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Ye (Kanye West) "City of Gods"についての走り書き(何故、The Chainsmokersをサンプリングしたのかについての妄想

Fivio Foreignがリリースしたデビュー・アルバム、「B.I.B.L.E.」の中にも収録されていたので、改めて"City of Gods"という曲について考えていた。

「ニューヨークシティ、今夜は私に優しくして」

アリシア・キーズがニューヨークについて歌い上げるフックの存在は、かつて彼女が2009年にJay-Zと共にリリースした名曲、"Empire State of Mind"を否が応でも想起させる。

ニューヨークという街で生まれ育ったJay-Zがこれまでの人生や、ヒップホップというジャンルの歴史を振り返りながら言葉を紡ぎ、アリシア・キーズがアンセミックに街の名を歌い上げるこの曲は、極めてストレートなニューヨーク讃歌であり、いわゆるアメリカンドリームとも結びつけた極めて象徴的な存在だ。Jay-Zとは深い交友関係にあるYeは、明らかにこの曲の存在を前提として"City of Gods"を作っているはずである。

とはいえ、Jay-Zとは異なり、Yeの出身地はシカゴだ。ニューヨークという街に思い入れがあるのかもしれないが、同じように街を称えるのであれば、アリシア・キーズを呼んだとしても、(いや、だからこそ余計に)説得力が下がってしまう。なんでこんな曲を作ったんだろうか。


"City of Gods"における大きなポイントは、アリシア・キーズが歌うフックについて、The Chainsmokersが2015年に発表した楽曲、"New York City"のフックをそのまま引用していることである。

この曲は、彼らが"Closer"で特大ブレイクを果たす前年にリリースされた楽曲であり、"#SELFIE"や"Roses"などでちょっとずつブレイクへの足がかりを掴んでいた頃にリリースされた、ファンにとっては隠れた名曲的な存在だ。まだ想いが残っている元恋人に対して、自分のために決別することを決めるという感情を描いたエモーショナルなポップ・バラードである。この曲もまた、"Empire State of Mind"の影響下にあるニューヨーク讃歌と言って良いだろう。

ところでThe Chainsmokersといえばそれはもう「EDMから出てきた売れ線狙いの薄っぺらい、ポップシーンの害悪的存在」として滅茶苦茶嫌われており、音楽評論家が彼らのことを褒めようものなら、その人物の信頼度は地の底へと真っ逆さまに落ちていくくらいのアーティストだ。端的に言えば、彼等のことをフックアップするのはダサい行為である。しかもこの曲自体はそんなに売れたわけでもないので、「有名な曲を大胆不敵にサンプリングして、新しい文脈を作る」という初期のカニエの作風に合致することもない。全体的に謎なチョイスだ。

何故、この曲でYeが"New York City"をサンプリングしたのか、いくつか仮説を並べてみる。

1. 「まだ未練のある恋人に対して、踏ん切りをつける」という歌詞の内容にちょうどそういう状況だったYeが深く共感した。

2. 歌詞中の「Please go easy on me」というフレーズが「Please go yeezy on me」に聞こえて、ネタ的に面白いし、勇気づけられているような気分になった。

3. この楽曲の存在自体に何か価値を見出した。

恐らく1と2が正しくて、3については完全に妄想なのだが、個人的には3が大事というかめっちゃ語りたいので詳しく書いていきたい。

"Closer"があまりにも売れたせいで物凄くイメージが独り歩きしているところがあるが、個人的にはThe Chainsmokersの魅力は、庶民性にあると考えている。彼らの音楽はとにかく「なんとなくちょうど良いくらいのエモい感じ」であり、歌詞のテーマについても多くは「まぁ必ずしも幸せってわけではないし、うまくいっていないことの方が多いし、しんどい場面も多いのだけど、それでも今の自分を肯定するしかない」という、高尚さとは程遠いものだ。勿論ポジティブな内容の楽曲は多いが、熱狂的な愛を表現した"Roses"において「夜通し古い映画を見て、ソファに座って一服する」というシチュエーションが素敵な思い出として出てくるのは一つの象徴かもしれない。デートに良質なイタリアンを選ぶのではなく、サイゼリヤを選んでスマホの写真をダラダラ眺めながら「まぁでも二人でいれば良いよね」と過ごす感じ、それこそがThe Chainsmokersの描く世界であり、それは必ずしも褒められたものではないし、本当はそうあるべきではないと分かってはいるのだが、正直物凄く分かってしまう自分がいる。社会問題や自らが抱えている課題と向き合うことも、低俗な音楽じゃなくて高尚な音楽を求めることも大事なことだとはもう本当に、本当に分かってはいるのだけど、実際問題、自分の生活すらうまくコントロール出来なくて理想とは程遠い日々を過ごしている中で、当時の彼らの音楽はとりあえず聴いていて落ち着くような存在だったのだ。"New York City"もあくまで「自分が成功出来る場所ではないんだろうけど、今日ばっかりは自分もその華やかさに浸らせてね」というどうしようもない感じに満ちている。

