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#31 『「見えない学力」の育て方』

連続投稿が途絶えてしまいました。残念。
2日もサボってしまいましたが、再開します。
できる範囲で、書いていきます。

今日は、映画『みんなの学校』で有名な。大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子さんが書かれたこちらの本を読んで考えたことなどを簡単に書いていきます。



見えない学力が大切

これからの社会のキーワードは「多様性」「共生」「想定外」 であり、そこで生きていく力が大切だ。本書では、そのために必要な見えない学力を、次の4つの力に整理している。
・人を大切にする力
・自分の考えを持つ力
・自分を表現する力
・チャレンジする力

私も、「見えない学力」(非認知能力)が大切だとずっと考え、主張してきた、しかしなかなか伝わらない。見えない学力こそが生きる力になっていくし、結果的に見える学力も上がるのだ。
しかし、その実績を私が示せるかといえば否だ。本書では、木村泰子さんが子どもたちの実際の姿をもとに具体的にそのことを書いてくださっている。とても読みやすく、有益な本だと思う。

人を大切にする力

人に迷惑をかけてはいけないと教えると、迷惑をかける人を排除するようになる。

迷惑をかけるなと教えられた子たちは、人の迷惑を許せなくなってしまうから。
このことは、本当に肝に銘じなくてはならないと思う。「同調圧力」というが、実際にはそんなに実感していない人が多い。しかし、私たちが当たり前に使っている「迷惑をかけるな」という言葉が、同調圧力や排除を生んでいるのだと痛感した。

ジャッジから通訳へ 

大人(教師・親)の役割は、「あんたが悪い」とかジャッジすることではない。
子供が本当に伝えたいことはなにか、通訳することだ。
それも、「この子は本当は〜っていいたいんだ。わかってやれ」
ではだめだ。子どもの口から言えるように、問いかけていくことが大切だと書かれていた。

これにはとても共感する。先日書いた記事とも繋がると思う。

大人が解決してあげるのでは、子どもたちの見えない学力は育たない。「死ね」と言っている子どもに「死ねと言ったらいけない!」と頭ごなしに言うのでは、子供は本音を言えない。

ここでの事例では、「わかった、Bにに死んでほしいねんな。」と問いかけ、
A「誰も死んでほしいなんて言ってへん」
教師「だって、今、死ねって言ってたで。言うてたよなあ?」
B「死ねって言うた!」
A「だって、こいつがおれの大事にしているものを放ったからや」
と本音を引き出していた。

自分の考えを持つ力

文句を意見に変える

人のせいにするのは文句だ。人のせいにしているうちは学びの本質は生まれない。
これは教員にも言えることではないか、いや、社会全体に言えることだ。
文句はいつも「人のせい」にする。
本書では、次のように違いが示されていた。

「校長、これどうなってんねん。これじゃ困るねん」。これは文句でしょ?
「校長、こんな問題があるんだけど、やめた方がいいと思うよ」。これは意見です。

大人は「文句」を「意見」に変える力を持たなくてはならない。自分の考えを持つのと、「文句」を言うのは違うのだ。

ちなみに、大空小学校では、6年生になるとみんな「リーダー」と呼ばれるそうだ。リーダーの条件は
1.先生に頼らない
2.しんどい、いやな仕事は自分がする
3.文句を意見に変える力をもつ
だそうだ。
このどれも、「自分で考える」ことが求められる。自分で考え、考えを持ち、行動するから、主体的になるのだという。
多くの学校・教室では、先生に頼り(先生に頼らなくてはできないシステム)、嫌な仕事を押し付け合い(教師が一喝してやらせたり)、文句を言い(教師が受け止めたり跳ね返したり)ということが起こっているのではないだろうか。

正解を教えたら正解を問い続ける力など生まれない

正解を与えたら、子供は考えなくなる。この考えにとても共感した。
教師はどうしても「正解」を与えなければならないと思い込んでいるし、思われてしまっている。でも、本当はそうではなく、子供が自分で考えられるようにしなくてはならない。
そもそも世の中に「正解」はない。だから、正解を問い続ける力が必要なのだ。大人も、正解を問い続ける必要があると思う。?

さよならメッセージというものがある。毎日帰りに十行書くそうだ。わたしの実践している振り返りジャーナルににている。
そこでも、子どもの文章は評価しない。(評定しない)
良いとか悪いとか、子どもの文章を評価したら、褒められる事を書き始めるからだ。

何も言われない安心感 安心したら自分から自分らしく語る
安心する空気を満たした方が見える学力は伸びる

自分を表現する力

なぜ自分を表現する力が必要なのか。

自分を表現する力が大切なのは、将来プレゼンをするためではない。
プレゼンはそれは手段の一つ。
なりたい自分になって自分に自信をもち、社会に出た時に活躍するため。主体的に社会を作る一員として生きていくためだという。
このことにとても納得した。自分を表現するって、生きていく上で本当に大切なことなのに、「将来会社で…」とか勝手に理由をつけてしまっていた。

安心して自分の言葉で伝えるというのは聞いてくれる他者がいるから

聞いてくれる他者の存在がいかに大切か。
2章でも、「安心したら自分んらしく語り出す」ということが書かれていた。
いかに話させるかではなく、聞いてくれる存在が大切なのだと改めて気づいた。
何も言わずに聞いてくれる安心感はすごくわかる。自分が考えを言いづらい時は「否定されたらどうしよう」「笑われたらどうしよう」「まとはずれだったらどうしよう」と考えてしまう時だ。これは大人も同じではないか。だから、「聞いてくれる他者」の存在がとても大切なのだ。
自分を表現する力は自分と違う他者を尊重できる空気を作らないと育たない。本当にその通りだ。

チャレンジする力

失敗したら叱られる経験がチャレンジする力を殺す

学校では、失敗したらやり直せばいい経験が染み込むようにしていく必要がある。
チャレンジする力は、失敗してそれを乗り越えなければつかない力だ。
そのためにが、大人が失敗したらやり直す姿を見せる必要がある。教師は失敗してはいけないと思ってしまう。しかし、子どもにとって身近な大人である教師こそ、失敗して、やり直す姿を見せていく必要があるのではないだろうか。

私は子どもの頃から、失敗が怖い。今でもそうだ。
失敗したら叱られる、笑われるという経験があったのかもしれない。
大人に失敗を叱られた経験はそれほどないが、友達に笑われるという雰囲気があったのかもしれない。
その雰囲気を作るのは教師の在り方、大人の在り方かもしれない。

どんな魔法の言葉を使っても子供に対して上から目線で言っている間は相手には伝わらない

そうだ。これは本当にそうだ。
結局はマインドセット。根本的な教育観、子ども観。
そこを磨き続けることが今求められているのではないだろうか。

まとめ

正直、ここに書ききれていないほど心を打つ言葉がたくさんあった。
ぜひ、同僚の先生方にも、それ以外の先生方にも手にとって読んでほしい。
多かれ少なかれ、教育観に影響を与えてくれるはずだ。

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