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#心に残ったドラマ「男たちの旅路」

脚本家・山田太一氏の死去のニュースを見ました。
私は「ふぞろい」は見てなかったけど、「男たちの旅路」はよく見ていました。まだ子どもでしたけど、重たい内容のドラマが、なぜか好きだったんだと思います。
特に、車椅子の若者たちの話「車輪の一歩」は、すごくよく覚えています。
車椅子で生活することの困難さは、今よりずっと大きかった時代。
階段を上がること、タクシーに乗ること、ほんの小さな溝でさえ、大きな壁になる。
踏切でタイヤが線路の溝にはさまってしまって動けなくなるシーン、間一髪で助け出された後、女の子が失禁して泣き出してしまうシーンは、今も映像が焼きついています。
昨今はバリアフリーが進んできたとはいえ、車椅子用の駐車スペースに平気で車を停めてしまう人もいるように、今も不自由さを十分に理解されているとは、言いがたい気がします。
私も、母が車椅子となってみて、はじめて知ったことは、いくつもありました。
普段病院に行くことくらいしかなくても、不自由を感じる場面はあります。
病院の待合室が、意外に狭くて、車椅子で待つには、なかなか適当な場所がなかったり。通路をふさいでしまって、迷惑をかけたり。
古い病院だと、そもそもバリアフリーではなかったり。
診療科によっては、玄関にはスロープがあっても、車椅子用の駐車スペースがなかったり。仕方なく、左側が空いているところに停めても、当然ながら、帰る時には埋まっていたり。
車椅子での乗り降りに、どれくらいのスペースが必要か、知らない人も多いかと思いますが、ドアは全開にする必要があるので、どうしても片側に広いスペースが必要なのです。
他にも、エレベーターに鏡が必要な意味とか。(車椅子で乗ると中では方向転換ができないので、バックで降りる必要があり、後方確認のために鏡を見る…というのは、テレビで知りました(^_^;)介助者がいれば、必要はないので…)意外と知られていないことは、多いのではないでしょうか。
車椅子なんて、自分には関係ない、みたいに思っていては、もはや甘いと思います。
超高齢化社会になろうとする今、私のように、ある日突然、親が車椅子になる人は、今後増えていくでしょうし、何年後かには、自分自身がそうなっている可能性も、大いにあります。
全く他人事ではないのです。
車椅子であってもなくても、誰もが暮らしやすい社会に、まだまだ変えていくべきことはあるでしょう。
何十年も前、車椅子の前に立ちはだかる沢山の問題に光を当てて、社会を動かすきっかけを与えてくださった山田太一氏の功績は、とても大きいと思います。
ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

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