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結婚が決まって義理の家族と会うことに・・・困ったぞ・・・まともな服がひとつもねぇ!(ドラゴンボール・悟空風の口調)

 このところなんとなく重たいテーマが続いたような気がしたので、読者のことを意識して(このnoteで読者のことを意識したことはないが)少しほんわかとした思い出について書こうと思う。

 こじらせた自意識から、ほとんど恋愛経験がないままに生きていたが、就職したのち全方位的に敵を作りまくり、ガチ鬱になって休職。家賃が払えなくなり、やむをえず、夫(となった気の毒な男性)と一緒に暮らすことになった。そのまま、トントン拍子で結婚が決まった。想像以上に、結婚は早く決まった。全米が驚いた。

 物心ついた時から、1日24時間のうち、22.5時間くらいはいつも眠かったので、私の座右の銘は「最小の努力で最大のリターン」であった。とにかく(昔は自覚はなかったがおそらくは脳の仕様のせいで)常に眠いので、起きていられる時間が少なかった。起きていられる時にできる、最小限の努力を行い、あとは寝る、というパターンでずっと生きていた。受験、就職(酷い目にはあったけど職種的には最低限の能力で給与を得ている自覚はある)、結婚、出産に至るまで、このモットーはなんとか実現できている…かもしれない。

 私の究極の「消費者」的な態度に嫌悪感を示してくる人もいたが、一応、高校の時には受験勉強はコツコツ行った。大学では授業は9割寝ていたが、英語や中国語はコツコツ学んだ。最小の努力といっても、それなりに努力が必要なことについては努力は惜しまず頑張った。ただ、本当に、最低限のことしかやらなかった。やらなかったというか、できなかったのだけれど。

 そんなわけで、全米も驚く結婚が決まった頃、義理のご両親に会うことになった。

 そこで直面したのが、まともな服が1着もないという問題であった。私は常に人からもらったジーンズや、寮の廊下で拾った服しか着ておらず、スカートなど恥ずかしすぎて履けない状態で生きていた。一度スカートを履いたら寮全体で話題になるほどの注目を浴びてしまい、2度と履けなくなってしまった。廊下中に響き渡る声で、オランダ人の元ルームメイトが「ねすぎがスカート履いてるよ!」と絶叫して人だかりができたのだ!本当にできたのだ!なぜその時、スカートを履いたかというと、原因不明の足のかぶれに悩まされ、痒かったからだった。やむを得ず(フリーマーケットで買った五百円くらいの)スカートを履いたのだが(思い出すと爆笑であるが)当時はその、寮の廊下にまで轟く号外感が、とてつもなく恥ずかしかった。

 そんな状態で生きていたのに、急遽、夫のご両親に会うことになってしまった。私は困り、台湾留学時代にいつも一緒に過ごしていた、真っ当におしゃれな格好を日常的にしている友人に相談をした。

 彼女は東京出身ではなかったので、なぜその時ちょうど東京にいたのか、記憶が定かではないのだが、一緒に服を買いに行くことになった。しかしながら、私は休職中でお金がなかったので、古着屋に行くことにした。高円寺が誇る謎の店「素人の乱」のチェーン「途中でやめる」である。

 夫の両親に会うための服を、「素人の乱」で買ったのであった(!)

 友人は真っ当にオシャレなどをする人であったので、ブランド名にも詳しく、ホニャララ(聞き取れない)ならちょうどいいんじゃない?などと色々と探してくれた。

 服に関して私の自我は存在せず、全てを彼女のチョイスに任せた。黒いTシャツと、花柄のスカートを買った。スカートは(一応)ホニャララのブランドもの(聞き取れなかった。発音もできなかった)で、上下で2500円くらいだったような気がする。

 安かった…。

 そんな急ごしらえの出立ちで、かつ、ガチ鬱だったのでほとんど記憶もないのだが、ガチ鬱だったおかげか脳が麻痺しているような感じで、あまり余計な発言ができなかったことが功を奏して、失言もなく、無事に義理の両親との対面は終わったのだった。

 今も、「素人の乱」はあるけれど、高円寺の「途中でやめる」店は、オンラインショップになってしまった(https://tochuyame.thebase.in/)ので、今となっては、貴重な、懐かしい思い出である。

(夫の両親に会う時の服を素人の乱で買ったのか・・・と思い出して夜中に爆笑してしまった)

以上です。

 

 

 

 

 

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