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至高のバンド「SUPERCAR」Vol.1:SUPERCARとの出会いと衝撃

はじめに

この記事をご覧いただきましてありがとうございます。


今回は少しマニアックといいますか、完全に私の趣味のお話です。

趣味でいえば、これまでも好きな音楽を絡めた投稿をしていきましたが、今回は純度100%の音楽記事です。

※ちなみに、過去にも私の音楽趣味の投稿をしていましたので、もしよろしければ合わせてご覧ください。

と言いますのも最近、記事作成のために無理して話題を引っ張り出していたように思えてきまして。

ここ最近の自分の投稿を振り返ると、ほとんどオチが同じなんです(これまでの人生色々あったりこんなことを思っていた→でも今は頑張っている みたいな😅)

もちろんその類の投稿であれば、まだまだ記事作成ができるほどの引き出しはありますが、一度力を抜いて自分が好きなものを楽しく書いてみるのもいいのかな〜なんて思っていました。

そこで、私が大好きなバンド「SUPERCAR(スーパーカー)」について書いてみようと思います。noteを始めたときから書きたいと思っていたので、満を辞してです。

SUPERCARは、90年代後半から2000年代にかけて日本の音楽シーンで活躍したバンドです。残念ながらすでに解散していますが、この世に存在する数多のアーティストの中でも、私がトップクラスで好きなバンドであります。

コアな音楽ファンなら頷いてくれると期待しますが、解散からかなり時間が経過していることや、メジャーシーンから少し離れた活動であったことから、今現在の世間的な認知度はかなり低いと思います。

ちなみに、2002年公開の映画「ピンポン」の主題歌と挿入歌を担当したバンドです。と言えば、少しは分かる人が出てくるかな。

それでも、2018年にデビュー20周年を記念したベストアルバムがリリースされたり、25周年の2022年に公式YouTubeチャンネル開設と全MVが公開されたりなど、解散してもなお影響力と存在感があるバンドなのです。

そんなSUPERCARを一言で表すなら、

“バンドマジックが織りなす不思議な魅力”

であると思っています。
(”バンドマジック“という言葉について、後ほど説明します)

なので、その魅力を具体的に説明しようとすると難しいんですよね。何なら、今まで深く考えたこともなかったです。

決して楽曲がポピュラーなわけではなく、訴えかけるような強いメッセージ性があるわけでもなく、ライブが熱く盛り上がるようなものではない。むしろ、少し冷めたようなクールなイメージがあります。

でも、なぜかすごく惹かれるものがあるのです。

他の音楽を聴いていても、気がつくとSUPERCARの音楽に戻っています。それはSUPERCARの音楽に出会ってから10年近く変わっていないので、その魅力は自分の中で確固たるものなのだと思っています。

今回は自分の好きなものをありのまま紹介しようという回なので、自分なりに改めてSUPERCARの魅力を深掘りして、その良さを再認識してみようと思います。

そして、私が大好きなSUPERCARの魅力がみなさまに少しでも伝わり、こんなに面白いバンドがいたんだという発見や、SUPERCARを通じて新しい音楽体験をしていただければ幸いです。

なお、今回は【短期集中連載】として、全5〜6回に分けて投稿していこうと思います。

といいますのも、当初は1投稿でサクッと終わらせるつもりだったのですが、書いていくうちに想いがどんどん膨らんで記事がボリュームアップしていく一方でして…

また、これまでに発表したアルバムがそれぞれで音楽性が全く異なり、それぞれの魅力を惜しみなく記事にしたいと思ったためであります。

さらに、同じテーマで記事を書き続ける”連載”という形に少し憧れていたのもあり、コアなテーマですが、しばらくの間お付き合いいただきたいです。

「SUPERCAR」とは

SUPERCARについてプロフィールと来歴を簡単に紹介します。なお、ウィキペディアやその他サイトの情報を参考に、私なりに要約しています。

【メンバー】

中村弘二
ボーカル、ギター、作曲、シンセサイザー担当。青森県十和田市出身。愛称は「ナカコー」。バンド時代からNYANTORA名義でソロ活動を始め、解散後は、「iLL」として活動開始。

