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「生きづらい」の連鎖を断ち切りたい

生きづらいと感じるようになったのはいつからだったか。

働き始めてから?
大学で東京に出てから?
地元にいたときから?
部活?女子グループ?習い事?

エピソードは沢山あるけど若ければ若いほど深刻度は浅かった気がする。

正直いつからかは分からない。
人はそういうもんだと思ってたから。
他の人も自分と同じようなもんだと思ってたから。

でも今はハッキリ言える。

とっっっても生きづらいです。


まずは「生きづらい」を言語化してくれた人に感謝したい。

なんて的確な言葉なんだろう。

そう、それ!私の人生まさにそれ。

私の生きづらさの解消はこれから一生かけてやっていく。

だからそれはもういい。

問題は子どものこと。

子どもには私のようになってほしくない。

人間生きていれば色んなことがあるし、辛いことも悲しいことも経験すると思う。

それはしっかり経験して乗り越えてほしい。

ただ、私のような無駄な生きづらさを感じてほしくない。

もっと自由に生きてほしい。


私はまだ発達障害疑いの段階だが、一つだけ確信していることがある。

母は間違いなくそれだ。
発達障害ではないにせよ他の人とは違う何かがある。

話の飛び方がひどい。
コミュニケーションが成り立たない。
拘りが強い。過度の心配性。

母に対して言いたいことは山ほどある。
大人になってから反抗的な態度を取ってしまった時期もあった。
でも今は心から感謝している。
大きなきっかけは私自身が親になったこと。


自分の生きづらさを自覚し始めた頃に生きづらい人って周りからどう見えるのかな、なんてことを考えていた。

生きづらそうな人はすぐ見つかった。

すぐ近くにいた。

本人が生きづらさを感じているかどうかは正直わからない。
でも、人生楽しくなさそうに見える。
本人はうまく隠している気でいるけど色んなものが隠しきれていない。
人と接するのが疲れること、1人が好きなこと、団体行動が苦手なこと、考えが浅いこと、興味の対象範囲が狭いこと。

そうか、私はこう見えるんだ。
だから集団の中で浮いちゃうんだ。
色んなものがストンと腑に落ちた。

母と私は症状がとても似ている。
言語化が苦手なところも論理的に話せないところも。
似ていると認めてからは母をより一層尊敬している。
母は優しくて働き者だ。
私のように性格がひん曲がってない。
一生勝てないと思う。


この生きづらさが母から発生したものか、さらにその前から受け継がれているものかは分からない。

でもこの連鎖を断ち切りたい。

持って生まれたものはしょうがない。

でも環境で変えられることはあると思う。

というか、母と決めつけてしまっているが、父方の方もだいぶ怪しい。

親戚を含めると怪しい人が沢山いる。

そもそもどこから障害か。

本人が困ってないなら障害じゃないということだけど、困ってないことに気がつかないことが障害ではないのか。

この気がつかないというのは厄介だ。

気がつかない私が子どもに「普通」を教えられるのか。

「普通」と違うことに気がついて修正できるのだろうか。

考えただけで震える。

自分を常に疑ってやっていくしかないんだろうか。

あー、なんて生きづらい。

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