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混乱と分断の時代の中で、正気を保つための唯一の方法 -Kanye Westの場合-

日々、インターネット上を猛烈な速度で飛び交う様々な人々の様々な言葉。

左も右も、上も下も常に混乱状態が続いていて、お互いを罵り合う状態が続いている。加害者と被害者が常に入れ替わり、常に昨日まで名前も知らなかった新たな人物が私刑を受けている。まぁ、どうでもいいやと思って自分の好きな娯楽にうつつを抜かそうとしても、容赦なく得体の知れない何かがこちらに手を伸ばしてくる。

「少なくとも、どうもこの先の未来は明るくなさそうだぞ」という感覚は確かだけれど、何か不満を述べようとすると、別のところから「お前が言うな」という不満が飛んでくる。

少なくとも理想とは程遠いこの状況の中で、自分自身のアイデンティティはひたすらに揺らいでいく。「果たしてこれは正しいのか?」

そんな時代の中で、正気を保つためには「自分にとって、絶対的な何か」を持つ必要がある。

語弊のある言い方をすれば「信仰の対象」だ。即ち、宗教である。

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Kanye Westはとても自己中心的な人物でありながら、一方で理想主義者であり、分断というものを極端に嫌う。彼は割と本気で世界平和を願っている。そんな彼にとって、混乱と分断が続く今の時代は全く望ましいものではない。

彼はドナルド・トランプを支持している事で有名だが、そもそも彼は当時の大統領選で投票に行ってすらいないことを明言している。では、何故彼はトランプを支持するのか?

トランプ大統領が誕生した当時、アメリカは「Divided Nation=分断された国家」と揶揄された。生活に余裕のあるリベラルと、それが気に食わない人々。2016年の大統領選は、そこに大きな分断があることを証明し、その溝を更に広げていくきっかけとなった。

そして、それはカニエにとって望ましい状態ではない。目の前に集まる多くの観客がトランプの悪口を言っているのだから。だからこそ彼は、MAGAハットを被り、観客に「そういうのやめようよ。彼もいいやつだよ。Make America Great Againって素敵な言葉じゃないか」と理解を求めた。その結果、彼は凄まじい批判を受け、この現状がどうにもならないということを思い知る。

結果として彼は精神を病み、迷走を極めていく。2018年を代表する名作であるPusha T"Daytona"を含む連作をリハビリテーションとして発表し、音楽家としての衰えこそは見せなかったものの、トランプ支持や最悪のタイミングでの自身の失言(安易に書くとカニエ本人への誤解を招くため、各自で確認下さい)もあり、世間からの批判は更に加熱を増す。"Yandhi"がリリースされなかったのは、ある意味では当然だったように思う。

Taylor Swiftとの確執とはレベルの違う、自身のアイデンティティすら揺るがされる批判の渦の中で、いよいよKanye Westは正気を失ったかのように思えた。


しかし、Kanye Westはある一つの答えを見つける。

Kanye Westにとって絶対的なもの、それは「イエス・キリスト」である。


キャリア初期に負った大事故の中で、神の存在を信じ、敬虔なクリスチャンとなったKanye Westは、キャリアを通してキリスト教の影響を楽曲に落とし込んでいる。混乱期ともいえる2016年に発表された"The Life of Pablo"では、遂に"家庭"という居場所に辿り着いたカニエの、神への祈りが響く。

壮絶な批判を受けながら時代の中で苦しみ抜いたカニエは、自身にとって絶対的な存在である神への祈りの追求に向かう。そして、彼は"Sunday Service"という画期的なアイディアに辿り着いた。

祈りの場であり、祝祭の場であり、純粋なコミュニケーションの場であり、何より音楽の生まれる場所である"Sunday Service"は、彼にとって最も必要な場所だった。そして、聖歌隊の中でMPCやピアノを奏でながら、遂に彼は復活を遂げたのである。

そして、遂に来る新作、"Jesus Is King"に辿り着いた。昨年のリハビリテーションとしての作品群や、恐らくその延長だったであろう"Yandhi"と違い、明らかに今作は生半可なスタンスで出せる作品ではない。

キャリアを通して宗教音楽とヒップホップの融合に取り組んできた天才音楽家としてだけではなく、混乱と分断の時代を生きる一人の人物=Kanye Westとしての集大成。それが"Jesus Is King"になるだろう。

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"Jesus Is King"、発表まで間もなく!!
いざ、祝祭の準備を!!!

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