いしわたり淳治
ギター、作詞担当。青森県十和田市出身。愛称は「ジュンジ」。
解散後は作詞家としてSuperflyの「愛をこめて花束を」、少女時代の「PAPARAZZI」など、ジャンルを問わず数多くの楽曲を手掛ける一方、音楽プロデューサーとしてチャットモンチーや9mm Parabellum Bullet、ねごと、NICO Touches the Wallsなど数多くのアーティストを手掛ける。

フルカワミキ
ベース、ボーカル担当。青森県八戸市出身。愛称は「ミキちゃん」。解散後はソロ活動を開始。2011年に再び中村と組み「LAMA」結成。

田沢公大
ドラムス担当。青森県十和田市出身。愛称は「コウダイ」。解散後はaM™[aem]として活動し、他アーティストのプログラミング、プロデュース活動も行っていた。音楽活動を継続しつつ、2014年より青森県十和田市で一般職に就いている。

【来歴】

1995年 レコードショップのメンバー募集の張り紙をきっかけに、青森県八戸市で結成。ソニーミュージックへデモテープを送ったところ、異例の速さで育成契約となる。当時はまだメンバー全員が高校生であった。
1997年 シングル「cream soda」でメジャーデビュー。当時は斬新だった音楽性から、同時期に登場したナンバーガール・くるり・中村一義とともに「'97の世代」と呼ばれていた。
1998年 1stアルバム「スリーアウトチェンジ」リリース。
1999年 活動拠点を東京へ移す(当時はまだメンバー全員が青森在住であり、地方在住アーティストの走りだったと言われている)。2ndアルバム「JUMP UP」リリース。企画アルバム「OOKeah!!」「OOYeah!!」2枚同時リリース。
2000年 3rdアルバム「Futurama」リリース。このアルバムからサウンドにエレクトロニカを取り入れるようになる。
2002年 4thアルバム「HIGHVISION」リリース。このアルバムでは初めて外部プロデューサーを迎え、打ち込みやテクノサウンドが主体となっている。
2004年 5thアルバム「ANSWER」リリース。前作とは一転バンドサウンドに回帰し、シンプルかつサイケデリック色の強い作風となった。
2005年 STUDIO COASTにて行われたラストライブをもって解散。


というように、相当若い頃からプロとしての音楽活動をスタートさせているのが分かります。

解散した時点でも、全員まだ20代。自分の今の年齢までにこの活動を行ってきたと思うと、凄すぎます…

また、メンバー募集の張り紙がきっかけで結成されたこと、そこから異例の速さでプロ契約がされたこと、デビュー時の洋楽色の強いサウンドやその後の柔軟で高次元な音楽性の変化など、当時から現在まで音楽業界に衝撃と影響を与えています。

その中でも特に"音楽性の変化"というのがこの記事で重要な項目になっていきますので、ぜひ覚えておいてください。

なお、活動歴にもっと興味がある方は、以下のレーベルのサイトをぜひご覧ください。

メンバー紹介にもある通り、解散後もそれぞれが音楽活動を継続されています。

とくに最近では、いしわたり淳治さんが作詞家・音楽プロデューサーとしてTV番組「関ジャム」に不定期で出演しているのが印象的です。

無論、バンドの再結成を望む声は多く、私もそれを強く望んでいます。

しかし、色々と諸説ありますが、再結成は厳しいかな😅

最初の出会いは”Lucky”

私がSUPERCARの存在を初めて知ったのは、20歳の頃になります。

当時、自分の中で音楽が趣味の1つとして確立しだしてきた時期であるものの、まだまだ音楽知識が乏しく、気になった曲やアーティストをYouTubeなどでひたすらに漁る日々でした。

また、当時、スピッツのアルバム「名前をつけてやる」の良さに気づいてリピートしていた時期であり、このアルバムに漂う独特の脱力感や浮遊感、それでもリスナーを惹きつける魅力は一体何なのだろうかと気になっていました。

スピッツ「名前をつけてやる」 超名盤です。

自分なりに調べてみた中で、このアルバムがいわゆる”シューゲイザー”という音楽ジャンルを意識したアルバムであることが分かりました。

シューゲイザーとは
90年代初頭に巻き起こったシューゲイザーとは、ジーザス・アンド・メリー・チェインを源流とするムーヴメントのことで、〈Shoe=靴+Gazer=見る人〉をいう意味そのままに、下を向きながら轟音ギターを掻き鳴らすUKロックの一部分の総称。轟音ギターと言ってもただうるさいだけでなく、幾重にも重なったフィードバック・ノイズの荒波の中にある繊細なメロディーや、深いエコーとリヴァーブの掛かったヴォーカルなど、浮遊感溢れるエンジニアリングも特徴のひとつで、〈メランコリック〉〈憂鬱〉という内省的な言葉がキーワードになっていた。

