見出し画像

悪夢は時に甘やかに来る


『エスカレーターを上がってそこに着いた僕は、妙に既視感のある、修学旅行で泊まったホテルのロビーのような広々とした空間を見渡した。
偽物かもしれない大きな観葉植物と、お菓子の入ったプラスチックのカゴーそれは数えきれないほどあるーを置くための大きな棚に気を取られ、名前を呼ばれるまで受付を忘れていた。
「こちらのカゴは山田さんのものになります。名前のシールを貼って、棚に置いてください。届き次第、随時追加していきますので」
「分かりました」
このシステムを知ったのは初めてだったはずだが、ぼくは既に承知していたみたいに山田優一郎と印字されたテプラとカゴを受け取る。
中にはハッピーターンと沖縄土産の紅芋タルトが入っている。僕が生前好きだったお菓子だ。

僕は死んだのだ。それでここにやって来たのだった。

ハッピーターンをかじりながら棚の方に向かい、置かれてある他人のカゴの中を盗み見する。
何も入っていなかったり、お菓子やジュースで山盛りになっていたり、花を送られている人もいる。
内容は様々だがどれもお供え物らしい。僕が受け取ったのも誰かが送ってくれたものなのだろう。彼岸まで届くシステムがあるとは知らずに。本当にありがとう。
とは言え、お供え物の送り主が誰かは分からない。僕の好物を知っているから近しい人物なはずだが、その人(たち)の気持ちを思うとなんとも言えない。
申し訳ないような、死んだことがバレてるのが照れ臭いような。僕のことは気にしないでそっちで元気で暮らしていて欲しいが、気にしてくれたことが嬉しくもあった。

ロビーを抜けると、広大な図書室が広がっていた。
今までに行ったことのある本のある場所のどこよりも広い。僕は胸をときめかせ、また天井の高さに感嘆の声を漏らした。
和歌山県のガーデンパークや県立図書館や橿原の蔦屋を思い出した。本棚とは別にテーブルが並んでいるスペースがあり、人々が思い思いに過ごしている。
僕は目の前の平台を眺める。
うっとりするような装丁の大判の占いの本、キリスト教の歴史、ギリシャ神話に関する本。どれもスピリチュアルである。
キリスト教の歴史の本を手に取ってみて、新品にはない人懐っこい手触りに、ここにある本は全てこちら側に来た人たちが持って来た本であることを悟った。
僕は書庫に本を預けていたことを思い出す。
係の人と協力して台車を出して本を図書館に移動させた。すると人々がわらわらと集まってきた。
「新しい本が来た」
「もうワンピースとナルトはいらないぞ」
「ここまでたくさん持ってきてくれる人は久々だ」
聞こえる声を聞き僕は良い気になって、「全然なんでも取っていってくれていいですよ」とすぐに本をまとめていた紐を解き台車から離れた。

「ジョジョってまだ続いてるんやね」
「はい、今なんか…ジョジョランズっていう名前で続いてて、それはぼく持ってきてないんですけど」
「あぁ、そうね」
「はい」

大好きだった祖母を思わせる熊本訛りの中年女性と話す。
人だかりが落ち着いたところで、僕は自分の持ってきた本を戻すべく台車を押しながら書架を巡った。
ここは図書館というよりは巨大なブックオフと言った方が良さそうだ。ラインナップが偏っている。
ワンピースは何冊も巻がダブっているが最新刊(どこまで進んでいるんだ?)はない。
宗教や心のありようについての本はやたらにある。ここに来る前に自らの旅立ちを悟った人は少なくないことを察した。
生前の僕はサブカルチャーが好きで、僕が持ってきた本が収まる棚は奥まったところにあった。僕は図書館の中をどんどん進む。

道のりがやけに長い。
整備された床を台車がコロコロと滑る感じが手に伝わってきてそれは気持ちが良かったが、何故か進むたびにさみしい。
次第に視界が曖昧になっていく。まもなく目の前はクリーム色のもやで覆われた。
ああ。これ夢なんや。そう感じた時、体がだるくなって、猛烈な眠気と共に目が覚めた。』

以上は去年見た、死んだ夢の話である。
目が覚めてしばらく、ぼーっとした。その後少し泣いた。

夢の中で、私は自らの死を受け入れていた。
お供え物に素直に感謝したり、遠い故郷のように懐かしく"この世"を捉えていたり、未練のようなものは全くなかった。
それどころか天国らしき場所に魅力と居心地の良さを感じ、終始穏やかな気持ちでいた。いつまでもいていいことが嬉しかった。
現実の自分の将来は不安と焦燥でいっぱいだから、夢の中の天国で未来を思った時の甘やかな感触が脳にこびりついている。
夢を見てからも何度となく、それらのことを反芻した。
すると、夢の中独特の不条理な所がだんだんと整備され、肉付けされていき、より都合の良くより魅力的な一つの物語として私の頭の中に存在するようになった。
しかし具体的な天国の理想像は、生きていくのに邪魔だ。死後は何も受け取れず、何も持っていけないと思った方がいい。
自分で自分の無意識下に希死念慮を招き入れるような真似をしてはいけない。
そう思い、天国の夢を敢えてありったけ素敵な物語として書き留め、これ以上の妄想はやめることにする。


暗闇に怯えふるえて眠っても
悪夢は時に甘やかに来る

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?