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明日から新作展、備忘録

明日から新作展「ヘリサイド」が始まります。それに当たって、今の今現在思うことを記しておきます。

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僕がいつ写真の世界に入ったのかは定かではないが、2000年8月13日に奈良原一高氏の「人間の土地」に雷のような衝撃を受け写真という存在を意識し出したのは日記に残っているので間違いない。

50年以上前の作品だろうが、それに感化された私は「陽のあたらなくとも立派に生きている人」の存在を写さなくてはいけないと思い、祖父の遺品であったキヤノンⅳSbを持って蒲田周辺の町工場へ出かけては撮影交渉を続けた。

その時から、私の通学圏内であった京浜急行の上大門〜品川区間においてもたかが特急が止まる止まらないで一般の人が取りこぼしている景色があることに気がついた。それを取りこぼされた景色として、少なくとも写真に記録することで何かできないか、そんなことを考えていた。第一京浜、第二京浜沿いの景色は私にとって写真とはなんたるかを考えるルーツである。

中藤毅彦さんのおかげで、それらをまとめた個展「道脈」をニエプスで開催させてもらった。

それ以来主たるテーマは変われど、国道には毎週行くようにしてきた。

ところが、国道よりもっと湾岸方面を走る産業道路、さらにはその周辺の景色がここ最近急に騒がしくなってきた。もとより湾岸地帯は僕にとって、時代に取り残された果ての景色(ヘリ)であり、東京という大都市のエネジーが弧を描いて膨張し終焉する最終地点だと捉えていた。

しかし終端であるはずのヘリが、実は同時に時代の最先端であることに気づいた時、ヘリというエリアは我々が知る時間軸とは別の次元にあることに気づいたのだ。

未来と過去が共存する異世界。

この目まぐるしく変わる東京において、ヘリを撮りことすなわち未来を捉えることなのかもしれない。そして、その歪んだ時空を捉えるにはワイドラックスのように元より景色を捻じ曲げるカメラが合っているのではないかと思ったのである。

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2019/09/10(火) - 2019/09/28(土)

新納翔 写真展
ヘリサイド

このたび、新納翔写真展「ヘリサイド」を、2019年9月10日(火)〜9月28日(土)まで東京都中央区築地にあるコミュニケーションギャラリーふげん社にて開催します。

新納翔は1982年生まれの写真家で、消えゆく都市風景の記録をテーマに、東京を拠点に活動しています。

新納のライフワークともいえる「道脈」シリーズでは、新納が生まれ育った横浜から品川まで、国道1号線(第二京浜)と国道15号線(第一京浜)沿いに、変わりゆく景色を撮影しています。

本展では、「道脈」シリーズの延長に位置付けられる、都市の縁(ヘリ)部分といえる臨海部をパノラマカメラで撮影した新作「ヘリサイド」から約20点を展示いたします。

「ヘリサイド」シリーズを始めたきっかけとして、レンズスイング式パノラマカメラ「WIDELUX」との出会いが大きいと作家は言います。

湾岸産業道路、大井埠頭、羽田空港などがある京浜工業地帯=「ヘリ」は、都心部の時間軸から切り離されたかのように独特の空気が漂っています。「WIDELUX」での撮影時に生じる画面全体の歪みが、異界の印象を一層際立たせています。

2020年に迎える東京五輪に向けて都市部の開発が進む一方、「ヘリサイド」は聖域のように、過去でも未来でもない風景として、そこに存在しています。新納は、都心の時間軸から切り離され、こぼれおちた景色こそが東京を象徴しているのではないか、と問題を提起しています。

長年東京を撮影してきた作家による撮り下ろしの東京風景を、この機会にご高覧ください。

■開催概要

新納翔 写真展 ヘリサイド

会期:2019年9月10日(火)~9月28日(土)

火〜金 12:00〜19:00

土 12:00〜17:00 休廊日:日・月

会場:コミュニケーションギャラリーふげん社

■イベント

9月14日(土)17:30〜19:00

ギャラリートーク 鳥原学(写真評論家)×新納 翔(参加費1,500円)

同日19:00〜20:30 レセプションパーティ

https://www.facebook.com/events/490848218407020/

I'm not sure correctly when I entered the photography, but on August 13, 2000 I was conscious of the existence of photography after being shocked like thunder at Ikko Narahara's “Human land” No doubt because it remains in my diary.

The book was published more than 50 years ago, but I was impressed by this, and I thought that I had to copy the existence of a person who lived brilliantly even if there was no sunshine. I went to the town factories around Kamata between Yokohama and Shinagawa and continued to shoot who working there.

From that time, I noticed that there was a scenery that the general public was missing. It was thinking about whether I could do something at least by recording it in the photograph as a missed scenery.

Thanks to photographer, Mr. Tkehiko Nakfuji, I had a solo exhibition “Route 1” summarizing them in Gallery Nieps.

Since then, the main theme has changed, but I have been going to the national highways every week.

However, the industrial road that runs further to the gulf than the national highway, and the scenery around it, has suddenly become noisy recently. Of course, for me, the Gulf was the end-of-the-world landscape(heri), and it was the final point where Tokyo's big city, energie, expanded in an arc and ended.

But I realized that the scenery of Heri, which was supposed to be the terminal, was actually at the forefront of the era, I realized that the area of ​​the Heri was on a different dimension from the time axis we know.

A different world where the future and the past coexist.

In this rapidly changing Tokyo, it may be to take Heri, that is, capture the future. And I thought that a camera that twists and bends the scenery like the Widelux is suitable for capturing the distorted space-time.

2019.9.19

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