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鰻のけむり飯、はダメな事か

我が家の50メートル先にはウナギの養殖池があり、そこではもちろん鰻を食べることが出来たが
そんなに近くに住んでいた為かそこに食べに行くことは一度もなかった。

「お母さんね、今日婦人会で夜は居ないから夕飯は冷凍庫の鰻焼いて食べてね」だとか「あら、お友達来てるの??夕飯は食べてく??うなぎしかないわよ」と、母の都合がいい時に冷凍庫に買い置きしてある鰻を1人2/3匹、いや1/3匹食べられるのが私にとってのうなぎだった。
大人になって、うな重を外食した時には「こ、米が足りない!」とご飯部分と鰻のペース配分を間違えて困ってばかりで、中間価格のではなくにした方が気兼ねなくご飯が食べられて良いと気付いた。
もしペース配分を間違えてうなぎが無くなっても、タレご飯あるから大丈夫!タレご飯でも美味しい。

そう、タレご飯。

私は子供の頃から白米が大好きで、高校時代はおにぎりを7つ学校へ持って行き、休み時間になる度にひとつずつ食べたくらい、お米で育ったと言っても過言では無い。ダイエットはする気もないが、もししたとしても炭水化物抜きダイエットだけはしないだろう。
あれをするくらいなら、禁煙の方が500倍楽かもしれない。


とまぁ、そんなことはどうでもいいんだよ

私は小学生のころ、あのうなぎ屋の煙をお腹一杯に吸い込んで、Tシャツに匂いがつくまで浴びて家に帰ったことがある。
その日の夕飯は、いつものように、白米と漬物と畑で採れた野菜とみそ汁と焼き魚のようなメニューだったと思う。
私は、ニコニコしながらブロッコリーにマヨネーズをかけ、かじりついて口に頬張ると更に口にご飯を詰め込んだ。そうしてゆっくり咀嚼しながら、少し目を閉じて、さっき浴びたうなぎ屋の煙を思い出して満足していた。
もちろん、口の中はごはん・ブロッコリー・マヨネーズしか入ってないが、味のしない記憶のふりかけをかけて、大満足だった事だけはハッキリと覚えている。

私がうなぎ屋で自分の分のうなぎを一切れ買って、自分だけで食べていたら怒られただろう。匂いだけだったから、母に怒られなかったのだと思う。
自分の分だけ買って自分だけで食べるのではなく
量に関わらず家族でシェアしようとするのが優しさだと母はよく言っていた。

さて、私のこの「煙の窃盗」は母にとってダメな事なのだろうか。



最近、私には好きな人がいる。
イマドキの概念で言えば『推し』だ。

その人が元気そうにしていると、元気が出るし
新しい露出がないと寂しいと思う。
もし会えるなら何を渡そうか、何て言おうか、
ババアの乙女心は色めき立つのである。

そして、この推し成分を胸いっぱいに詰め込んで気持ち良くニコニコとパートナーと話すのは
『鰻のけむり飯』ならぬ『推しの残り香旦那』になってダメな事と非難されるのだろうか。(いや、されはしまい)←古文でよく見た翻訳

ちなみに、一線超えるのは…それはもうご飯の前にお菓子食べて怒られるくらい怒られたらええ。


て、うなぎ屋の前を通ってふと考えただけの駄文
外からいい匂いのするもの全部持って帰りたーい!!!!

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