見出し画像

ノイ村的2010年代の5枚(+1枚)について

前回の記事で告知した対談の後編がアップされました。後編では参加メンバー4名がそれぞれ事前に選んだ「2010年代の5枚」を紹介する流れとなっております。締めくくりには「で、2010年代ってどういう変化があったの?」というところを雑談の中で振り返っておりまして、主に草野さんが語っているのですがここが面白い!是非ご一読下さい。

ただ、個人的にはこの対談は反省点が多くてですね。特に肝心のアルバムを紹介する時に僕は一番手として登場したのですが、「全員がアルバムを言い終わってから、各アルバムを語る流れ」だと勝手に勘違いしてしまいまして、非常にアッサリとした紹介で終わってしまったんですね。勿論、それぞれを選んだ理由については記事の中でも触れているのですが、せっかくなのでその5枚+1について、こちらの方でちゃんと紹介しておこうかなと思います。

まず、選んだ5枚がこちら。

殿堂入り : "My Beautiful Dark Twisted Fantasy" / Kanye West

No.1 : "Yeezus" / Kanye West

No.2 : "Lemonade" / Beyoncè

No.3 : "FANTASY CLUB" / tofubeats

No.4 : "1989" / Taylor Swift

No.5 : "Bangarang" / Skrillex

ではそれぞれの解説へ参りましょう。

"My Beautiful Dark Twisted Fantasy" / Kanye West(2010)

画像1

何故"殿堂入り"にしているのかというと、今作が2010年にリリースされたということで、「2010年代のシーンを象徴しているわけではないのでは」という疑念からです。この10年で一番好きなアルバムではあるけれど、だからといって貴重な一枠をこれに使うと2010年代を語りきれないということで、別枠として紹介させていただきました。

ところでこのアルバムのレビューって異常に難しくてですね、正直国内でも海外でもマトモにこの作品を評した文章って読んだ事が無いんですよ。10点満点をつけたPitchforkですら、どこか歯切れの悪い文章になってますからね。ゴスペルからKing CrimsonからAphex Twinまで取り入れたポピュラー音楽史を網羅せんと言わんばかりのサンプリング・コラージュ手法で作られたトラックと、当時の悪評を懺悔する一方で自身のナルシシズムを最大限に誇示するという捻れた自己愛に塗れたリリックと、Elton JohnからNicki MinajからBon Iverまで各ジャンルから召喚した奇才天才が最適に配置された客演と、本作の優れた要素を並べる事は出来るけれど、だからといってこのアルバムの異常さを言語化出来たとは全く思えないんですよ。

このアルバムを理解する上での最適解は、池城美菜子さんが訳した「カニエ・ウェスト論 《マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー》から読み解く奇才の肖像でしょう。なんと本一冊というボリュームでこのアルバムを評論しております。しかし、またこれが異様に難解という厄介な代物でしてね..。まずは読んでみて下さい。

"Yeezus" / Kanye West(2013)

画像2

で、"MBDTF"を除いた上で、2010年代のベスト・アルバムを考えた時に選んだのがこのアルバムですね。対談では「結局カニエじゃねぇか!!」と総ツッコミを浴びましたね。

これは特に2019年以降のサウンドに顕著なのですが、この2010年代を振り返った時に、いかにこのアルバムが大きな影響を及ぼしてきたかというところに改めて気付かされまして、それでベストに選んでおります。勿論シーンとか関係無しに凄い一枚だなと思うんですけど。

ポイントとしては、「リッチになった今でも相変わらず搾取されているという人種差別への怒り」、「ポップ・ミュージックにおける音数を絞ったトラック・メイキングへの移行」、「インダストリアルという暴力性」、「CD文化の終了宣言」、「Arcaを起用したテクスチャへのアプローチ」、「Frank Oceanを起用した、次世代のR&Bの提示」、「Daft Punkとリック・ルービンから引き出したミニマリズム」あたりでしょうか。もう2010年代後半における重要なトピックは大体網羅しているといってもいい。それが2013年の時点で、ここまでの完成度・トータルアートとして完成しているという凄さ。

当時は面食らったリスナーも多かったと記憶していますが、今聴くと驚くほど同時代的に聴けるアルバムなのではと思いますね。"808's~"と同様に、もう少し経ってから改めて評価される作品になるのではないでしょうか。

"Lemonade" / Beyoncè(2016)

画像3

こう言うと各方面から怒られるような気もするのですが、本作はある意味では"My Beautiful Dark Twisted Fantasy"の延長線にある作品なのではと思ったりするんですね。カニエがサンプリングという手法であらゆる音楽ジャンルを総括して一つの目的に集約させた一方で、ビヨンセは本作で現代を代表するミュージシャン(Vampire Weekend、Jack White、James Blake等)を招いて新たに楽曲を構築しながら各ジャンルを総括している。その上で、「夫の浮気」というある種ゴシップ的なテーマから始まり、「黒人女性が持つ、根源的な強さとは?」という問いかけをしながら、最終的には"Formation"という明確なメッセージへ辿り着くという、ビジョンが極めて明確な一枚になっているわけです。

