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「善悪を知る知識の木」と「いのちの木」

人間の脳は左脳と右脳に分かれている。左脳は解析、知識、情報などを主に司る部分で、右脳は感情、創造性、本能などの機能を持つ。人間は左右の脳両方が必要で、片方の脳が主導し、もう片方の脳が追従して支える。右か左かではなくて、どの状況でどっちの脳を主要として使うかを決めて思考を航行させていく。

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しかし現代の教育は左脳に重点を置いている。計算、暗記、知識、「科学的エビデンス」が先行し、「何か腑に落ちないから」とか「心がざわつくから」と言うのは判断基準として却下される。見えないものもリアルなはずなのに、魂/霊も存在するのに、それをなかなか認識することができない。

エデンの園の中央には二本の木があった。

一つは「いのちの木」もう一つは「善悪を知る知識の木」だ。

「善悪を知る知識の木」は「結局頼れるのは自分」と教える。アダムとイブがこの木の実を食べたのは、1)神をあてにしてても信用できるかわからない、のと、2)神から離れて自分のことは自分で決める(「神のようになる」)ためだった。

一方「いのちの木」は、神がすべての源だと考え、そこから生きるための術を汲む生き方だ。神はすべてを良く造ってくれた。創造主の意図を知って、創造主の素晴らしいデザインに驚き、感動し、感謝して生きる。

「善悪を知る知識の木」は神抜きで解決を探ろうとする「独立学習(Independent learning)」と言える。それは人間に恐れをもたらし、孤独感をもたらす。一方、命の木は神に頼ることで解決を探る「依存学習(dependent learning)」で、楽観主義(希望)と連帯感を与える。

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この二つのアプローチは全く違った結果(アクション)を生み出す。

例えば今回のコロナ。

コロナを通して免疫について再考した人は多いだろう。人間の免疫システムがいかに良くできているのか、改めて感動したのは私だけではないはずだ。人間はまた、月と太陽と連動している。人間は大宇宙の調和の中で生きてるんだ。創造主ってどんだけ偉大なのだろう!その摂理に連なるべく、食生活を変えたり、早起きして日光を浴びたり、運動するようになった人は多いと思う。

一方、神から切り離された考え方は、解決策を「人工的な細工」に求める。神の意図を探すことがスタート地点ではないため、細工したり組み替えたりすることで、人工的な解決を図る傾向がある。結果、トランスヒューマニズム的な解決策へと向かってしまう。

科学と神は本来相性がいいはずだ。デバイスから離れて、日の光を浴び、夜空を見上げ、深呼吸することで、何かが変わっていくかもしれない。


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