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デス旭岳ストランディング

承前


『DEATH STRANDING』というゲームがある。非常に有名なので説明不要かもしれないが、これはゲーム界のリビングレジェンドである小島秀夫監督の作品で、サム・"ポーター"・ブリッジズという男が主人公だ。やさぐれた配達人ポーターのサムをノーマン・リーダスが演じている。

主人公が配達人なので当然だけれど、デス・ストランディングは配達をするゲームだ。A地点からB地点までのお使いを繰り返す。このゲームで難しいのは移動そのもので、重い荷物を背負えばサムの動きは遅くなるし、ちょっと足場が悪いだけでよろめいたりスッ転んだりする。ぐらぐらふらふらと歩くサムの姿はゲームの主人公としてはかなり頼りなく、また動かしていてストレスも溜まる。

しかし、俺はもう彼のことを少しもバカにできない。それどころか、畏敬の念すら抱いている。サムは化け物じみてタフであり、やはり主人公なのだと。

デス・ストランディングに関する認識を改めることになったのは、北海道最高峰を誇る大雪山旭岳に登っていたときのことだ。


AM5時、アラームがけたたましく鳴る。寝袋を使った割には深い睡眠ができたらしく、目覚めは悪くない。キャンプ場の蛇口で顔を洗うと、あまりの水の冷たさに一瞬で完全覚醒した。本州のぬるま湯とは格が違う。

キャンプ場から車で1時間ほど走り、旭岳ロープウェイに到着した。ゴンドラから外を見ると、眼下にはすでに絶景が広がっている。もうこれだけで十分じゃない?わざわざ半日もかけて山登らなくてよくない?……と言いかけたが、横にいる友人ふたりが目をギラギラ輝かせているのを見てやめた。彼らは俺と違って根っからのアウトドア派であり、昨年は悪天候で旭岳登頂を断念している。下手にこの山男たちの機嫌を損ねると後が怖い。見捨てられるかもしれない。

もう登山してる

ロープウェイを昇った先の駅には、登山者用の杖がたくさん置いてある。木の杖ではなく、スキーに使うような軽いストックだ。ちょっと大袈裟な気もしたが、文字通り転ばぬ先の杖。ありがたく一本拝借していくことにした。

結論からいえば、この杖がなければ俺は死んでいた……かもしれない。

ロープウェイを出てしばらくは木製の遊歩道があり、散歩気分で景色を楽しめる。ちらほら見かける軽装の人はこの遊歩道を軽く一周し、またロープウェイで下っていくのだろう。だが我々はずっとその先へ行かねばならない。

遊歩道は少し歩くとなくなり、むきだしの地面には大きな横木で作られた段差が時々現れる。これを乗り越えて軽い坂道を歩き続けるだけでも、俺の貧弱な体力を削るのには十分だった。快晴の空から降り注ぐ日光で身体が汗ばみ、少し肌寒かった風が次第に心地よくなっていく。旭岳名所のひとつである姿見の池に到着したのは、息が切れはじめてきたころだった。池の前で一休みする。

姿見の池と硫黄噴出口

登山に関して俺が持ち合わせている知識といえば『神々の山嶺』と『ヤマノススメ』だけで、覚えているセリフは「水分はどんなに摂っても摂りすぎるということはない」だけだ。実際、乾燥した空気のせいか流した汗に比べてひどく喉が渇いていた。水をがぶがぶ飲んでいると、友人が袋詰めのナッツを投げてよこしてきた。行動食というやつだ。

いやあいいところまで来た、あとどれくらいだと友人に尋ねる。彼はクスクス笑いながら指を指した。姿見の池の向こう、噴き上がる硫黄混じりの蒸気のさらに先、遠近感が狂うほど遠い稜線のさきっぽが目的地の旭岳山頂であると。ならばここは七合目あたりかと尋ねなおすと彼はゲラゲラ笑って、まだ五合目だと答えた。

そんなバカなと思ったけれどバカは俺だ。景色があんまり高山っぽいので、実際よりずっと高いところまで登ったように勘違いしていたのだ。時刻はまだ8時にもなっておらず、本番はここからだった。

こんな景色でもまだ五合目

気温や土壌、風などの条件により、山はある高さから樹木を生やさなくなる。いわゆる森林限界であり、それでもなお育つ背の低い草花を高山植物という。厳しい気候に晒される旭岳は本州よりもだいぶ森林限界が低いらしく、ロープウェイに乗ってる間に森林限界を超えていたとのことだ。

俺は、目の前の景色がデス・ストランディングにオーバーラップするのを感じていた。ゲームの中では時雨タイムフォールという超常現象が起こっており、雨粒が触れたものの時間を急激に進める。そのため人工物はほとんど朽ち果て、木々も大きくなる前に枯れてしまう。そうして、かつてアメリカ合衆国と呼ばれていた土地は、いまや荒涼とした原野に変わり果ててしまったというわけだ。

小島監督は山登りを嗜むらしい。デス・ストランディングの"ただひたすら歩き続ける"ゲームデザインやロケーションは、きっと監督の登山体験からインスピレーションを得たのだろう。実体験からフィクションへ。俺はといえば、監督のインスピレーションを逆方向から辿っていたことになる。