引用:https://tower.jp/article/interview/2006/08/03/100040016/100040018

これがきっかけで”シューゲイザー”というジャンルが気になっていきました。

同じように”シューゲイザー”の音楽が日本にあるのか調べてみると、とあるサイトでSUPERCARの楽曲”Lucky”が紹介されていました。

冒頭のデーブスペクターは置いといて😅

シンプルながらどこか切なさが漂うイントロのギターリフ、フルミキさんの儚い歌声、それに応答するナカコーさんの寂しげな歌、バンドでの男女ツインボーカル、抽象的な歌詞、etc.

一度聞いただけで、完全に心を掴まれました。

これは今でもうまく説明できないのですが、サウンド・歌詞・佇まいなど、このバンドを構成する全ての要素が、当時から現在まで自分の感覚の琴線に触れているのです。

ここからSUPERCAR沼にハマって、抜け出せないことになるのです。

驚異的な”音楽性の変化”

”Lucky”に衝撃を受けてからSUPERCARのことが気になり始め、すぐにバンドについて調べました。

青森県で結成されたこと、当時は斬新だった音楽性から同時期に登場したナンバーガール・くるり・中村一義とともに「'97の世代」と呼ばれていたこと、アルバムごとに音楽性が大胆に変化していったこと、残念ながら2005年でバンドは解散してしまったこと、商業的な大ヒットはなかったが後の音楽業界に大きな影響を与えたこと などが分かり、より一層興味が湧きました。

すぐにTSUTAYAでシングル集「A」をレンタルして収録曲を聴きました。なお、このアルバムは解散直後に発売され、デビューから解散までに発売したシングル曲が発売順に収録されています。

1曲目のデビュー曲”cream soda"は、爽やかで疾走感あるバンドサウンドで”Lucky”を聴いたイメージを裏切らないものでした。

続く”Lucky””PLANET””DRIVE”と、ノイジーで荒々しいバンドサウンドが際立つ、若さと青春感あふれる楽曲が続いていきます。

冒頭の数曲は同じようなサウンドが続きましたが、5曲目”Sunday People”から変化が現れ始め、アレンジに電子音などが入るようになりました。それでも、ベースはあくまでもバンドサウンドです。

まあ、バンドも色々と慣れてくればサウンドアレンジも変化するものだよなとその時は軽く思っていましたが、後にそれが甘い考えであったことに気づくのです。

9曲目”WHITE SURF style 5.”になると、イントロが完全にエレクトロサウンドです。

とはいえ、まだバンドサウンド。この曲についてはツインドラムを採用していて、サウンドの疾走感と相まってリズム感や演奏に一層磨きがかかっている印象でした。

また歌詞についても、この頃からサウンドに呼応するように一層抽象的でミニマムなものに変化していきます。

そして、1番衝撃的だったのが、10曲目”Strobolights”です。

”Lucky”のときのイメージはどこへやら。イントロから全開のテクノサウンドと最低限のバンドサウンド。意味すら疑問符がついてしまう歌詞。聴き馴染みのない曲構成(Aメロ→Aメロ→Bメロ(サビ?)→Bメロ(サビ?))

最初に聴いた時は、只々戸惑いました。

確かに、最初に調べた時点で音楽性が変化していったと書いてはあったものの、ここまでだとは思いませんでした。全く別のバンドと言われてもおかしくないレベルです。

ですが、そのままアルバムを聴き進めていると、13曲目”RECREATION”で再びバンドサウンドに回帰します。

とはいえ、初期のようなギターロックサウンドではなく、シンプルな音数にメロウでサイケデリックなサウンドになります。

一方で歌詞のほうは、直近のテクノサウンドから続くように、極限まで削ぎ落とされた最低限の言葉数で抽象的なものになっています。

そしてこのまま、このアルバムは終わります。

アルバム「A」を一通り聴くだけで、SUPERCARの結成から解散するまでの、自分の想像を遥かに超えるレベルでの音楽性の変化を感じることができました。

しかしながら、デビューが1997年で解散が2005年のわずか8年間でこの変化ですよ。驚異的です。

まさに”バンドマジック”

