークス移籍後はライオンズの壁であり続けた。氷川きよしに顔が似ていると言われ愛称は「きよし」。


吉見太一【チームSEIBU】

1980/7/23 43歳
6試合 0安打 0本塁打 0打点 0盗塁
打率.000 出塁率.200 長打率.000 OPS.200
1998年夏の甲子園で横浜高・松坂大輔にノーヒットノーランを喫する。入団後は細川・炭谷らの後塵を拝し出場6試合に終わる。引退後はアカデミーコーチなどを務め、球団制作中継の解説者としても登場。

上本達之【チームLIONS】


1980/11/8 43歳
466試合 168安打 13本塁打 78打点 3盗塁
打率.226 出塁率.280 長打率.315 OPS.595
2010年イーグルス戦での逆転サヨナラ弾、16年の代打での活躍が印象的な「ウエポン」。引退後はコーチ・スタッフを歴任し、栗山・中村の良き話し相手でもある。応援歌は「ライトフェンスを直撃だ」となぜか二塁打狙い。

米野智人【チームLIONS】

1982/1/21 42歳
52試合 16安打 1本塁打 11打点 0盗塁
打率.188 出塁率.228 長打率.235 OPS.464
2010年途中にスワローズからトレード加入。12年ホークス戦でファルケンボーグから逆転満塁本塁打を放ち、文化放送・斉藤一美アナを号泣させた。21年からベルーナドームで「BACKYARD BUTCHERS」を運営。


内野手

土井正博【チームLIONS】

1943/12/8 80歳
805試合 738安打 160本塁打 440打点 14盗塁
打率.267 出塁率.354 長打率.463 OPS.818
近鉄スカウトだった根本陸夫に導かれ高校を中退して近鉄入り。1975年にトレードでライオンズに入団。所沢移転が決まった際には、「俺はどこででも野球をやる」と宣言して動揺するナインを諫めた。通算465本塁打は日本歴代13位。引退後はコーチとして強打のライオンズを作り続けた。

山崎裕之【チームSEIBU】

1946/12/22 77歳
674試合 670安打 88本塁打 326打点 29盗塁
打率.277 出塁率.368 長打率.451 OPS.819
1979年にオリオンズから移籍。西武時代だけで2度のダイヤモンドグラブを獲得したが、32歳シーズンからの在籍6年間で88本塁打とバットでも魅せた。「もう一度優勝したい」と坂井保之代表に相談し、広岡達朗の監督招聘へのキッカケを作った。


行澤久隆【チームLIONS】

1953/7/11 70歳
731試合 308安打 32本塁打 124打点 26盗塁
打率.243 出塁率.280 長打率.383 OPS.663
守備難に苦しむ新生ライオンズに1979年途中にトレード加入。堅守を武器に88年まで選手として活躍すると、引退後はコーチ・スカウトなどを務め、通算34年間球団に在籍した。退団後は日本経済大の監督を務め、東野葵・張奕を輩出した。

石毛宏典【チームLIONS】

1956/9/22 67歳
1726試合 1806安打 235本塁打 835打点 242盗塁
打率.285 出塁率.364 長打率.454 OPS.819
チームリーダーとして黄金時代を作った「ミスターレオ」。首脳陣の会議にも選手から唯一出席するほど信頼を集めた。球団史上200本塁打&200盗塁は秋山と石毛の2人だけ。1806安打も2019年に栗山に抜かれるまで25年間以上トップだった。

広橋公寿【チームSEIBU】

1957/1/11 67歳
536試合 251安打 13本塁打 95打点 31盗塁
打率.274 出塁率.335 長打率.385 OPS.720
1年目から一軍に定着し、内外野をこなすユーティリティとして活躍した。1985年には郭泰源がノーノー投球を続けていた9回2死からフライを落球するエラーを記録したことも。岩隈久志は義理の息子。

辻発彦【チームSEIBU】

1958/10/24 65歳
1296試合 1195安打 49本塁打 428打点 220盗塁
打率.279 出塁率.350 長打率.373 OPS.723
二塁手としてリーグ最多のGG賞8度の守備の達人。2017~22年には監督を務め、リーグ優勝2度を成し遂げファンに愛された。自身の1年目に広岡達朗監督に守備の基礎を叩き込まれたことが、源田など現在のライオンズナインにも受け継がれている。