だが、かつて自分自身が庶民的な生活の中で慣れ親しんでいたブランドであるGAPにルーツとしての美しさを見出し、YEEZY GAPによって価値の転換を引き起こしたYeは、そのThe Chainsmokersの描いたニューヨークに強く共感を抱いたのではないだろうか

言うなれば、"City of Gods"でアリシア・キーズに"New York City"のメロディを歌わせるというのは、GAPに対してBALENCIAGAとのコラボレーションを実現させることに近い。だって"Empire State of Mind"の人なわけで、ブランド化においてそれ以上の人選は無いだろう。元々は庶民的な存在だが、そこにハイブランド級のクリエイティブを導入することで、「それこそがリアルだ」と高らかに示して価値の転換を引き起こすのだ。そして、そんなことを考え、実際にそれを形にしてしまうことが出来るのは間違いなくこの世でYeだけである。ハイブランドなデザインに強く魅入られる一方で、自らが手掛ける商品については、YEEZY BOOSTに象徴される通り、万人の手に渡る商品に対してポップ・アートとしての価値を与える。それがYeという人物の哲学である。

また、(リリックでも言及している通り)Pop Smoke亡き後のブルックリン・ドリルを担う存在であるFivio Foreignを客演に迎え、トラックについても"Off the Grid"同様に直球のブルックリン・ドリルを導入した本楽曲は、"DONDA"以降、ブルックリン・ドリルをメインストリームへと持ち込もうとするYeの取り組みの最新バージョンである(ブルックリン・ドリルについては、筆者過去記事のこちらを)。Yeと言えば、常にこれまでにメインストリームに存在しなかったサウンドや才能に魅入られ、自身のブランド力でもって無名/有名問わず一気にフックアップしてしまうことで知られているが、色々ノイズが激しい今でも、その熱量が途絶えることは無いようだ。今、一番USのヒップホップ・シーンでキッズ達が熱狂する存在であるPlayboi Cartiのアドリブもバッチリ入っており、この音を「今、一番ホットなサウンド」に仕上げてしまっているのである。

考えれば考えるほどによく出来ていて、そのプロデュースの手腕にビビってしまう。当時のYeが本調子では無いというのは誰の目から見ても明らかだったし、"DONDA 2"はどう聴いたって未完成のままSTEM PLAYERを売るために無理やりリリースされた作品だが、"City of Gods"は個人的にはとてもスペシャルな楽曲だ。勿論、ブルックリン・ドリルの強烈なビートやPlayboi Cartiの声と絡みながら縦横無尽に突き進むFivioのヴァースの尋常ではない格好良さ、アリシア・キーズの歌声の美しさといった魅力による部分は大きい。だが、個人的には"New York City"という楽曲に光が当てられた過程に妙に感動してしまうのと、あれほど成功したにも関わらずこんな実験的なことをやってしまうという、その自らのヴィジョンに対する迷いの無さに勇気付けられるのだ。「面白いと思ったことは、誰の視線も気にせずにやれ!!とっととやれ!!!」という力が湧いてくるのである。

というわけで、今朝「そういえば"City of Gods"の話してなかったな。あんなに当時すげぇ!!と思ったのに言語化してなかったな」と思ったので、勢いオンリーで50分くらいで書きました。文章めっちゃくちゃだけど、まぁnoteなので。

ああ、そうそう。ちょうど"New York City"と同じくらいの時期にThe Chainsmokersがリリースした曲があって、

なんと"Kanye"という曲なんですよね。

I wanna be like Kanye
Kanyeみたいになりたい

I'll be the King of me always
いつだって私こそが私にとっての王

Do what I want, I'll have it my way
なんでもやりたいことをやるんだ。自分の好きにやらせてもらうよ

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