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人間は考える葦である話

こんにちは。マキタネルです。
1日の重みを知らないものに1ヶ月の早さを語る資格はありません。

さて、フランスの思想家パスカルのこんな言葉をご存知ですか。

考える葦(かんがえるあし)

17世紀フランスの思想家パスカルのことば。
彼は代表作『パンセ』の有名な断章の冒頭で、「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と述べている。
広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがあるという。
このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのである。
コトバンク「考える葦」

この言葉に触れたのは大学生の時。
言葉への旅という本の一節にあったものです。

始めて出会った時は正直よく分からなくて、とりあえず葦なんだ〜という感想で本を閉じましたが、あれから数年経ってなんて素晴らしい表現なんだと感動しています。

私なんかは特に考え過ぎてしまうタチで、もっと楽に生きなよ、なんて言われることもしばしば。
そうだね、そうします!なんて実践できるのであればハナからやっているし、なんとか逃れようと猿と人間の違いについて学びを深めてもやはりなかなかこの世への絶望は拭えなかったりする。

でも、大前提に私たちは自然の中で最も弱く、だからこそ知識を蓄え世界を発展させてきたのだと思うと、少しばかり人間が愛しく思えたりもする今日この頃です。

どう足掻いたって生命体としてこんなに劣っていて、弱くて、無に近いような存在なんだから思うように生きてみてもいいのかもしれない。
人間界での優劣なんか、世界規模で見ればそれこそどんぐりの背比べですよね、きっと。
パスカルありがとう。
私も、生涯そんな言葉を紡いでいたいと思います。

次回、とある経営者の妻の話。

随分夜が更けるのも遅くなってきましたが、どうぞご自愛ください。

ネル


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