O.デストラーデ【チームSEIBU】

1962/5/8 61歳
517試合 476安打 160本塁打 389打点 42盗塁
打率.262 出塁率.381 長打率.570 OPS.951

1登板 0先発 0完投 0勝 0敗 0S 0H 0 投球回 0奪三振 0自責点
防御率-  K0.0% BB66.7% K-BB -66.7% WHIP-

秋山・清原和博とクリーンアップを形成した「カリブの怪人」。1990~92年の「3年連続日本シリーズ第1戦第1打席本塁打」はアンタッチャブルレコードだ。再来日した95年には大量ビハインドの場面で登板したことでも知られる。今も日本語はペラペラ。


田辺徳雄【チームSEIBU】

1966/5/11 57歳
1222試合 925安打 87本塁打 441打点 60盗塁
打率.268 出塁率.305 長打率.400 OPS.705
主に6番ショートとして黄金時代後期を支えた。1994年には規定打席未到達ながら打率.338をマーク。引退後には中島裕之・中村・栗山らを打撃コーチとして指導。旧・若獅子寮の中村の部屋をグラウンドへの通り道にしていたことがある。14~16年には監督を務めた(代行含む)。


鈴木健【チームSEIBU】

1970/1/13 54歳
1281試合 1081安打 147本塁打 601打点 12盗塁
打率.275 出塁率.364 長打率.448 OPS.811
AKD砲が抜けた東尾監督時代に4番を務め、1997年にはリーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を放った。毎年20本塁打前後だったが、四球率は毎年10%以上で出塁能力の高さが光った。Xでライオンズ関係の発信を積極的に行う貴重なOBの一人。


高木浩之【チームLIONS】

1972/10/14 51歳
1002試合 643安打 10本塁打 186打点 27盗塁
打率.256 出塁率.313 長打率.311 OPS.624
小柄ながらしぶとい打撃と堅実な守備を見せたセカンド。「繋ぎの9番」のイメージが強く、2002年は打率.272を残しながら、日本シリーズのDH制が使えない試合で9番を務めた。視力低下による引退後はコーチ・スカウトなどを歴任。

高木大成【チームLIONS】

1973/12/7 50歳
720試合 599安打 56本塁打 319打点 67盗塁
打率.263 出塁率.336 長打率.399 OPS.735
慶大出身で端正なルックスから「レオのプリンス」と呼ばれる。打てる捕手として入団したが、伊東の壁は厚く一塁手へ転向し、1997・98年のリーグ連覇に貢献したが、現役後半は怪我との戦いだった。引退直後には球団HPに「大成ラボ」を開設し、ファンサービス時代の到来を感じさせた。

玉野宏昌【チームSEIBU】

1978/6/1 45歳
123試合 54安打 4本塁打 26打点 2盗塁
打率.208 出塁率.250 長打率.285 OPS.535
FA移籍した清原和博から背番号3を譲り受けてプロ生活をスタート。攻撃力不足に苦しむ中で2000年には出場機会を与えられたが結果を残せず。04年オフにドラゴンズにトレード移籍した。兄貴分だった森慎二さんの逝去をキッカケにソニー生命に転職。

石井義人【チームSEIBU】

1978/7/12 45歳
693試合 567安打 29本塁打 180打点 21盗塁
打率.292 出塁率.364 長打率.399 OPS.763
ベイスターズ時代から非凡な打撃を見せていたが、守備難ゆえに森祇晶監督から出場機会を与えられず。2003年にトレード加入すると、05年には交流戦首位打者を獲得。08年にもポストシーズンで活躍を見せた。O脚であることから愛称は「ジャッキー」。

片岡易之【チームLIONS】

1983/2/17 41歳
937試合 963安打 48本塁打 317打点 271盗塁
打率.271 出塁率.318 長打率.369 OPS.687
4年連続盗塁王、在籍9年で271盗塁のスピードスター。2008年日本シリーズ第7戦のギャンブルスタートはファンの間で永遠に語り継がれる。被り物でパフォーマンスするなど陽気な振る舞いも多かったが、元々はメンタルが弱く「かなり無理してました」。