旭岳は六合目あたりからいよいよ道が険しくなりはじめる……というか、道ではなくなった。角ばった石がゴロゴロしている傾斜を、ただひたすらに登り続けなければならない。

考えてみたら、少しでもマシなルートを注意深く探す作業もかなりデス・ストランディングっぽい。サムならトリガーを押しこむだけで登れる道を、俺はジグザグに迂回しながら必死になって進んでいる。間違いない、あの男は正真正銘のタフガイだ。

いざ登り出すと悠長に世間話をしているような余裕はすぐなくなって、まもなく息がヒュウヒュウしだした。俺の錆びついた心肺機能では筋肉に十分な酸素を送ることはできないし、その筋肉自体、あってないようなものだ。先ほど食べたナッツのカロリーが燃え上がり、なかば強引に身体を駆動しているのがなんとなく分かる。なにか食べていなければ、ひだる神に取り憑かれて一歩も動けなくなっていただろう。

足場の悪さで歩行のテンポが乱されるのもつらい。一歩ごとに一分ずつ重くなっていく身体を杖で支えて、死ぬ気で足を持ち上げる。すいすいと足を進め、さらには俺に励ましの言葉をかけてくれる友人たちが急に人外の存在に見えてきた。「俺は動けるデブだから」と言って、友人Aがニヤリと笑う。こいつ、四六時中食ってるだけじゃなかったのか……。

誇り高きデブである

肺が痛い。足が痛い。過呼吸気味になっているのか、頭も痛い。

苦しい、苦しい、苦しい。

一合登るごとに休憩を取っていたのが半合ごとになり、ついにその半分ごとになった。登り始めたときと比べるとスタミナの上限が大きく削られていて、ちょっと動いただけですぐに枯渇するようになってしまっているからだ。ダークソウルにこんなバッドステータスがあった気がする。

もう疲れちゃって全然動けなくってェ…

背筋を曲げてくたばりかかっている俺を見かねて、8合目にさしかかったあたりで友人が俺の荷物を肩代わりしてくれるようになった。こいつ、動けるデブな上に聖人なのか……?死ぬほどなさけないが、しかし、疲れてスッ転んで本当に死んでしまうよりずっとマシだ。

孤独に歩め。悪を為さず、求めるところは少なく。林の中の象のように。

疲労で朦朧とした頭に釈迦の言葉が降ってくる。押井守の『イノセンス』にも引用された有名な言葉だ。後ろ半分はともかく、前の半分はこの状況に当てはまらない。孤独に歩んでいたら今ごろ俺は行き倒れだ。ついでにいうとこの引用は「明敏な友と交われ」という前提をクリアした人に向けた警句なので、ぼっちを無条件で肯定する言葉ではなかったりする。

ぜえぜえいいながら九合目。頂上が見えた途端に軽くなる現金な肉体に我ながら呆れつつ、ラストスパートをかける。旭岳の山頂のそばの四角い大岩、金庫岩を通り過ぎて頂上まで走り抜けよう……としたけれど、そんな体力はどこにも残されていなかった。

金庫岩

ヨボヨボと歩きながら、それでもついに山頂へとたどり着いた。標高2291メートル、北海道で最も高い山の頂上だ。途中で数えきれないほどの人に抜かされまくった──あの悪路と傾斜を小走りで登りきってそのまま降りてくる、化け物のような人すらいた──ので、10時にもなっていないのに山頂は大勢で賑わっていた。とはいえ、不摂生が服を着て歩いているような俺にとっては、初登山でここまで来られたこと自体が奇跡であり、その喜びを噛みしめるだけで十分すぎた。

一息ついてから、山頂からの景色を堪能する。登っている最中、左手にずっと見えていた硫黄の噴出口の一帯が凹んでいるのがよくわかる。たしかに、誰が見てもこれは地獄谷だ。

地獄谷から後ろに振り返ると、大雪山連峰が広がっている。むきだしの山肌があちらこちらに突き出している様子を見ると、火山活動のスケールにくらくらしてしまいそうだ。視線と同じ高さに浮いている雲を見ながら、改めて標高の高さを実感する。まさに天辺、ここは天国に近いところなのだと。

ひとしきり景色を楽しんでリラックスしたら、急にものすごい空腹を感じてきた。まだ昼前にすらなっていないが、カロリーを使い果たしてしまったのだろう。ガスバーナーで湯を沸かし、カップヌードルをこしらえる。汗でミネラルを失ったからか、キツい塩気が染み渡っていくようだ。うますぎる。自分でも驚くほどの速さでスープまで飲み干し、写真を撮り忘れてしまった。

もうここで死んでもいいような達成感。なのに、登山というものは残酷だ。一度登ったら降りなければならない。しかもこの、筋肉疲労で震える脚でだ。

この斜面を降りていく

山を下るのは登るのと違って大して疲れないけれど、とにかく怖かった。まずい角度に足を置いてしまってもまともにふんばれないので、そのままずるずると滑り落ちてしまう。これを何度かやらかしてしまったが、斜面に向かって尻もちをつくように滑っていたのは不幸中の幸いだったかもしれない。前につんのめっていたら、きっとそのまま御陀仏だった。

最後の最後まで友人と杖に助けられながら、なんとか下山を果たした。まったく、持つべきものは友と杖である。

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