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大黒様の御加護

夕方、塀からはみ出し道路に向かって、咲誇っているローズマリーを数本カットしていると、お向かいの奥様のWさんを久し振りに見かけた。

「こんにちは、最近会いませんね」と声をかけた。

「お宅のお隣のMさん宅の庭に、お宅の榊が一部はみ出していたので、Mさん宅の庭に入れてもらってカットして頂きました」と言われた。

「どうぞどうぞ、いつでも我が家の方からもご自由に切ってください」

「ありがとう」

暫くして「ピンポーン」インターホンが鳴った。画面を覗くとWさんだったので、直ぐに玄関へ行った。

「はーい」

引戸を開けるとWさんが杖をつき、スーパーのビニール袋を下げ笑顔で立っておられた。

「榊をありがとう、お供え用に頂きました」

「榊のお供えといえば、神道ですか」

「いえ、神道でもなんでもなくて大黒様に供えるの」

「あの、七福神の神様ですか」

「昔住んでいた家の近所のおばあさんに頂いたの」

「大事な大黒様ですね」

「榊のある所が工事中で頂けなくて、榊は道路脇に植えてある物を分けてもらわなければいけなくて、買った物じゃ駄目なの」

「初めて知りました」

「大黒様をくださったその方は、朝鮮からの引き上げ者で、とても苦労をされたみたい」

「そうなんですか」

「私が、子供のいないそのおばあさんの面倒をみたの、そしたら施設に入られる時『他人の面倒を見てくれる人なんていない』と言って大切な大黒様をくださったの」

私は、優しい口調のWさんの話しに聞き入り、50年程前の話に感動し目頭が熱くなり、かける言葉が見つからなかった。

「貧乏な暮らしをされていたようで、紙製のような見窄らしい感じの大黒様です」と静かに語られた。

「宮崎の妹が送ってくれた日向夏で、皮を剥いて白い部分もついたままカットして食べるの」と乳白色のビニール袋の口を広げ、中身を見せながら手渡してくださった。

日向夏

「ありがとうございます。宮崎に妹さんがいらっしゃるんでしたね。女性同士は良いですよね」

「お互いに80歳を過ぎると耳が遠くて電話で話しができなくなって、だから、いつも大黒様に話しかけているの、何でもよく聞いてくださるの」

私は、大黒様の御加護があるに違いないと思った。

「いつでも切ってくださいね。そのような大黒様にお供えして頂けて光栄です」杖をつき丸めた背中で帰られるWさんの後ろ姿に向かって言った。

「そんなにふうに言ってもらえると‥‥」Wさんは、少し後ろを振り向いて会釈をされた。

私はその後、いつものそろばん塾の仕事へ向かった。
帰宅すると若干の疲労を感じ、前日の筑前煮の残りの煮汁を利用し、定番の親子丼の簡単料理にしようと思いついた。
デザートにWさんに頂いた香りの良い日向夏を美味しく頂きながら、Wさんがお世話をされた方に思いを馳せた。朝鮮から引き上げた後、一生懸命生きてこられたのだろう。身寄りも無く、他人のWさんから親切にされ、幸福な人生の締め括りだったのではないだろうか。
今夜の夕食は、その方とWさんから元気をもらい作った食事となった。更に、幸田露伴『幸福三説』の惜福、分福、植福を思い出し幸福感を味わった。

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