それこそカントリーまで引用しているわけで、これまでのヒップホップ・R&B系統のサウンドからは全くもって異質な一枚なのですが、「ルーツの探求」という軸があることで、ここに必然性が生まれる。2010年代後半はGeniusなどの解説サイトの台頭やSNS上での考察が盛んになった事から、とにかく「文脈」が重要になっていった時代とも言えるわけですが、今作は様々な差別と分断に悩まされる2016年という時代において最も提示されるべき文脈を、こちらもやはりトータル・アートとして提示した一枚、完璧な作品と言えるのではないでしょうか。

"FANTASY CLUB" / tofubeats(2017)

画像4

個人的には2010年代は「分断」の時代だと定義しております。それはやはり2016年のアメリカ大統領選というトピックが大きいのですが、「レイシスト」や「右傾化」という部分よりかは、「ポピュリズムとポスト・トゥルース」が可視化されたというところが強いですね。

当時、ちょうどアメリカに住んでいたのですが、現地の、少なくとも自分の周りでは誰もが「あんな出まかせばかり言っているレイシストが大統領になるわけがない」と語っていて、SNSやニュースもそんな感じだった。でも実際にはむしろ自分たちの方が少数派だったわけですね。そして誰一人としてその事には気が付いていなかった。トランプ大統領の方が、全体で見ればリアルな存在だったというわけです。

それからは、結局真実なんてどうでもよくて、自分にとって都合の良い現実を追い求めるのが正しいのではないか?本当の正しさとは何なのか?と悩まされる、いわゆる「ポスト・トゥルース=真実を越えた時代」へと投入するわけですが、"FANTASY CLUB"というのはまさにそんな時代を生きる事への漠然とした疑念を描ききった一枚なんですね。もう正解が分からなくなった世の中で、全てを振り切ろうとして踊り続ける。けれど現実は常に付き纏って離れない。だからこそ、このアルバムはtofubeatsの作品中でもトップクラスに"踊れる"一枚でもあります。同じメロディをループしながら限界を越えて高揚する"THIS CITY"は当時のクラブでのキラーチューンとなっておりました。

"1989" / Taylor Swift(2014)

画像5

2010年代最強のポップ・アイコン=Taylor Swiftを象徴する一枚ですね。音楽的な評価としては前作"Red"の方が高かったりしますが、あれはカントリー・ポップを極めたアルバムで、勿論クオリティは高いんですけど、ポップ・アクトとして覚醒したのはこっちかなと。

作品のコンセプトとしては「80年代ポップ・ミュージック」なのですが、重要なのは当時ヒップホップだったり、あるいはエレクトロ×ポップだったりと比較的"リズム寄り、パーティ寄り"だったポップ・シーンに、最初から最後までメロディを軸とした地に足の着いたポップ・ミュージックを提示したという事ですね。かつ、ある種ヒップホップ的な価値観(カニエ的価値観)との比較で軟弱だと思われていたところに、"Shake It Off"や"Bad Blood"などで「弱者の反撃」というアプローチを持ってきた事で、テイラー自身が一つのポップ・アイコン=女性にとってのロールモデルになったアルバムでもあるという。

また、そのものズバリ"Style"という曲を入れたり、"Blank Space"で自身をネタにするなど過去の恋愛トピックも相変わらず継続しておりまして、結果として、10年代後半におけるポップ・アイコンの巨大化へのきっかけにもなっており、あらゆる意味で10年代後半のポップ・カルチャーを予見したアルバムだなと思いますね。また、実は音数をそれまでのサウンドから大幅に絞っているという、"Yeezus"同様に後のポップ・ミュージックのスタンダードをここで定義しているという点でも偉大な一枚ではないでしょうか。

"Bangarang" / Skrillex(2011)

画像6

2010年代は再びダンス・ミュージックが大きなムーブメントを起こした記念すべき時代でした。あらゆる音楽評論家が批判する中で、それでも一つの時代として確実に"EDM"の名前は刻まれる事でしょう。で、結局EDMって何だったんだろうか?それまでのプログレッシブ・ハウスやトランスと何が違うんだろうか?という疑問に対する一つの答えがこの作品、というかSkrillexの存在なのではないかと思うんですね。

元々、ある種アンダーグラウンドな存在だったダブステップという音楽に、ラウドロックとヒップホップの影響を注ぎ込んだ超ハイテンションでド派手なサウンドを創り上げ、更にはThe Doorsの"Light My Fire"というクラシック中のクラシックを本人公認でぶっ壊して、かと思えば彼女=エリー・ゴールディングを招いて静かにエモーショナルなメロディを奏でるという極端さ。初作も偉大ですが、更にダンス・ミュージックに"過剰さ"と"自由"を持ち込んだという点でこのEPを推したいなと思います。やっぱりね、当時のインディー主義的なロック・シーンよりも、自由で破壊的で享楽的なダンス・ミュージック・シーンの方が当時の自分にとっては明らかに魅力的だったんですよ。で、そこからEDMにのめりこんでいって今に至ります。

もしかしたらAviciiやZeddは今が90年代でも同様に活躍していたかもしれないけれど、Skrillexは絶対に違う道を歩んでいたはず。まず確実にギターを手にしたでしょうね。そういう点でもEDMとは?という問いへの答えとなる一枚では無いでしょうか。

以上ですね。

まぁ、「アレやコレはどうした!!」という意見は当然あると思いますが、その辺りは対談の方で補完したりしていると思いますし、実はあの対談、これから続きをやる予定ですので、そちらの方を楽しみにしていただければと思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?