見出し画像

他人のパーティに無断で行く



ここ一年ハマってることがある。他人のパーティに無断で行くことだ。
語弊がありました。クラブは言わずもがな飲食店や海水浴場付近の広場などクラブハウス以外でも行われる音楽系イベントに遊びに行くことです。

この一年はたくさんパーティに出かけた。
ストイックに音楽一本で朝までやりきるものもあれば、飲食店やハンドメイド作家が出店しているものなど様々である。
基本的に一人で行って、そこで人と交流したりしなかったりして一人で帰る。
それがとにかく私の性に合っている。行くまで気づかなかった。私にはパーティの才能がある。確信しています。

通う以前は、パーティとか言うけどただ音楽鑑賞をカッコよく言っただけだろと思ってた。
連れ立って行こうが一人で行こうが何かを鑑賞するとき人は必ず一人になるから、ぽんと行って誰と話すわけでもなく帰るのが当たり前でそういう人も全然いると思ってた。
しかし初日にそれは誤解だったと知る。
みんな知り合いと来たり合流したりしてこなれた感じを出してるのを見て衝撃を受けた。
一方私は特にテクノやハウスに明るいわけではない。定番の曲がかかっても分からない!他人のパーティに無断で来てしまったような、普通に乗ったと思ってたバスがツアーバスだったような場違い感があった。さあどう出るか、山田。終電は無い。夜は暗いから危ない。

でも大丈夫。私は高校生の時一人で音楽を聴きながら弁当を食べるのが大好きだったし、予め一杯ひっかけてあった。
その日は入場料金を支払ってますから音楽鑑賞だけでもさしてください、というような顔で過ごした。
終盤になってめちゃくちゃ優しいお兄さんに話しかけてもらって(一回シカトしたのに)、次回、その次、と同じ場所に通ううちに楽しさが分かってきて、人と交流できるようになった。
今では同じツアーに参加している一人客だと思っている。
間違えて乗ったと思ったバスからの景色が思いのほか良かったからスケッチすることにした。
これは私のペンで書かれた、私の席から見える景色のスケッチである。

まず、車体。会場である。
何万キロ走っていてどこに向かうのかはバスによって違うように、会場には物語がある。
乗り合わせた人はみんな物語の一部になる。
音楽は家でも聴けるのにわざわざ出かける理由はその瞬間が気持ち良いからだ。
自分が音楽を楽しんでいることに価値があるように思える。


次に、運転手。これは出演者。
DJはバンドと違って一人でやることだから、パーティのハンドルを一人を握っているように見える。きっとものすごいプレッシャーがかかっていると思う。
アクセルを踏んだりブレーキをかけたり、ギアの操作も運転手の腕の見せ所。
私はテクノやハウスを聴くとき、一本の道が頭に浮かぶ。運転手がどの道を通るか、どこに連れて行くつもりなのか。
嬉しい景色が見れたら、元気いっぱいノリノリしちゃおう。


三つ目は乗客。我々オーディエンスである。
車内には様々な人がいる。
乗り鉄みたいに運転手をかぶりつきで見る人、後ろのほうで盛り上がってる人、ライバル運転手。乗り合わせた人をちらちら見るのもパーティの楽しみの一つ。
パーティにいる人はみんなかっこ良くておしゃれに見える。
己のダサさに絶望することもあるだろう。
でも大丈夫。ディスコは君を差別しない。

勇気を出して飛び込んで来た私にもいつメンにも音楽は平等である。
車体と運転手がそれを教えてくれる。
バスのエンジンは乗客であると彼らは知っているからだ。
はしゃぐ声、ダサダンス、棒立ち人間、我々はただそこにいるだけで、バスを動かす力がある。
ただいるだけでいいと知っている。
これが私のパーティの才能である。


まとめにかかる。
私は私の目から見えるフロアの景色を愛している。
みんなに混じって一人でいると、パーティにある全てが必要不可欠で価値のあるものだと分かる。
連帯感と孤独感が同居する心地よさ。私の感情にも、きっと価値がある。
私はあと少しだけフロアにいようと思う。

私のようなあなたに出会えること楽しみにしつつ、本文を書き終える。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?