「きれい事」を志向して、現実と向き合う

昨日、Twitterで知り合った人事の方と飲みに行き(僕は下戸なのでソフトドリンクばかりですが)、「人事」についてお話をしてきました。

その中で、「きれいなこと」は誰にでもいえるけど、世の中はそんなきれいごとだけでは成り立たない。仮に汚い(?)ことでも、考えて意思をもって決めることが一番意味がある、というようなことが一つの結論だったのは非常に面白いなと思いました(職場で悩める人事パーソンに使えるな、と思いメモメモ)

そういう余韻に浸っている朝なのであえてきれいなことを書きたいと思います。

可能性への信頼・いい仕事をしたいという想いへの信頼

人事の領域は幅ひろく、実際に労務対応をやると人の闇や弱さに触れます。人件費や人員数の仕事をしていると、人間が数字に見えてきます。(無意識に10人減らせばいい的な発言をしている)評価制度を作っていると、大筋で合意が取れるもの、制度のはざまに落ちる人がいることを理解したうえで、仕方がないと言って切り捨てます。

その中で、自分のポリシーとしているのが「可能性への信頼」であり、人はいい仕事をしたいという思いを持っている、今より成長したいという思いを持っている、そのことについては、少なくとも疑わず信頼しようということです。

人は弱く、巷説に流行っているキラキラ性善説でマネジメントが回るわけがないです。一方、がっちがちの性悪説に立って社員に監視カメラやGPSを仕込んむとなると非常にさみしい話だとも思っています。

そのなかで一つ疑わずに信頼できるのは上記の「可能性への信頼」と「いい仕事がしたいと思っているはず」という人間の本質だと思っています。(自社の社員のここに信頼ができなければ、いったいどんな採用をしていたのか?という話だと思いますし、採用時点でなく人事政策がゆがんでしまっているのだと思います)

ネタばれ

ネタばれですが、この考えは僕のオリジナルのものではないです。これは1997年のハーバードビジネスレビューに寄稿された横川清和さんの「プロフェッショナル・マネジャーとは何か」という論文から得た学びであり、今までの自分が受けたいいマネジメントや「いい上司」と言われる人に共通しているものの演繹法的な帰結でもあります。

この論文のコピーを僕は、30歳くらいの時に上司からもらいました。彼がマネジメントで困ったときに何度も読んだものだそうです。特に海外赴任をしているときに人間の本質(気持ち)は国籍が違っても同じという考えをもとに苦労しながら現地の人のマネジメントに臨んでいたという話を聞きました。僕も、彼に倣ってこれを常に手帳に入れてことあるごとに読み直しているのですが、常に発見のなる名論文です。

その中でマネジメントについてこういう一説があります

「管理とは、人間と人間の協働の可能性を信頼の力によって解発し、”現実”をめぐる「仮説ー実行ー検証」に注ぎ込み、可能性の現実を志すこと。」

常にシチュエーションや背景は異なりますが、この定義が本当なのかを検証し、どういうマネジメントをすべきかを考えて振り返り続けたいと思っています。そして、振り返って今のチームが人間性の解発する関係性を築けていたと思えるようにしたいと決意を新たにした朝でした。

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