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ゼロから仕事を作っていく

会社員でスタートした私の人生。
出産し、仕事を変えながら、直近は起業し自営業をやっていた。
自営業は夫を介護しようと決めるまで、やっていた。

いつかは起業しようと決めていた。
起業と言っても一人起業。
業務委託の外部スタッフもいたが、基本全てを一人でやっていた。

元々、集団行動が苦手で、協調性が乏しいので、
一人で動けるこの仕事がとても自分に合っていた。
頑張った分だけお金に反映するし、何より自由がとても心地よかった。

前職のように、成績をランキング化されることもないし、
「個性がないよ」と言ってくる上司もいない。
(あの頃個性がないと言われていました。また書きます)

全ては自分。
自分で仕事を取ってきて、自分で仕事をして、自分で請求する。
大変だったけれど、気楽で楽しかった。

そんな仕事が
始めた当初より方向性が変わってきていて、
本来の私らしさがだんだん隠れてしまうような、
堅い内容の仕事が多くなっていた。
適正とは違う仕事を依頼されることも多くなってきていた。

だから、自分を大きく見せようとしたり、
器以上の人間であるかのように振る舞って、本当はとても疲れていた。

世の中のためになりたいと思って始めた仕事だけれども、
心のこもった仕事ができていない自分に、気づくことが多くなる。

そんな感覚を覚えながら、全てをやめて、
夫の介護に専念しようとある日決めた。

決めてしまえばあとは一直線。
全てから撤退し、介護に専念する日々が始まった。

未経験の介護の世界は、これまでしてきた仕事と異なって、
10年昔の感じがした。

全ては紙ベース。
対面ありきで、会議はあるし、印鑑は必須だし。

お役所仕事の延長線上にある介護は、とても居心地の悪い世界だった。
カルチャーショックが相当大きく、
自由とは真逆の世界に入ってしまったことに、ようやく気づく。

合うケアマネさんに出会うまでに、何人交代したことだろう。
私たち家族の思いを汲んでくれる介護スタッフに出会うまで
随分時間がかかった。
その間、大変なストレスだった。

悩み苦しみ、ようやく自分達のペースで、
自宅介護の環境が整ったなぁと思えたのは
ここ2年くらいのことだと思う。
最後まで、このわがままな私の意見につきあってくれた
看護師さんやヘルパーさん、ケアマネさんには感謝で一杯だ。

終わりがないと思えていた暗い介護生活を
笑顔で送れるようになったのも、皆さんのおかげだと間違いなく思う。

そんなこんなで、夫の死とともに介護生活が終了した。

さぁ、問題はここから発生する。
私の仕事がないことだ。
夫はいない、介護はしなくていい、でも私にはする仕事がない。

仕事がない、収入源がない、生活する糧がない。
年金では到底やっていけないし、60才でさらに年金は減る。
やばいぞ、これは、、、マジでやばい状況だ。
どうする?どうやって食べていく??

で、介護生活をスタートする前に思考を戻すことになる。
自営業をやっていたのだから、また自営業をやればいいんじゃないか
いや、自営業をやるしかないんだ!
そう、また仕事を一から作ればいいんだ!!
いやいや、仕事を作るしかない!

協調性もなく、集団行動が苦手、自由がないとダメで、上司がいるとか無理。
消去法をしてもしなくても、そう、自営業しかない。
自分で自分の能力を活かせる仕事を作るんだ。

前回の自営業をやればいいと思うだろうけれど、
介護前に悩んでいるくらいだから、
自分の適性には合ってないことは自覚している。

この10年以上の貴重な経験をして、元の仕事には戻らないのは当然だ。
それくらいの分別は流石についているはずだ、自分。
そうだよね、それ位わかることができる器はできてきているだろう、自分。

だから、新たに仕事を構築する。
これまでの経験を活かして、スルスルとできることを仕事にする。
もちろん、大前提として、世の中の人の役に立つこと、これが最重要。
私が経験してきたことを活かす。
私と同じような悩みを持っている方に届くような仕事を作ること。
詳細はまだ詰まってはいないけれど、大枠はほぼ固まっている。

経験が何よりの財産だと思う。
生きた言葉に勝るものはないと思う。
こう思える「私」のような人に届くものを作りたい。
万人受けはしないけれど、コアな人の心に届くもの。
さー、それは一体なんだ??

生き方を変えたので、
これまで逃げてきたこともチャレンジしていこうと思う。
ってか、ここで逃げていたら時間の無駄だし。
もういい加減頭を使って、効率よく動きたいと思う。
ということで、仕事を作ることを始めよう。
        (4ヶ月目と1日)

新堂きりこ

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