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大学で出会わなければ一生未婚!?高校の先生が唱えたマントラに・・・悩まされてた大学時代!

 20年以上前の大学時代の思い出である。
 
 キャンパス内で不当にモテているように見えた、一部のICU男性を批判する記事ばかり書いているが、20年以上前の当時の自分の視点では、やっぱりなんだかんだ言って数少ない男性が、素敵な男性に見えていた。素敵に見えざるを得なかった。神の見えざる手。違うか。

 戦時中に、雑草しか食べるものがなかったら、たんぽぽの葉っぱですら貴重な食材に見えるかのように、とにかく日常的に男性と接したことがない状態から「共学」とされる大学に進んだため、男性であれば誰でも素敵に見えてしまっていたのだった。もはや警備員のおじさんですら素敵だった(それは嘘かも)。

 残念な組織で辛酸を舐めた社会人として、体育会系の人が牛耳る組織に入ったせいか、ますますもって、華奢で、小柄な、運動が苦手そうな男性への厳しい目が今は育ってしまったが(しかしながら、我が子は華奢である矛盾)当時は、そこまで、ICU男性が一般社会からずれているとか、批判的思考(Critical Thinking)が、ただの「不遜な文句言い」みたいになってしまい、あからさまに仇になっているとか、女性を大事にしてくれる気配がまるでなく、重いものを持ってもくれない上に、めっちゃルッキズムだし、武蔵境の居酒屋で好き放題に高い焼酎とか日本酒を頼みまくった上に、明らかに下戸で烏龍茶と焼き鳥三本しか食べてない、一応ジェンダー的には女性の苦学生である自分に対しても、割り勘(お会計5,000円代)を当たり前のように払うよう要求してくる、そんな、男性たちが「ひどい」とか「女性に冷たい」とか「カッコよくないのにキャンパス内で数々の女性(特に後輩)を手玉にとるクリティカル・クソ野郎(関係者、Sorry!)」だとは、全然、思ったことがなかった。

 考えてみれば、男性との接点が、地獄の北関東の公立中学校以来、15歳くらいから一切なかったので、「若い男性」というものが珍しすぎたのだった。若い男性への免疫がなさすぎて、誰も彼も頼れる、かっこ良い男性かのように、完全なる錯覚を覚えていた。散歩中の犬が、その尿をかけたかもしれない、堤防のたんぽぽの葉っぱですら、食糧難であれば、美味しそうに見えたのだよ!(関係者、Sorry!)

 今なら「イタい人」として、コントや漫才のネタにされしまいそうなほど、異様に頭でっかちな感じの男性に対してすら、それほどの違和感を持っていなかった。キャンパス全土での、あまりの男性の少なさからか、そんなに「イタい」とは本当に、思っていなかった。自分も十分「イタい」思春期を送ってきたから、あまり「イタい」と思いたくないという気持ちもあったし、とにかく男性が少なすぎたのだ。

 男女比の不均衡から「彼らが不当にモテている」という批判は、主に彼氏が大学の外にいる寮の友人たちが熱く語っているテーマではあったものの、彼女たちは高校時代などに男性との接点が十分にあった人たちであった。そして、入学して3ヶ月くらいで、大学内の男性に見切りをつけて、社会人と付き合っているなどの経験があり(どうやって彼らと出会っていたのだろう!?)男性との接点が存分にあった上で批判していたのだった。

 恐らく、親に問題があった子供に多く見られる特徴なのだが、私は、長年「自分で何かを考える」癖が全くなかった。彼女たちに言われるがままにICU男性を批判的に見ていたのだが、そうは言っても、当時の自分のメンタリティは「インセル」に近かったわけである。例え、キャンパス内が、女性がものすごく少ない環境であったとしても、男性との恋愛的な接点は、全くなかったのではないかと思う。

 環境のせいで、自分は恋愛に無縁だと、言い聞かせていたが、おそらくそれとは違う次元で「男性が苦手」「自分に好意を持っている男性などがこの世に存在するはずがない」と確信してしまっていたのは、確かであった。

 矛盾しているのだが、男性への苦手意識があるにもかかわらず、一生このまま恋愛経験もなく、死に絶え、そして灰になる自分への恐怖は、存分に抱えていた。一体なんでそんなに大学内で誰かと出会わなければいけないかのように思っていたのか…?そのことを考えていて、ふと、思い出したのだが、高校時代の女性の国語の先生の口癖が原因だったのだ。

 当時、ちょっと変わった苗字だった女性の先生が、授業中に口癖のように言う言葉があった。

「今の時代、女性が、結婚相手と出会うのはとても難しく、大学の時に誰か良い男性に出会わないと、一生結婚できないらしい」

東京の大学に進学し、有名企業に勤めているという、先生にとっての自慢の娘さんが、しょっちゅう、帰省のたびにしみじみとそう言っているのだという。

「大学時代に、誰かいい人と出会わないと、今の時代、一生結婚できないらしい(リピート・アフター・ミー)」

 毎日、無為な受験対策に明け暮れる中で、企業社会のリアルを教えてくれる情報源は、その国語の先生だけだった。その先生の娘が、しみじみ言っているその説は、インターネットが存在しなかった世界において、妙なリアリティを持って自分の心の中に、強く侵食していた。

その言葉を胸に上京。大学では、様々なイベントが開催されたとはいえ、自分は「圏外」といった認識であって、とんと、誰とも出会う気配はなかった。

15歳から18歳まで、若い男性との接点は皆無だったため、男性を見る「目」だけは、どんどん厳しくなっていく。さらに、今は連絡先を知らない兄が、性格は悪魔のようだが、生まれながらに地方都市でモデルになるのではと囁かれるほどの美男子、という悪条件が重なってしまって、私の男性を見る目は、地獄のように厳しいものになっていた。

 現実の男性との接点が何もないのに、幼少期から接点があった唯一の男性が、噂になるほどのイケメン。さらに、「大学時代に誰かと出会わないと一生結婚できない」という先生の意見を間に受けるという、情報量の少なさ。
その一方で幼少期から浴びてきた、「少年ジャンプ」や「りぼん」「なかよし」などの漫画やディズニーアニメの「ロマンティックラブイデオロギー」が、強い影響を与えていたと思う。

「素敵な男性に出会わなければ、女性は幸せになれない」という洗脳。

 素敵な王子様がいつか現れる、という妄想と、男性を厳しく見る目と、ダサすぎる自分。

 自意識と現実が全くあっていない、地獄のループに、ハマっていた。

 今、日々苦しんでいる、残念な職場でも、本人に明らかな欠陥があり、仕事の力量に関して残念な人ほど、他人の仕事ぶりへの評価がすこぶる厳しい、というのは常々思うことだが、そのような残念な人の条件をほぼ、網羅していた自分であった。

 大学内で、モテている男性たちを、口角泡を飛ばしながら日々批判してはいたが、そもそも、私は誰からも恋愛対象としてはみなされていないのであって、おそらくは、十分に痛々しかったのだった。

とても辛いことだが、自分が女性として痛々しいという、その自覚は常にあった。時には押しつぶされそうなほどの、重い重い、自意識であった。

続きます・・・。


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