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記事募集

二〇二四年二月一日開始の批評サイト「net stones」(管理人:沖鳥灯)では、広くライターを募集しております。現在寄稿予定のライターは私の他に毒劇法氏を含めて四名です。内訳は学生三人と社会人一人になります。
萩原朔太郎は文芸のジャンルを「詩、批評、小説、その他の散文」に区別しました。本サイトでは文芸に加えておおよそのジャンルを網羅しようと思います。とはいえ私のモットーは「結果」や「成果」「上層/上部」よりも「過程」や「途中」「中流/中間」を重視することです。インターネットで散見される「まとめ記事」や「時事ニュース」「セレブリティ/インフルエンサー」に食指は伸びません。吉本隆明は「ドストエフスキーや夏目漱石は、絶えず床の下のことを考えていて、しばしば、床板を踏み抜いてしまう。ところが、多くの日本人の文学者は床の下のことなど忘れてしまって、床の上で作品を洗練させていく」(要約:重里徹也)と述べました。上記は『詩の力』(新潮文庫)の「構成者後記」からの引用ですが、同書で吉本隆明は演歌と美空ひばりについて「日本の知識人には、演歌を低俗だと退けたり、演歌に感心するのを恥ずかしいと思ったりする人がいる。一方、日本の大衆は演歌が好きで、美空ひばりさんが特権的にすぐれていることを知っている。両者の間に深い溝がある。/ところが美空ひばりを聴けない日本人の知識人が、インドネシアのガムラン音楽なら好んで聴く。エキゾチズムだと受け入れられるためだ。日本情緒は受け入れにくいのに、異国情緒だと喜ぶ。明治以降、急速に近代化を進めた日本だが、その矛盾は一部の知識人のこんな感性に表れている」。美空ひばりは「知識人の一部からはゲテモノ視されながら、大衆の圧倒的支持を得て、天才少女から歌謡界の大スター」になりました。ところで吉本隆明の「大衆の原像」は夏目漱石『明暗』に依拠しました。江藤淳『成熟と喪失』は『明暗』の「生活者」へのまなざしで終えます。『明暗』は未完の長篇です。「成熟」とは「完成」ではない。宇野常寛『母性のディストピアⅠ 接触篇』では「成熟」を「「あえて偽善/偽悪」を引き受けること、その虚構性を自覚しながらも演じること、空位の玉座を守ること」としました。現在の日本は象徴天皇制でなおかつ生前退位により上皇と天皇の二重承認のもと国民生活がおこなわれています。「空位」=「未成熟」の時代なのです。「いまここ」で完成形の議論はいらない。「永遠の思春期」は「日本は12歳の少年」(ダグラス・マッカーサー)のとおり戦後日本そのものなのです。むしろ未成熟でいい、「少年少女のディストピア」でいい。とはいえ「「成長しない」って約束じゃん」(川本真琴『愛の才能』)を「発育ステータス」(椎名林檎)で上書きしたように、「永遠の思春期」は批評/危機で上書きし、保存されます。吉本隆明は宇多田ヒカル「automatic」をこう評しました。「かつての歌手たちは、女性の心情をもっと類型的に歌っていた。女らしさというものがあらかじめあって、それをなぞるように歌っていた。ところが、この歌詞では、きわめて個性的に女の子の気持ちを歌っている」(『詩の力』)。
自己と他者におよぶ世界への問いかけを待つ。

【募集要項】
記事内容 
①コンテンツ批評
②短篇
③詩歌句
④その他の散文
➄音楽(mp3)
※動画投稿はしばらくお待ちください
文字数 2000字~10000字程(詩歌句は要相談)
〆切 毎月末
参加費 なし
謝礼 なし
連絡先 Twitter:@ngz55 メルキド出版

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