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国軍と一般国民が連日連夜の撃ち合い

 カッティヤ陸軍少将が狙撃されて以降、国軍と赤シャツは連日連夜、撃ち合うこととなった。国軍側は最終的に、主体の陸軍のほか海軍や空軍のスナイパーも赤シャツ掃討に加わっていたようだ。タイ人の連れ合い(女房)の同級生である海軍特殊部隊の隊長が
「ルムピニー公園に潜んでいる赤シャツの中に、タクシンが動員したカンボジア人が多く混じっているという情報があった。公園を見下ろすビルの屋上から、(特に19日の)最終日の前夜は片っ端から撃った」
と話していた。

 赤シャツは反政府デモを繰り広げて何かしらの特権を得たと勘違いしているようだったが、所詮は一般国民。彼らの応戦自体が違法だった。多くはパチンコ(スリングショット)による投石や火炎ビンで軍を相手にしていたが、いきなり実銃やM79(グレネードランチャー)を持ち出すため、実弾に対する軍の対抗処置で次々と死んでいった。

 5月14日、シーロムの交差点。ルムピニー公園前でバリケードを築く赤シャツと、高架鉄道(BTS)と地下鉄(MRT)の連絡通路に陣取る陸軍が銃撃戦を始めた。赤シャツが陸軍兵士に向けて最初、拳銃か何かを撃ったらしい。ルムピニー公園の赤シャツはこのころ好き勝手な行動に出ていて、赤シャツリーダーも手が付けられない状態だった。近くのBTSサーラーデーン駅と公園向かいのデュシタニホテルにM79を撃ち込んだのも、ルムピニー公園の赤シャツだった。

ルムピニー公園に築かれた赤シャツのバリケード

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