E.メヒア【チームLIONS】

1985/12/2 38歳
738試合 562安打 142本塁打 406打点 4盗塁
打率.242 出塁率.317 長打率.477 OPS.795
貧打に喘いでいた2014年途中に加入。最初の3シーズンで96本塁打と猛打を見せた。19年にはリーグ連覇を手繰り寄せる活躍を見せ「チームを救うために地球の反対側から飛んで来ている」とコメント。居酒屋一休のCMでも熱演を見せた。

呉念庭【チームSEIBU】

1993/6/7 30歳
382試合 220安打 16本塁打 108打点 10盗塁
打率.224 出塁率.308 長打率.318 OPS.626
野球留学で高校時代から日本でプレー。2年目以降は出番を減らしていたが、2021年に打撃が開花しオールスターにも出場した。ファンからの「ウーイング」も名物に。23年オフに台湾に帰国することを決め電撃退団。穏やかな人柄で誰からも愛された。

綱島龍生【チームLIONS】

2000/1/21 24歳
7試合 0安打 0本塁打 0打点 0盗塁
打率.000 出塁率.000 長打率.000 OPS.000
期待の内野手として2021年に一軍デビューを果たす。しかしその後は腰の怪我に苦しみ、オフに戦力外通告を受ける。育成契約も打診されたものの「ライオンズで要らないと言われたら野球を辞めると決めていた」と引退を決意。現在はアカデミーコーチ。

外野手

大田卓司【チームSEIBU】

1951/3/1 73歳
1314試合 923安打 171本塁打 564打点 25盗塁
打率.267 出塁率.312 長打率.459 OPS.771
ライオンズ一筋18年。西鉄を知る野手では唯一の参加。「必殺仕事人」の愛称を持ち、1982年のプレーオフでは2日連続で江夏豊からタイムリーを放ち、所沢移転後初優勝を手繰り寄せた。球団が貧乏だった太平洋・クラウン時代には大阪球場に行くとホークス・野村克也のツケで食事を摂っていた。


岡村隆則【チームSEIBU】

1954/10/2 69歳
493試合 149安打 10本塁打 80打点 28盗塁
打率.223 出塁率.291 長打率.324 OPS.616
外野守備のスペシャリスト。通算10本塁打ながら1985年にはサイクル安打と1イニング2本塁打を記録する離れ業。引退後にはスカウトとして松坂大輔を担当。現在はBCリーグ・群馬でコーチを務め、奥村光一を輩出。

駒崎幸一【チームLIONS】

1959/8/30 64歳
132試合 48安打 3本塁打 15打点 2盗塁
打率.242 出塁率.281 長打率.343 OPS.624
1984年に60試合で3本塁打を放ったが、守備の不安がありその後は結果を残せず。ホークス戦で隠し球に引っ掛かったことも。90年にホエールズにトレードとなった。名前の読みは「こういち」ではなく「ゆきいち」。

秋山幸二【チームSEIBU】

1962/4/6 61歳
1210試合 1224安打 328本塁打 858打点 227盗塁
打率.273 出塁率.357 長打率.545 OPS.903
イチロー以前にMLBに最も近づいた日本人野手。球団史上唯一の300本塁打・200盗塁を記録している。1986年日本シリーズでのバック宙ホームインは文化放送・中川充四郎レポーターのアイデアから。背番号1は台座付き。

森博幸【チームLIONS】

1963/5/29 60歳
374試合 155安打 15本塁打 80打点 2盗塁
打率.275 出塁率.348 長打率.411 OPS.760
大柄な体格のスラッガーで、1991年には7本塁打、OPS.900を記録。代打起用が多かったものの、清原の欠場時には、森祇晶監督の「他の選手の打順を動かしたくない」という意向で4番を務めたことも。

笘篠誠治【チームLIONS】

1964/6/22 59歳
884試合 381安打 18本塁打 121打点 90盗塁
打率.256 出塁率.307 長打率.346 OPS.653
1997年に死球で戦線離脱した辻の代役として106試合に出場。それ以降も内外野をこなすユーティリティとして重宝された。引退後はライオンズを含む5球団で通算20年以上コーチを務めた。92・93年のスワローズとの日本シリーズでは弟・賢治と対戦。

大塚光二【チームLIONS】

1967/8/26 56歳
466試合 193安打 7本塁打 70打点 15盗塁
打率.258 出塁率.303 長打率.351 OPS.654
黄金時代後半を控え選手として支えたが、日本シリーズに強く1992年第6戦9回2死に一塁から長躯ホームインの好走塁。98年も6打数連続安打と当時の日本記録を樹立した。引退後はJ SPORTS「ガンバレ日本プロ野球!?」でも活躍。東北福祉大の監督も務めた。

