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「悲しいとき」には何を聴く?…超個人的チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」鑑賞のススメ

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。連載を開始して以来、最も間隔が開いてしまいした。体調を崩して寝込んだり、骨折をしたり、指揮者としての仕事をこなしたりしておりました…。そして長い沈黙を破り満を持して来月から始まる新シーズンに向けて再開です!心待ちにしていた方がどれくらいいるかはわかりませんが。大変お待たせいたしました!今回は9月の「すみだクラシックへの扉」で演奏されるチャイコフスキー最後の交響曲、交響曲第6番「悲愴」の鑑賞ガイド!「暗い」イメージを持つこの作品、筆者の青春の苦い思い出を今回も織り交ぜながら「暗いだけではない」この作品の聴きどころを読者の皆さんだけにちょっとだけ指揮者っぽく?レクチャーします。

「悲しいときー!」からはじまるさまざまな「ネタ」で人気となったお笑いコンビがいた。

そのコンビの名は「いつもここから」。コンビ名には「初心を忘れない」という意が込められているそうだ。

僕はクラシック音楽を仕事以外で鑑賞するときには、そのときの気持ちに合いそうな曲を選択する。「元気を出したいときには〇〇」「落ち着きたいときには〇〇」といった感じに…。もちろんそのほかの曲のチョイスもある。ある曲の断片が「脳内再生」されることがある。その場合には自らの意思に従いその楽曲を鑑賞する。

「〇〇なとき」に聴く曲のパターンで、自分でも何故そうなるのか理由ははわからないのだが「便秘のとき」によく聴く曲が2曲ある。それらを聴くとにわかに便意をもよおしトイレに駆け込む。何らかの「反射」なのかもしれない。その2曲とはモーツァルト「交響曲第40番」と、イギリスの作曲家ウォルトンの戴冠式行進曲「王冠」(クラウン・インペリアル)だ。これらの曲は僕の大好きな作品なのだが、これを聴いていると急にトイレに行きたくなる。しかしこれらの曲を本番で指揮する時にはそのようなことになったことはない。その真偽を確かめたくなったオーケストラ関係の方々、この2曲をプログラムに入れた演奏会の指揮を僕にさせてみるのは如何だろうか。全くもって「芸術的コンセプト」のカケラも感じられない選曲である。なんならトイレ用品メーカーや便秘薬、腹痛薬の製薬会社にスポンサーについてもらおうか…開幕ファンファーレは有名な「ラッパ」のアレが良いがもしれない。

サー・ウィリアム・ウォルトン

さて、みなさんは「悲しいとき」にどのような曲を聴くだろうか?「元気になるような曲」を聴いて元気を取り戻したいと思う人もいるだろう。また、共感と勇気を感じる歌詞の楽曲を聴く人もいると思う。

僕が「悲しいとき」には「とことん悲しく、悲劇的な曲」を聴く。悲しくなったらとことんまで悲しみにドップリ浸り、浸り切ってスッキリする…これが僕のスタイルだ。部屋を真っ暗にしてその曲を大音量で流す…何とも根暗な感じだが、僕はそれをすると随分気持ちがスッキリするのだ。それらの曲の中でも、トコトン悲しみに浸りたい時、そこから回復したいときに聞く作品がある。

それは…チャイコフスキーの最後の交響曲、交響曲第6番「悲愴」。

「悲愴」というタイトルからして、ただならぬ「悲劇性」を感じるだろう。この「悲愴」というサブタイトルは後年誰かが命名したものではなく、チャイコフスキー自身がスコアに記したタイトルだ。

この作品をより悲劇的にしているのは、作品の初演から9日後にチャイコフスキーが急死した事実だ。この死については「ある理由」による「自殺」説が実しやかにクラシックファンの間で語られることがあるが、実際は生水を飲んだことが原因とされる「コレラ」発症が死因とされている。そのため、チャイコフスキーがこの作品を「最後の作品」と思って作曲をした、というわけではない。

