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【翻訳記事】反トラストは反労働か?

カナダ人ジャーナリスト、コリイ・ドクトロウのブログより翻訳。


もしあなたが“反トラスト”という言葉に対してホコリをかぶった古臭いイメージを感じるなら、それは想像に難くないことだ。ジョン・D・ロックフェラーが世界初のビリオネアとなった19世紀後半にこの言葉は生まれた。ロックフェラーは石油業界の競合会社と”トラスト”を組み、労働者と顧客からの搾取に集中できるよう、互いに競争しないことを合意した。

トラストは、信じられないほど効果的な事業構造だった。競争する数多の企業がひとつの持株会社トラストに売られ、古い独立経営企業のオーナーは新たなトラスト企業の株式を手に入れる。こうしたトラストは価格を高騰させ、賃金を抑えつけ、単一の存在としてふるまうものである。新しく独立企業を起こしてトラストに戦いを挑む者は誰であれ、トラストの手で締め出されかねなかった。かかったコストより安くモノを売ったり、重要なサプライヤーや顧客と独占契約を交わしたり、あるいはその両方のやり方で。ひとたびトラストが業界を支配してしまえば、敵うものはいなかった。トラストに仕える臣下は、終身の支配者となった。

最初に成功したトラスト企業はロックフェラーのスタンダードオイルで、合衆国の石油シェアの90%が集まっていた。ほかの”資本家”もこのゲームに乗り、綿実油トラスト(75%の市場シェア)や砂糖トラスト(85%)が構成された。さらにウィスキートラストと牛肉トラストまで。終身の任期と後継者選択権を持ち、選挙で選ばれたわけでもない一握りの”実業家”によって運営される計画経済へとアメリカは変貌しつつあった。

イングランドの王を追い出してから1世紀経ち、アメリカは新たな王を戴いた。”生活必需品の生産、輸送、販売に君臨する王”だ。これはジョン・シャーマン上院議員による1890年の状況の表現であり、当時の彼は最初の"反トラスト"法であるシャーマン法の可決に向けた運動に取り組んでいた。アメリカの立法者が市場競争を守ろうとしたのはシャーマン法が初めてではない。しかしこの法案が可決されたのは、かつて競争法の失敗がシャーマンのいう”貿易の独裁者たち”による国家乗っ取りを引き起こしてから初めてのことだった。

シャーマン法──そしてそれに続くクレイトン法のような法律は、企業の力から労働者と顧客を守ることを明確に目指していたという点で、画期的な法律だった。反トラスト法とは、大きすぎて失敗することも法に問われることもないくらい強力な企業が現れないことや、企業が規制当局を虜にして政治的手続きをひっくり返したりしないことを保証するものだ。

まもなく富裕層階級に到達できると考えて富裕層との戦いに加わろうとしないアメリカ人労働者を”一時的に困窮しているだけのミリオネア”とあげつらうなら、アメリカの富裕層は”一時的に困窮しているだけの貴族”といえる。もし自分が名家の生まれなら、こうした富裕層は世襲統治を歓迎することだろう。アメリカのエリートの目標はいつだって、広大で強靭な王朝を作ることだ。王朝の富は莫大で、かつうまく隔離されていて、ハプスブルク顎を誰よりもしゃくれさせたボンクラですら浪費しきれないことだろう。

アメリカのエリートたちは常に・・反トラスト法を憎んでいた。1980年代には、ロナルド・レーガンがロバート・ボークとシカゴ学派の共謀者に扇動され、”消費者厚生基準”と呼ばれるものを通じて反トラスト法を骨抜きにした。その結果、価格の高騰が直接かつ議論の余地なく市場支配力に帰属する場合以外には独占禁止法は執行されなくなった。そんな"場合"、ふつうは起こりえない。

レーガンが反トラスト法をリンカーン像の後ろに追いやり腑抜けにしてしまってから40年が経つ。アメリカはシャーマンが激しく非難したような貴族的泥棒政治クレプトクラシーに陥っており、”名門一族”たちが国家の富と政治、そして最高裁判所の判事すら支配している。

永遠に続くことがかなわないものは、いずれ動かなくなる。市場の独占はおよそあらゆるアメリカ人の生活水準や健康、自由、繫盛を脅かすものだ。ギロチンを用意した金融業界の屍人グールに、テック業界のお仲間たち、そして製薬業界で暴利を貪る連中が国家を否定のしようがないほどメタクソ化enshittificationしたおかげで、反トラスト法の復活、連邦取引委員会および司法省反トラスト局の完全なリニューアルにつながった。

