対案を求めることについて

主張が批判された時に、対案を出すように求めることは良いことなのか。それは相手と場合による。

地方議員の大半は首長に白紙委任氏か、首長の足引っ張り専門家のいづれかである。各政策を批判的に検討し、議論をするという人は、天然記念物並に希少である。

首長の足引っ張り専門家に対して、対案を出せと言うのは正しい。考える気のない相手を黙らせるからである。

プロが素人に対して、対案を出せと言うのは間違いである場合が多い。NECや富士通等のパソコンをパソコンメーカーではない我々が使って、「◯◯の機能が、使いにくい」と言うことは十分に価値のある意見であり、どういう仕組み、方法が良いのかを考えることとは別の話だからである。

では政治家というプロが、ジャーナリストというプロに対して対案を出せと言うことは良いのか。ジャーナリストが首長の足引っ張り専門家であれば正しく、首長の足引っ張り専門家でないのであれば間違いである。どのような立場であっても、足引っ張り専門家は社会的に害である。またジャーナリストの主な社会的役割は状況の報告であり、解決策の提示ではない。

学者というプロに対して対案を出せと言うことは良いのか。学者が実践的研究をしている人であれば正しく、理論的研究をしている人であれば間違いである。新薬の開発をしている学者(研究者)が、ある病気の撲滅という解決策を提示するように、現実の社会を研究している学者は現実の社会への処方箋を出す。一方、理論的研究は例え現実の社会を扱っていても、現実の社会の構造や背景、歴史的位置づけ等を明らかにするものであり、現実的な解決策ではないにしても、十分に社会的価値のある作業である。

政治家(A)が政治家(B)に対して対案を出せと言うことは良いのか。BがAの政策と政策的に深い関係にあれば正しく、浅い関係であれば間違いである。医療分野を専門にしている政治家が、憲法改正を専門にしている政治家の主張に対して批判しても、その批判内容が正しければ価値のある意見であり、専門外のことについて対案を出すほどの責任はない。上記の、プロと素人の関係と同じである。逆に、安全保障を専門にしている政治家が、同じ専門分野の政治家に対して対案を求めるのは正しい。専門分野に関する政策を考えるのが政治家の一丁目一番地の仕事だからである。

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