この作品についてチャイコフスキーはかなり独創的な試みをしているにも関わらず、作品の出来には相当自信を持っていたようだ。そしてこの作品は「作曲家の人生」を表現していると本人や周辺の発言からそれが窺われる事例が複数ある。急死してもしなくても、チャイコフスキーにとって「集大成」の作品だったのだろう。確かに「悲愴」を聴いたり、スコアを読むとき僕はこの作品に「並々ならぬ気合い」のようなものを感じる。ときにそれが溢れすぎ「胃酸過多」のような状態となり、気持ち悪くなることさえある。それでも「悲愴」は名曲だ。

この曲を、悲しみとともに初めて聴いたのは1989年の夏のことだった。当時の僕は中学3年生、多感な思春期真っ只中だった。中学男子にありがちな「勝手に恋して、勝手に失恋」、例えば気になる女子に恋心を募らせた矢先、その子に好きな相手がいることを知る「自己完結型失恋」で悲嘆に暮れたり、また当時は吹奏楽部の部長をしていて部活内での諸問題や人間関係、そして芳しくなかったコンクールの結果などに悲嘆し、僕の悲しみは頂点に達していた。味も感じない食事を摂り、家族の会話にも上の空で自室に戻りCD棚を見渡した。そこで目に入ったのが「悲愴」だった。実はこれまで他のチャイコフスキー作品は愛聴していたのだが、何故か「悲愴」には手が伸びず聴いたことがなかった。

そのとき初めて聴いた「悲愴」はカラヤンが指揮する録音盤、当時の僕のスターのひとりだ。

部屋を暗くし再生した。冒頭から「悲愴」要素満載、悲しくも恐ろしい。悲しみの上書きをされるようだった。このまま悲しみに浸るんだ!と思ったが、聴き進めると徹頭徹尾「暗い」曲ではなかった。むしろ美しいメロディーがあったり、優雅な部分があったり…。3楽章に至っては元気で明るい曲だ。最終楽章は再び暗い感じになり、静かに終わるのだが、僕の体感としては「6:4くらいで明るい曲」だったのは意外だった。それだけ「悲愴」というタイトルに引っ張られていたのだろう。

結果的に悲しみもスッキリ解消し、明日への希望や活力も得られたのだが、それでも個人的にな悲しみを全て楽曲に同期させながら最後まできいた。同時にこれまで知らなかった名曲を見つけた喜びや恍惚も感じた。

これだけでは「自分語り」で終わってしまう。あの日からこれまで、音楽を好きで続けてきて今の自分がいる。その今の立場での作品のおすすめポイントを紹介したい。

交響曲の第1楽章は「ソナタ形式」という形式であることが多い。その形式をザックリ説明すると…

主題(第1主題と第2主題)→展開→主題の再現→結尾(コーダと言われる)

という形式で、曲によっては主題部分の前に「序奏」が置かれる場合もあり、「悲愴」にはそれが置かれている。ファゴットという低音木管楽器が旋律を演奏するが、これは「悲愴」の大きな特徴であり聴きどころの一つだ。だが今回のオススメはまた別の箇所になる。

あくまでコレは僕個人の見解だが、「名曲の条件」「名曲の必須要件」だと思っていることがある。それは「第2主題が良いかどうか」という点である。第1主題はそれなりに良いものを書けても、第2主題以降がイマイチ…という曲は結構ある。その反面、ベートーヴェン、ブラームス、シベリウスの交響曲の第2主題は本当に素晴らしい。もちろんチャイコフスキーの交響曲もだ。特にこの「悲愴」の第2主題は心の底から「グッとくる」部分だ。

まさにそれは「チャイコフスキー節」。僕たちの「感動のカタルシス」に応えてくれる名旋律だ。チャイコフスキーは稀代のメロディーメーカーであることは間違いない。では少しだけ、音楽家目線でその旋律がいかに素晴らしいかを読者のみなさんだけにお話ししたい。

交響曲第6番「悲愴」第1楽章の第2主題(ヴァイオリン1番パートのパート譜より)

注目するポイントは「音の向かう方向」だ。特に、ある音からある音へ進む「音程の上下」について注目してみよう。

基本的に音階が「上向き」に進むと、前向きで明るく、高揚感を得やすい旋律になる。逆に音階が「下向き」に進むと落ち着いていく感じ、落ち込んでいく感じ、寂しい感じになるとされている。もちろん音階の進む方向だけでなく、長調か短調か、音程の跳躍の幅がどうかにもよる。基本的に跳躍の幅はエネルギー量に比例するので、幅が広いとより強さを持つ旋律を作ることができる。

