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日本製品不買運動に揺れる韓国で「京城」ブーム

日本製品不買運動がクローズアップされる韓国は、数年前から「京城」ブームということは、以前からネットニュースなどで見て何となく知っていた。

日本で言う昭和初期の「モボモガ」の衣装を借りて、レトロなカフェでお茶して、白黒写真を撮るのが、ナウなヤングたちのたしなみらしい。

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言うまでもなく「京城」は植民地時代に日本が改称した地名で、かつては肯定的なニュアンスで語られることなどなかった。しかし最近会った20代の女性も「京城に特に否定的なニュアンスは感じません。お洒落で格好いいイメージ」と言っていたので、ここ数年の認識の変化はすさまじいものがある。

どうやら、植民地時代を含む近代は「開花期」として肯定的なイメージで捉え直されてきており、「京城」という地名は、「朝鮮固有の文化と西洋の近代文化が融合し開花した、おしゃれで先進的な時代」の代名詞になっているようだ。

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ソウルのオシャレスポットとして人気のイクソンドンには「京城」が並ぶ一角がある。この「京城菓子店」はこの界隈でも有名で、千代紙に包まれたパウンドケーキが人気の店らしい。

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仁川のチャイナタウンも入口にいきなり「京城衣装室」がある。

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中華料理店の合間で白黒写真店に行列ができていた。「モダンブティーク」という看板を掲げたこの店、きっと音引き(日本語の影響が強かった過去にはよく見た表記だが、今ではほとんど使われない)がレトロな感覚なのだろう。

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チャイナタウンを抜けると、仁川市中区役所の周辺に日本家屋街がある。後から造り直された建物で、正直、日本人から見ると細かい部分があちこち違っている変な建物群だが、訪れた日はチャイナタウンと一体のイベントでごった返していた。

10年ほど前に韓国の某地方都市で日本家屋の保存運動を手伝ったときは、そもそも保存自体への異論もあって、総体的に熱量が低かったことを思うと、ここ数年で弘大あたりも含め、なんちゃって日本家屋を造り直して日本居酒屋が商売繁盛しているということに隔世の感がする。

決して漢字で書かれない「京城」

仁川のチャイナタウンにある「京城」を眺めていて、ふと気がついた。中華街の中華料理店が漢字で書かれているのに対し、イクソンドンも含め、「京城」はすべてハングルなのだ。

店頭に太極旗を掲げている店も何店か見かけた。あえてわざわざ「愛国」を積極的に主張しなければならない理由があるのだろう。

冒頭で紹介した記事は、イクソンドンで「京城」を冠した店で売られているパウンドケーキが、日本の和風の包装紙に包まれていたことを問題視していた。

パウンドケーキを包装したきれいな紙がなぜ、日本文化をルーツとする視点の要素をちりばめているのか。私たちが考える京城のイメージは、モダンボーイとモダンガールが闊歩していた新しい文化の格好いい新世界ではなかったのか? いつから現代が眺める京城のクールなイメージが、日本の美意識の産物である倭色と同一視され始めたのか。
京城と日本を同一視する観点が自然に染み込んでいるのであれば、物理的に、精神的に日本を克服するために力を尽くしてきた過去数十年の歳月があまりにも空しくないだろうか。

「開化期」と呼ばれ、肯定的なイメージで捉え直されてきた近代が、日本の植民地時代を肯定的に捉え直すのではないか…。そのことへの警戒感が、まだ一部に根強くあると思われる。

ここを訪れたのは9月中旬だが、この直前、中区役所別館前にあった記念撮影用の人力車銅像が、「収奪者である日本人の管理のためのものだった人力車」「収奪期の人力車は下層労働の象徴」と主張する青瓦台の国民請願がメディアで報じられたのを受けて撤去されたばかりだったということを、後で知った。

日本風居酒屋が韓国の外食文化に定着して久しい。日本風家屋への抵抗感も急速に薄れている中で、それでも近代日本、あるいは植民地時代につながる回顧への警戒感は、依然として強いようだ。3・1運動100年という時代背景もあるのかもしれないけど。

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