新しく活気のある連邦取引委員会を生む鍵となったのが、アルヴァロ・ベドヤ委員だ。彼はレベッカ・スローター委員とリナ・カーン委員長と同じく、委員会内の多数派である民主党支持者のひとりだ。ベドヤはテクノロジーとプライバシーと公民権に関するバックグラウンドを持ち、長きにわたって搾取的な金融業界に意義を唱えてきた。彼はまた法学教授であり、活発な学術著者である。

今週のはじめ、ベドヤはユタ・プロジェクトに向け、反トラストと消費者保護の協議についてスピーチを披露した。そのタイトルは”ドルを狙う、人ではなく”。これはイカしたタイトルだ。

https://www.ftc.gov/system/files/ftc_gov/pdf/bedoya-aiming-dollars-not-men.pdf

新しい反トラスト法に対する批判は、アメリカ国内の新興財閥オリガルヒのみから起こっているわけではない──労働運動も反トラスト法に対して懐疑的であり、それには十分な理由がある。価格をつり上げるために企業間で談合するのを反トラスト法が禁じる一方で、シャーマン法可決以降の多くの場面で判事は恣意的に反トラスト法をねじ曲げ、よりよい職場環境を要求するように労働者に説く指導者を罰してきたのだ。まるで、彼らこそが価格をつり上げようとするロックフェラーかその取り巻きであるかのように。

これがベドヤのスピーチの主題だ。台本には入念に脚注が記されており、スピーチで語られたテキストのおかげで、反トラスト法はこうした状態を生むためにあるのではない・・ことと、労働者の力をくじくためのこうした曲解を容認すべきではない・・ことが非常に明確になっている。スピーチのタイトルは民主党の下院議員であるトーマス・コノップの1914年の発言に由来している。反トラストについてコノップは「我々が狙いを定めているのは巨大なトラストや資本の結託であって、よりよい待遇を求める人々の組合ではない。我々が狙うのはドルであって、人ではない」と述べた。

コノップはシャーマン法に次ぐクレイトン法の可決を訴えていた。クレイトン法が可決された理由のひとつは、文面と立法意図に沿ってシャーマン法を執行することを判事が拒み、この法律を労働者に向けて行使していたからだ。シャーマン法の可決から2年後の1892年には、この法律がニューオーリンズのゼネストを破るために用いられている。このゼネストは、港湾労働者から印刷工から大工から霊柩車ドライバーに至る労働者からの搾取に反対する、人種を超えた蜂起だった。

経営者たちは連邦判事のところへ行き、ストライキの差し止めを求めた。判事はシャーマン法が”結託した資本が生む諸悪”と戦うためにデザインされていることを認めておきながら、それでも差止命令を出したのだった。

シャーマン法は、アメリカの鉄道でプルマン社の列車に乗って働く黒人労働者が組織したプルマン労働組合を叩き潰すためにも使われた。1894年、25%の賃金カットののち、これではもう食べていけず家族を養うこともできないと彼らは訴え、ジョージ・プルマンは彼らを全員クビにしたのだ。ユージーン・デブズに率いられた労働者たちはストライキを起こした。プルマンはこのストライキがシャーマン法に違反していると訴えた。最高裁判所は9:0でプルマンを支持し、ストを止めるように命じ、そしてデブズを投獄したのだった。

1902年、コネチカット州ダンベリーで、水銀中毒に苦しむ帽子職人が労働環境の改善を求めた──この職に就いてしまったら、ほんの数年で帽子職人は水銀中毒による障害で一生を過ごすことになっただろう。酷い震えのせいで、自分で食事をすることすらままならないのだ。デラウェア州のロエベ社では、250人の帽子職人が組合を作ろうとした。ロエベ社は彼らをシャーマン法に基づいて訴え、最高裁まで持ち込んだ。最高裁がロエベ社に現代の価格で680万ドルを与えたことで、ロエベ社は元社員の住居を差し押さえることができた。

これこそ、下院議会が振り出しに戻ってクレイトン法を可決した理由だ。シャーマン法がトラストを打ち破るためにあったのは明らかなのに、裁判所は組合を打ち破るための条文としてそれを解釈し続けてきたのだ。クレイトン法は労働者が組合を作り、ボイコットを呼びかけ、同情ストを行うことを明確に認めるものだった。

この法律はなにもかも十分明確に作られた。判事が立法意図を理解せざるをえない・・・・・・・・・くらい平易な言葉で書かれていたのだ。それでもなお……判事はクレイトン法をなんとか曲解しつづけ、1920年代には2100件ものストライキを破るのにこの法律が使われることとなった。明らかになったのは、悪しきシャーマン法の判例(と悪しき意図)のせいで破られそうになったストライキがクレイトン法のおかげで救われたというような出来事はひとつもなかったということだ。クレイトン法はそもそもそうした判例のせいで作られたというのに。

