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#28 子ども同士のトラブルにどう向き合うか

低学年を担任していると、子ども同士のトラブルがよくある。もちろん高学年でもある。高学年の方が根深いことも多い。そんな時、私が気をつけているのは「教師が解決役にならない解決しない」と言うことだ。

こう言うと「放置するのか!」と、批判の声を浴びることがあるが、そうではない。教師の役割はファシリテートである。

悪いことをした人を指導しようとか、結論を導こうとか、そういった考えは無い。”子どもたちが子どもたち同士で解決するのサポートする”と言うスタンスを絶対に忘れないようにしている。

今日、学校に来るときに押されたと言う不満を訴えてきた子がいた。「先生背中が痛いです」と言うが、本当は痛みではなく、嫌だったと言う気持ちを伝えたいのだ。

「そうかそうか。どうしたの?」と聞くと、その日に後ろから強く押されたことを話しだし、じゃあ後で話聞いてみようと声をかけて、時間ができたところで話を聞く。

話を聞くときには、ホワイトボードで可視化するようにしている。教師がトラブルを解決しようとするときにメモする場合が多いだろう。初任者の時にも、「聞き取りの時には必ずメモをするように記録を取るように」と言われた人も多いのではないだろうか。それを公開でやるイメージだ。
決して上手にグラフィックする必要はない。ホワイトボードにそれぞれの言い分を書いていくことで、お互いにどんなことを言ったのか、どんなことが嫌だったのか、相手はどんな気持ちだったのかと言うことが見えるようになる。これだけで話し合いがスムーズに進む。

今日も、最初は「俺のせいにされても困る。押していない。」と言っていた子が、最終的には自分の言葉で「雪に向かって走っていったらぶつかってしまったのかもしれない」と言った。私は怒ったり強く言ったり、何か本当のことを言えと言うアプローチをしたわけではない。ただお互いの言い分を可視化して「どうしよっか」「どうやって解決しようか」と言っただけだ。

可視化すると、「こことここがずれているんだね」と見えるかできる。そして、指を挿しながら「このときは…」と話すこともできる。おすすめの方法だ。

年間を通してこういった指導を続けてきているから、「先生がおこらない」と言うこともわかっている。だからこそ、嘘をついたりごまかしたりすることもほとんどない。

なぜこういったプロセスを大切にするのか、低学年であれば特に教師が解決してしまったが、速い例もある。でも、それでは子供たちの力にならない。結局そのトラブルは繰り返すし、トラブルがあったときに「先生!」と訴えてくるようになる。でも、本当に目指したいのは子どもたちの自立ではないか。子どもたちが自由に生きていく力なのではないか。人と関わりながら生きていく力ではないか。
そのためには、そういったトラブルも自分たちで解決できるように支えていく必要があるのだ。

手法としてはいたってシンプルだ。ホワイトボードで可視化する、教師は話を聞く、整理する。大事になってくるのはそこのマインドセットだ。「教師は解決する人ではない」ということを忘れずに子どもたちの力を育てていきたい。

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