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朝が来るまで終わる事のないダンスを -Part 3.5 : そして、EDMに辿り着いた [後編]-

Part 1.「今、EDMってのがパリピの間で流行ってるみたいだけど、それで嫌がる人がいるのはなぜ?」 -2007年のマキシマム ザ ホルモン- はこちら

Part 2.「そもそもパリピってどういう人達なんだろう?」 -パリピってなんだろう- はこちら

Part 3.「EDMって最近よく耳にするけど、新しい音楽ジャンルなの?」 -そして、EDMに辿り着いた- はこちら


 前編では普通の事を書いていますが、後編から普通の雑誌では突入しないゾーンに突入します。この辺りから、「今のEDMを支えている層」が見えてくる気がします。

7. ニコニコ動画+ボーカロイドの大流行

 少し遡って2006年。この年、今では知らない人はいない程の人気サービスとなったニコニコ動画が誕生します。そして翌年の2007年にはボーカロイドの「初音ミク」が誕生します。つまり、誰もが自分で楽曲を製作し、インターネット上に発表して多くの人に聴いてもらう事が出来るという革命が起きます。当時の状況については柴那典さんの「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」に詳しいので、興味のある方はそちらをご覧下さい。そして、コンピュータで製作する都合上、いわゆるバンドサウンドよりもエレクトロニック・ミュージックの方が作りやすく、更に初音ミクという機械的な声を使う事も相まって、当時のボーカロイド楽曲にはポップなエレクトロニック・ミュージックも多く、特にlivetuneの存在は欠かすことが出来ません。同時期のPerfumeのブレイクも相まって、秋葉原を中心としたエレクトロ・ポップの勢いは更に強くなっていきます。

Packaged / livetune (2007)

みくみくにしてあげる♪ / ika (2007)

8. アーケードゲーム界隈におけるユーロビートの流行+音MADの流行

 90年代から00年代始めにかけてavexが仕掛けた、強靭にも程があるシンセサウンドが印象的なユーロビートブーム。その代表例とも言えるのが「SUPER EUROBEAT」というコンピレーションですが、なんと2016年4月20日に最新作のVol.238がリリースされております。まぁ、渋谷の一部のギャルとか今でもパラパラ踊ってるしな。基本的にムーブメント自体は00年代始めに終焉したのですが、アーケードゲーム界隈ではその超ハイテンションな音楽性からBGMとして使われる事もあり、例えば頭文字Dではアニメとアーケードゲーム両方でavex提供のユーロビートが起用されています。

Breakin'out / ACE (2008)

 更に、派手な音楽といえば音ゲー。その中でもトップクラスの知名度と人気を誇るのがbeatmania。プレイ楽曲として数多くのユーロビートが起用されています。更に、これらの楽曲のあまりにもインパクトの強い音楽性から、MAD動画が製作される事も多く、それらがニコニコ動画などに投稿される事によって、ダンスミュージックがより幅広い層へと浸透していったのです。"RED ZONE"はその筆頭とも言えます。

RED ZONE / Tatsh (2004)

SHINSHI ZONE (RED ZONEとアニメ"ギャグマンガ日和"のMAD)(2009)

9. USとヨーロッパにおけるハウス・ミュージックのポップ化

 メインストリームに戻りましょう。2000年代のヨーロッパではエレクトロやダブステップ等、様々なダンスミュージックが変化を遂げ、より楽曲単位かつポップに変わる動きも見られていました。一方、シカゴ・ハウスを生んだ米国でも変化が起き、2008年にカナダのdeadmau5が、Kaskadeと組んだ"I Remember"やPendulumのRob Swireをボーカルに招いた"Ghosts n Stuff"等をクラブヒットさせ、楽曲単位で聴けるようなキャッチーなハウス・ミュージックが台頭していきます。

Ghosts N Stuff / deadmau5 feat. Rob Swire (2008)

 一方、ヨーロッパでは2007年、当時プログレッシブ・ハウス、エレクトロ・ハウス界隈で活躍していたスウェーデン出身のAxwellSteve AngelloSebastian Ingrossoの3名がSwedish House Mafiaというスーパーグループを結成し、2010年にこの名義での最初の楽曲"One"を発表します。

One (Your Name) ft. Pharrell Williams / Swedish House Mafia (2010)

 派手で壮大なシンセがドロップで鳴り響く楽曲が示す通り、Swedish House Mafiaの楽曲はとにかくスケールが大きく、巨大なスタジアムで鳴るのをあらかじめ想定しているかのよう。彼らは、この曲を皮切りに続々とヒット曲を連発し、メインストリームにハウス・ミュージックを押し上げていきます