大友進【チームSEIBU】

1974/6/18 49歳
644試合 523安打 18本塁打 154打点 80盗塁
打率.264 出塁率.348 長打率.353 OPS.701
俊足を1997年にレギュラーに定着。チーム200盗塁と圧倒的な走力を誇るチームの重要なピースとなった。守備範囲の広さも魅力で1998・98年にはGG賞も獲得。現在は社会人チームの監督と東スポの評論家を務める。

柴田博之【チームLIONS】

1976/7/8 47歳
337試合 204安打 5本塁打 49打点 73盗塁
打率.264 出塁率.353 長打率.337 OPS.690
トミー・ジョン手術以降の送球難と俊足から「1番DH」という一風変わったポジションに定着。盗塁成功率は今回の参加者の中で最高の80.2%。実家は滋賀県栗東市の競馬一家で、「シバタオー」という愛称を持つ。

G.G.佐藤【チームLIONS】

1978/8/9 45歳
557試合 494安打 86本塁打 261打点 12盗塁
打率.277 出塁率.339 長打率.488 OPS.827
絶好調だった2008年に北京五輪に選出されるもののまさかの失策連発。恩師・野村克也からは「世間が北京で覚えてるのは星野(仙一)とお前のことだけ」と金言を授かる。現在は自身の失敗をテーマに講演活動に大忙し。


木村文紀【チームSEIBU】

1988/9/13 35歳
649試合 305安打 39本塁打 141打点 53盗塁
打率.217 出塁率.274 長打率.356 OPS.630

41登板 4先発 0完投 1勝 4敗 0S 1H 72 1/3投球回 51奪三振 45自責点
防御率5.60 K15.5% BB10.3% K-BB5.2% WHIP1.67

投手として入団したが、2012年に野手転向。打率こそ低かったが、意外性のある打撃で2019年のリーグ優勝に貢献した。21年にファイターズに移籍したが、23年にはベルーナドームで引退試合を迎え、両チームの選手によって胴上げされた。

田代将太郎【チームSEIBU】

1989/12/13 34歳
71試合 7安打 1本塁打 5打点 3盗塁
打率.103 出塁率.176 長打率.176 OPS.352
俊足巧打を武器に2017年に開幕スタメンを勝ち取るも、結果を残せずオフに戦力外に。移籍したスワローズでは守備固めを中心に出場機会を得た。現在はアカデミーコーチ。Instagramには猫の写真多数。


戸川大輔【チームLIONS】

1996/4/29 27歳
28試合 6安打 1本塁打 2打点 0盗塁
打率.109 出塁率.153 長打率.182 OPS.334
2019年に球団史上初の育成ドラフト出身選手の本塁打を放つ。大型外野手として期待されたが、それ以降は結果を残せなかった。北海道の実家は「モーリス」を輩出した戸川牧場。現在はアカデミーコーチ。

参考文献

『ライオンズ70年史』(2020).ベースボール・マガジン社
『ベースボールマガジン2018年7月号 埼玉西武ライオンズ40周年 黄金の記憶』(2018).ベースボール・マガジン社
『ベースボールマガジン2021年4月号 1979-1985 西武ライオンズ創世記』(2021).ベースボール・マガジン社
『ベースボールマガジン2022年9月号 森西武最強伝説』(2022).ベースボール・マガジン社
『スポーツアルバムNo.30 栗山巧』(2012).ベースボール・マガジン社
『スポーツアルバムNo.32 中村剛也』(2012).ベースボール・マガジン社
『西武ライオンズ THE HISTORY 1979-2003』(2003).ベースボール・マガジン社
『寛容力 ~怒らないから選手は伸びる~』.渡辺久信(2008).講談社
『深層「空白の一日」』.坂井保之(2008).ベースボール・マガジン社
『覇道 心に刃をのせて』.森祇晶(1996).ベースボール・マガジン社
『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』.髙橋安幸(2016).集英社
『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』.長谷川晶一(2020).インプレス
『ケンカ投法』.東尾修(2010).ベースボール・マガジン社
『球界地図を変えた男』.浜田昭八・田坂貢二(2001).日本経済新聞社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?