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#33 やらない子へのアプローチ


音楽の時間、鍵盤ハーモニカをやらない子が2人いた。以前からこの2人はやらないことが多く、今日もそのパターンだった。
そのうちの1人について書く。以前から、「先生、喉が痛いから今日は鍵盤ハーモニカをやらなくていい?」と言ってきていた。昨年度、コロナの影響で、喉が痛かったりする場合はやらないというふうになっていたのだろう。(それを否定するつもりは全くない。)その姿から、この子は鍵盤ハーモニカが嫌なのだろうと感じていた。

多くの先生は(私も含め)何とかやらせなければと思ってしまう。しかし、やらせることは本当に良いことなのだろうか?そこに違和感を覚えている。かといって、やらなくて良いとも思わない。どのような対応がその子にとって良いのか悩み続けている。

今日は「どうしたの?やりたくないの?」と声をかけた。すると、「うん」と小さくうなずく。これは関係ができているからだと思う。「やりたくない」といっても私が怒る事は無いことが伝わっているのだ。

しかし、その先が難しいのだ。前の私だったら躊躇なく「やりたくない事はやらなくていいのかな?それって良くないんじゃないの?」という内容の声かけをしていただろう。
でも、最近はそれが悪に感じるのだ。(それをしてしまっていると否定するつもりはない。自分の行動に対してだ)
そこで今日は、「そっかそっか。どうしていやなの?」聞いてみた。
C「めんどくさいから」
T「そっか、めんどくさいんだね。めんどくさいを、めんどくさいって言葉を使わずに説明してみてくれる?」
C「わかんない。なんか…息を出したりするのが嫌だ。」
このようなやりとりが続いた。どうやら息を出して音を出すことに難しさを感じているのかもしれない。
「めんどくさい」のではなくて、うまくできない、やり方がわからない、だからやりたくないという気持ちになっているのだろう。

こうした子に無理に「やらせる」事は違うのではないかと思っている。一方で、やらないままで良いともおもっていない。

その子が自分の意思で苦手な事にもチャレンジしようと思える環境を整えることが大切なのではないか。環境は整えるけれど、教師や大人が無理にやらせると言う事はせず、子どもが自ら動き出すのを待つ。その結果、動き出さなくても良いのかもしれない。結局鍵盤ハーモニカをやらせたいのは大人なのだ。


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