 実はこの流れのきっかけの一つとも言われているのが、2006年にDaft Punkが行った"Alive 2006/2007"ツアー。今では伝説化したこのツアーで、彼らは自身の楽曲をマッシュアップして生成した超キャッチーなエレクトロ・ハウスをド派手なステージと照明を携えて世界中に届けていったのです。その中には、アメリカ最大の音楽フェスティバル、Coachellaも含んでいました。ちなみに2006年のSUMMER SONICと2007年の単独公演で来日公演も実現しています。EDMに逆行するようなアルバムを2013年に発表した彼らはEDMのオリジネーターでもあるのです

Harder, Better, Faster, Stronger (Live) / Daft Punk (2007)

10. ダブステップの過剰化、ブロステップの登場

 ハウスの大衆化と並行して、前編で触れたMagnetic Manを筆頭にダブステップの大衆化が進むのですが、2010年、決定的な存在が登場します。それがアメリカで活動していたSkrillex。この年、彼がdeadmau5のレーベルから"Scary Monsters & Nice Sprites"というEPをリリースし、ダンスミュージック界にとんでもない衝撃を与えます

Scary Monsters & Nice Sprites / Skrillex (2010)

 従来のダブステップサウンドに見られた抑制されたサウンドや静かな雰囲気は完全に破壊され、その代わりに凄まじい重低音とド派手なシンセ、過剰なサンプリングで埋め尽くされています。当然賛否両論。全てがあまりにも過剰すぎるため「これは最早ダブステップではない」という議論が巻き起こり、「Brostep」と揶揄されるようになります(語源は、女性をナンパする時に使う「Yo,Bro」と、"壊れた"を意味する「Broken」)。更に、同時期にイギリスでも、レイヴ系シンセなどの派手で過剰なサウンドを鳴らすRuskoが注目を集め、ブロステップの動きは徐々にダンスミュージック全体に波及していきました。

Woo Boost / Rusko (2010)

11. 2010年、日本でのK-POPブーム

 何かとバッシングされがちですが、韓国っていうのは、ダンスミュージックに関してかなり本気度の高い国なんですね。海外の動きをリアルタイムでキャッチするのは当然として、時には一歩先を行くくらいなんですよ。去年のf(x)とか凄まじかったですから。ULTRAに関してもEDMが流行し始めた2012年に即開催しています。

 そんな韓国が日本市場に照準を当てた2010年。BIGBANGや少女時代、KARAを皮切りにK-POP勢が一気に日本デビューを果たします。この頃の日本のJ-POPではいわゆる「歌姫フィーチャリング系のヒップホップ」が流行するなど全体のテンポが遅くなっていた事もあってか、若い女性を中心にメリハリの効いたサウンドとキレのあるダンスを押し出した刺激的なK-POPは続々とブレイクしていきます。当時はまだAKB48やEXILE TRIBEが今のような地位を獲得する前という事もあり、女性が憧れるロールモデルが少なかった事も要因の一つでしょう。そして、そんなK-POP勢のサウンドはUSでのエレクトロ・ポップやハウス・ポップの流れの系譜上にあるものだったため、海外でのダンスミュージックの動きがK-POPを通して日本の若い女性に届いていったのです。

Genie / 少女時代 (2010)

 個人的に印象的だったのが2NE1で、彼女達は日本ではそれほどブレイクしませんでしたがそのサウンドはDavid Guettaなどの流れと完全にリアルタイムでシンクロしていました。

Fire / 2NE1 (2010)

12. アンセムが生まれ続けた2011年、遂にEDMの時代が幕を開ける

 エレクトロやダブステップやハウスミュージックが変化を遂げていき、徐々に大衆化が進み、更にヨーロッパだけではなくUSや韓国や日本にもその影響が波及していく中、遂に2011年が訪れます。この年、とある決定的な楽曲が誕生します。それが、LMFAOによる"Party Rock Anthem"。

Party Rock Anterm / LMFAO (2011)

 合唱必至のメロディ、インパクト大のドロップ、シャッフルダンスを大々的にフィーチャーした素晴らしいミュージックビデオ、確信犯的な軽薄さ、単純明快な「Party」というテーマ等、全てが揃ったこの曲がEDMの流れを決定的なものにしました。2011年、年間ビルボード・チャート2位という特大ヒットを記録し、世界中でシャッフルダンスが流行。この日本でも取り上げられています。元々彼らは2006年に結成してThe Black Eyed PeasのリーダーことWill.I.Amのレーベルからデビューしたのですが、David GuettaとLMFAOをそれぞれメインストリームに連れ出した彼の先見性には驚くばかりです。