この部分の旋律を見てみよう。調性としては「長調的」なものを採用しているので雰囲気としては「悲愴感」はない。そこで「音の進みかた」を見てみると、上から下に進む「下行音程」が多いことに気がついただろうか?旋律のスタートから「下行」である。これだけ下行音程が多いと「落ち着いた」「少し後ろ向き」な音楽になりそうなものだが、チャイコフスキーは違う。とても感動的で心揺さぶられる旋律を作り出す。

その肝となるのが…「音程の跳躍」だ。この旋律の1番の「ピーク」には1オクターブ、つまり8音分の間隔を一気に駆け上る。そのエネルギー量は凄まじいものとなるのだ。

「悲愴」の第4楽章は全体に悲劇的な曲想だ。この楽章も「下行音程」で作られたメロディーが多く出てくる。冒頭もラストも「下行音程」中心の旋律でこちらは定石通りに悲劇性を帯びている。

チャイコフスキーにはこのような「下行音程」を多用した名旋律が多い。その中でも分かりやすいのを2つ紹介するが、どちらも最も単純な下行音程から成り立っている。

チャイコフスキー「弦楽セレナーデ」の第1楽章の冒頭の部分

「弦楽セレナーデ」の第1楽章の冒頭は「下行音程」である。しかも「ハ長調」の音階を上から下に降りていく。「ドーシーラーソ」と降りているだけなのに、あのような素晴らしい旋律となっている。

バレエ音楽「くるみ割り人形」より、パ・ドゥ・ドゥ。上から8段目、下から2番目がチェロで演奏される主題

また「くるみ割り人形」の「パ・ドゥ・ドゥ」に至っては「ソーファミレドーシラソー」と「ト長調」の音程を下行するだけで素晴らしいメロディーを作っている。もう少し専門家目線で着目すると、ソからファ、ドからシの間だけ周囲より音を長く伸ばしている。実はこの2か所だけ「短二度」つまり「半音階」で進むところ。あるメロディーが長調が短調かを判定するときには、この「半音になる場所」が最大の判断材料になる。長調の場合は第3音と第4音、第7音と第8音の間が半音になる。チャイコフスキーはその部分を長く伸ばすことで、長調であることを強調している。意識的か無意識かはチャイコフスキーに聞かないとわからない。しかし、単純な音階を印象深い旋律にするチャイコフスキーは類稀な作曲家だ。

「単純な音階を使って素晴らしい旋律を作る作曲家こそ、真の偉大な作曲家である」とかつてある大先生に言われたことがあるが、まさにチャイコフスキーは「真の偉大な作曲家」だと僕は思う。

「下行音程の達人」チャイコフスキーの音楽を、是非この点に注目して楽しんで欲しい。いかに彼が「下行」の名旋律をたくさん作曲していることに驚きと感動を覚えるはずだ。「悲しいはずが悲しくない」「楽しいはずが楽しくない」そんな、単純に割り切れない「心の澱」をチャイコフスキーは表現している。だからこそ、彼の音楽は今なお愛され続けているのだ。

悲しいとき…敢えて「悲愴」を聴いてみると、何か新しい感情が生まれるかもしれない。

(文・岡田友弘)

演奏会情報

新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会すみだクラシックへの扉 第17回

日時・2023年9月29日(金)、9月30日(土)
開演・14:00 (両日とも)

会場・すみだトリフォニーホール

指揮・阿部加奈子 三浦謙司(ピアノ独奏)

曲目

ラヴェル…亡き王女のためのパヴァーヌ(管弦楽版)

ラヴェル…ピアノ協奏曲ト長調

チャイコフスキー…交響曲第6番《悲愴》

お問合せ
新日本フィル
03-5610-3815 

料金
S5000 A2500 65歳以上S3500 学生S2000 A1000 墨田区在住勤S3000 A1500

執筆者プロフィール

岡田友弘

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。

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