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「クリエイティブ」業界にいる人たちは・・・なぜだかみんな有名大卒・・・!?「自由」な仕事のはずなのに何故!?

 若い人のなりたい仕事の上位にyoutuberがあるという。大学とか、受験結果なんて全然関係ない!と言いたくなるそんな仕事の代表格。

 しかしながら、映画、音楽、映像制作、ゲームクリエイター、漫画家、などなどの、非常に「クリエイティブ」な世界にいる人たちが、実はかなり高い割合で「有名大卒」であるという実態は重たい。女性の有名漫画家卒の大学名をwikipediaで見てびっくりした。みんな難関大卒なのである。なぜか、漫画の帯のプロフィールからは大学名が消されている。女性漫画家の卒業大学がはっきりうたわれているのは西原理恵子先生だけだよ!

 どうしてなのかを考えてみた。

 受験勉強、学歴至上主義の日本のシステムは、何かと批判されがちである。暗記中心主義の勉強の世界での、高いスコアと、仕事の能力には相関性がない、という批判はよくある。なんの影響力もない拙noteでも、そのことをよく扱っている。

 しかしながら、仕事を発注する元の人が、同じ中高・大学の関係者に仕事を発注する、と言うことは、よくあることだと思う。別に「優遇している」とか、その人たちにだけ仕事をお願いすることが何か「特殊なことをしている」というつもりは、恐らくない。

 ある特定の中高・大学に所属している人たちは、本当にその中高・大学出身であることを誇りに思っていて、卒業生たちが皆、優秀であると、信じている。学校が同じ同窓の人たちと一緒に仕事をすると、卒業した学校の偏差値を軸にした上下関係が発生しない。もっと有り体に言えば、ムキーっとされない。嫉妬されない。

 その状態は、非常にやりやすいはずである。

 だから、はたから見ると、特定の中高・大学の卒業生ばかりがある業界を占拠しているように見えるとしても、中にいる人たちは、特別に卒業生を優遇しているとか、占拠しているつもりはないのだと思う。

 優秀な人、一緒に仕事をしやすい人、なんかいい感じな人を選んだら、結果的に同窓の人が多くなった、と思っている。それは、別に「学閥」と言われて眉を顰めるようなものではなく、「自然に優秀な人がそこに集まった結果だ」と思っている。

 映画やテレビ、漫画や小説、インターネットその他色々、「クリエイティブ」な世界ほど、この傾向は強いと思う。表現するものには、明確な評価軸がないからこそ、選ぶ人の選球眼というか、「好み」や仕事を一緒にしやすいと思うかどうかが、とても強く反映される。

 同じような経験を積んだひとが作るもの、つまり同じ学校出身者のクリエイターを良いと思ってしまう、というようなことは間違いなく、ある。

「クリエイティブ」なものは、どんな風にストーリーを作るか、世界を見るか、などなど形にならない視点が、鍵になるのかもしれないが、その視点は、何かと批判されがちな「偏差値的な学力」と、なんだかんだ言って非常に強い相関性があるのではないか・・・?と思ってしまうところもあるのだった。

以上です。

 

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