 また、同年にはDavid GuettaがUS制覇に向けて本気を出します。R&Bやヒップホップ色を強化し、かなりの数のポップスターを集め、全米に照準を定めたアルバム"Nothing But Beat"をリリースし遂に全米5位の大ヒットを記録。それまで存在していた「エレクトロミュージックはアメリカでは根付かない」という常識を破壊したのです。アルバム以降、"Where Them Girls At"等のシングルを続々とチャートに送り込み、ポップシーンにフレンチ・ハウス/エレクトロ由来のEDMが徐々に定着していきます。

Where Them Girls At ft. Nicki Minaj, Flo Rida / David Guetta (2011)

 更に元々ポップミュージックシーンで活躍していたアーティストもその流れを受けた楽曲を発表し始め、ラッパーのPitbullがオランダのAfrojackを招いた"Give Me Everything"を大ヒットさせています。Skrillexは狂気的なビデオと共に"First of the Year(Equinox)"を発表、Swedish House Mafiaもシングル"Save The World"をチャートに送り込み、2010年の勢いを追撃していきます。

Give Me Everything ft. Ne-Yo, Afrojack, Nayer / Pitbull (2011)

 一方で、この年には新たな才能も続々と現れます。例えばフランスのMadeonは39曲もの楽曲をマッシュアップした"Pop Culture"をYouTubeに公開し、スウェーデンのAviciiは"Levels"という楽曲を発表。突如現れた才能に世界中のダンスミュージック好きが一気に食いついていきました。

Pop Culture / Madeon (2011)

Levels / Avicii (2011)

 日本ではbanvoxがネットレーベルのMaltine Recordsから初作品をフリーで発表し、2日間で4000ダウンロードという記録を叩き出し、そのままの勢いで翌年に世界デビューを実現しました。現在は、livetune、tofubeats、中田ヤスタカと共に、ワーナーミュージック・ジャパンのクラブイベント"YYY"のレジデントDJとして活躍しています。

Laser / banvox (2011)

 そしてこの年、Swedish House Mafiaはこの凄まじい勢いに乗って米国のMadison Square Garden公演を実現させ、ダンスミュージック・アーティスト史上初めて会場をソールドアウトさせるという偉業を達成しました。

 この動きは2012年に更に加速していき、EDMはいよいよ世界的な現象へと変貌していったのです。

(余談)

 合計12のトピックに分割して、EDMがどのようにして生まれ、どのようにして広がっていったのかを書いてみました。勿論書ききれていない部分は大量にありますし、そもそもこうやってまとめあげた記事が存在しない中で書き進めていったので間違いもあると思います。また、2012年以降も"Harlem Shake"に"Gangnam Style"や"The Fox"など、EDM自体が完全に定着したからこそ出来る現象が発生していて、とても面白いのですが、それはまた今度書きましょう。また、EDMの源流として欠かせないトランスの流れがあり、TiestoやArmin Van Burren辺りはまさにその辺りで活躍していた人達なのですが、レイヴ・トランスの歴史は伝統的なものであり、かつここまで書いてきた流れとはまた異なるものなので今回は割愛させていただきます。少しだけ書いておくとすると、このようにしてダンスミュージック・シーンが一般化するのに伴って、元々活動を続けていたレイヴ・トランスが再び陽の目を見たといった感じでしょうか。実際、ULTRA MUSIC FESTIVALには1999年の始動時からずっと、レイヴ・トランスのDJが出演し続けていました。

 ところで興味深いのは、少なくとも2011年時点では誰一人として「私はEDMを聴いている」という自覚が無かったという事です。元々エレクトロが好きで、JusticeやSkrillexを聴いたり、ビルボードに載るようなTOP40系が好きだったり、ハウスが好きだったり、ダブステップを偏愛していたりと、あらゆる音楽好きが、その動向を追いかけている内にEDMに辿り着いたのです。当時の僕自身も「なんか、最近随分派手になってきたな」という感覚を抱いてはいたものの、まさかこんな風になるとは思っていませんでした。

 この流れから「パリピ」という名称についても考えてみます。元々「パーリーピーポー」という言葉は主にクラブ界隈を中心に随分前から定着していたはずです。2007年にはGReeeeNがクラブの熱狂を描いた「パリピポ」という楽曲を発表しているくらいですし。ただ、その意味合いが変わっていったきっかけはやはり「Party Rock Anthem」なのではないかと思います。これは個人的な推測ですが、この頃はまだEDMという言葉が定着しておらず、「Party」という言葉が頻繁に使われていたんですね。2011年の爆発を経て、翌年のR&B/Dance Music フェスティバルのSPRINGROOVEではDavid GuettaにLMFAOにAfrojackにBIGBANGに2NE1と2010年以降の流れを総動員したラインナップが一斉に来日していますが、ここでもEDMという単語は使わずに「THE ULTIMATE PARTY」という言葉を使っています。こうしてParty Peopleという概念が広がっていったのではないでしょうか。

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