オルタナティブロック→エレクトロニックサウンド→テクノサウンド→サイケデリックロックという変化をわずか8年間で、しかも全てを完成度の高い次元で成立させています。

これは間違いなく、ほぼ全ての曲を作曲しているナカコーさんの音楽活動における流行りの変化と、それを形にできる天賦の才なのだろうと推測します。

というのも、アルバム「A」を一聴するとその音楽性の変化に驚いてしまいますが、一貫してメロディのノリがいいんですよね。個人的には、まるで洋楽を聴いているような感覚です。

決してポップな曲構成ではないものの、全体に共通してキャッチーなイントロであることや耳に残ってノリやすいメロディであるところに、ナカコーさんの天才的なトラックメイキング力が伺えます。

そして、そのメロディに寄り添ういしわたりさんの想像力あふれる抽象的な歌詞、それらを支えるフルミキさんのボーカルやリズム隊(コーダイさんのドラムのリズム感も好きなのです)が合わさることで、一つの作品として素晴らしいものが生み出されます。

これが”バンドマジック”というものなのだと思います。

音楽業界でよく使われる言葉ですが、SUPERCARがまさしくそれで、決してメンバーそれぞれの個性が特別目立っているわけではないのに、いざ演奏が揃うと楽曲の魅力が何倍にも何十倍にも膨れ上がります。

それは、オーディオから音源を聴いていても、YouTubeでライブ映像を観ていても伝わってきます。

その魅力の正体は今でもよく分かりませんが、私が思うに、若くして経験が浅いうちにデビューしたことが大きく影響しているのではないかと推測します。

そこには所属レーベルの狙いもあったようですが、若さゆえの初々しさ、テクニックや型にハマらない純粋に音楽を楽しむ気持ち、少年少女の内なる感情がそのまま無意識のうちに演奏に乗っているのではないでしょうか。

なので、SUPERCARの楽曲、特に1stアルバム「スリーアウトチェンジ」には、荒削りながら瑞々しいサウンドやどこか達観視したような歌詞から、青春が色濃く感じられます。それも決してキラキラしたような青春ではなく、どこか気怠いような。

メンバー間の仲や交流については諸説ありましたが、そんなことも関係ないくらい、このタイミングでこのメンバーが揃ったからこそ成立した、まさに“奇跡”なのです。

リアルタイムで追いかけられなかったのは残念ですが、若さゆえの“奇跡”は長く続くはずもなく、解散も必然的だったのかななんて思っています。


また、これは私個人の感想ですが、SUPERCARの楽曲を聴いていると、不思議と幻想的な風景が見えてきます。具体的なものではなく、なんだかこう、ぼやけた景色にキラキラ輝いているような、ロマンチックなものが浮かんでくるのです。

まさに”バンドマジック”が見せてくれる風景であり、いつ聴いても新鮮で素晴らしい音楽体験をさせてくれます。

そう、SUPERCARの曲っていつ聴いても新鮮で現在進行形のパワーがあって、古さを全く感じないんですよ。もう20年前の音楽なのに。

このようなバンドに出会えたことが20歳当時の自分には衝撃で、後にも先にも似たようなアーティストには出会えていません。

だからこそ、現在まで好きでい続けられるのかもしれません。

不思議です。このバンドは不思議なことばかりなのです。

でも、惹かれるのです。

ちなみに、この”バンドマジック”を感じることになるのはもう少し先の話で、アルバム「A」を聴いた段階では、まだSUPERCARのことを掴みきれていない状況でした。

SUPERCARの本当の面白さや魅力は、オリジナルアルバムにあります。

Vol2.からは、オリジナルアルバム(全5枚)を1枚ずつ紹介していき、私なりに魅力を深掘りしながら、当時の思い出を振り返っていこうと思います。

もうしばらく、お付き合いください。

最後に

さて、文章にしてみたものの、結局うまくまとまらなかった印象です。というよりも、まとめ方が分かりませんでしたので、体裁の良さは諦めました😭

それだけ、言葉にできない魅力で溢れているバンドなのだということだけでも伝われば嬉しいです。

なので、気になったらまずは聴いてみてください!それが1番早い!笑


最後に、SUPERCARの曲で今のマイブームは”ANTENNA”です。


ps .好きなことを書くのって、すごく楽しい!


乱筆にて

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