強欲な経営者が労働者を攻撃するためにクレイトン法が用いられた規模といったら、本当に恐ろしくなる。ウェストバージニア州ミンゴのレッドジャケット石炭会社で起こった炭鉱夫のストについてベドヤは述べている。この炭鉱の利益は600%も伸びているのに、労働者の賃金はインフレについていけていなかった。炭鉱夫たちは、自分が掘った石炭を載せた貨車一台分に対する0.66ドルの支払いに0.10ドル上乗せすることを求めた。会社は本物の金で給与を支払うことすらしていなかった──会社が運営する店でしか使うことのできない"企業内通貨"だったのだ。レッドジャケット社は貨車一台につき0.09ドル上乗せし──会社の店を一品あたり0.25ドル値上げした。

労働者たちはストライキを起こし、レッドジャケット社は訴えた。『デュプレックス印刷会社事件』でクレイトン法が適用されたのは"明確に雇用者と被雇用者の関係にある"者だけだったという判例にならって、控訴裁判所第四巡回区はクレイトン法の適用を退けたのだった。

議会は激怒した。1932年にはノリス=ラ・ガーディア法が可決され、ラ・ガーディア議員が判事に対して「意図的に法に背き……弱体化させ、議会の意図を放棄し、意図を完全に破壊せしめた」と吐き捨てた。"係争の当事者が明確な雇用関係にあるかどうかに関わらず"適用されたことで、ノリス=ラ・ガーディア法は労働者が反トラスト法の適用を免れるようにした。要するに「議会から判事へ、すっこんでろ」というわけだ。

それでもなお、判事は労働者を叩きのめすための棍棒として反トラスト法を使う方法を見つけ出した。『コロンビア川食品包装会社事件』において、裁判所は漁師が売っているのは"コモディティ"(すなわち魚のことだ)であり労働力ではないとして、労働者を対象とする反トラスト法免除で漁師を保護しなかったのだ。推察するに、そこの魚はボートにただ飛び乗ってくるので誰も何の労働もしなくてよかったのだろう。

反トラスト法を曲解しようとする法執行者たちの意欲は何世代にも渡った。1999年、連邦取引委員会は国内でもっとも酷い目に遭っていたある労働者たちの希望を叩き潰した。"独立系"の港湾トラックドライバーは、週に80時間労働してもなお給与を支払われていなかったのだ。ドライバーに給与が支払われるのは港から港へトレーラーを運ぶときだけで、それなのに彼らは何時間もの不払い労働を要求された──コンテナ積みや修理用品の運搬を、すべて無給で。トラックドライバーたちは組合を組織しようとした──すると連邦取引委員会は、価格操作に関する査問で指導者を召喚したのだ。

しかし、問題は法律にあるのではない。判例を作り出した判事にある──ラ・ガーディアが言うように、その判例は「意図的に法に背き……弱体化させ、議会の意図を放棄し、意図を完全に破壊せしめる」ものなのだ。

議会は労働者と判事を強化する法律を通過させ──一時的に貴族階級を弱らせ──その法律は労働者を叩きのめすことが目的であるかのようにただ振る舞うのだった。しかし2016年には、判事も目的を理解するようになった。当時、プエルトリコのカノヴァナにあるカマレロ競馬場で、騎手がアメリカ本土の騎手と同じ賃金を求めてストを起こしたのだ。プエルトリコ人の騎手が命をかけて騎乗しても20ドルしかもらえず、本土ではその5倍だった。

案の定、馬主と競馬場は訴訟を起こした。騎手は下級裁判所で敗訴し、判事は騎手に対して馬主と競馬場に100万ドルの罰金を支払うよう命じた。騎手の配偶者すら訴えられ、彼らが100万ドルの支払いのために給料を追い求めなくてはならないように仕向けられた。

この事件は控訴裁判所第一巡回区へと送られ、サンドラ・リンチ判事はこう述べた。「ご存知のように、騎手が被雇用者か請負人であるかは関係ありません。彼らがコモディティを売っているか労働力を売っているかも関係ありません。騎手にはストライキを起こす権利があります。以上」これこそ、クレイトン法に書かれていることだ。判事は下級裁判所の判決を覆し、罰金を帳消しにした。

ベドヤが言うように、反トラスト法とは「石油トラストや砂糖トラスト、牛肉トラスト……巨大なトラスト企業や資本の結託……ドルの手綱を締めるために書かれた法律であり、人間に向けられたものではない」。議会は「一度や二度ではなく三度にも渡り、回を追うごとに大きく、ハッキリとした声で」それを明言してきた。

連邦取引委員会の民主党多数派のひとりであるベドヤはこう締めくくる。「労働者の団結と団体交渉は反トラスト法の侵害ではないと議会は明確に定めている。投票するとき、そして査問や政策問題について考えるとき、こうした歴史が私を導いてくれることでしょう」と。

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