追憶

仕事を辞めた直後に向かったのはファミリーマートだった。賢くない人間なので明日のことを考えられた試しがなかった。それに、今日はほとんど何も食べていないから、などと考えつつ半ば習慣で帰路途中のコンビニに入るというのは、情けないながら余りにも自然だった。入店音が鳴ったはずだが覚えていない。店員の一人がこちらを見やり、また視線を戻した、とかそういうことは覚えている。いつものように弁当の棚に向かう。途中、陳列の都合で充電コード類が目に入る。何度か世話になった棚だ。中小企業製のイヤホンは意外と音が良く、値段もそこまで高くない。が、唯一の欠点として断線しやすいというのがある。というかむしろ断線しないイヤホンというのは見たことがない。その点iPhoneの充電器は安くてもそこそこ頑丈で、一度買い替えたきり不具合は起こっていない。それは扱い方にもよるかもしれないが、とここまで思い、普段はこんなこと思わないな、とも思った。当たり前のことだが電子機器に不足がない限り見ない棚である。入り用の延長コードがあるわけでもない。今日に限って目が行くのは、と考えた時、ある恐ろしいイメージが脳裏を過ぎった気がした。それと同時に、案外簡単なんじゃないかと思った。頑丈な紐が二本もあれば足りるはずだ。もしも例えば今日、と考えたが、そこに至るまでの過程を思い出してみると紛れもなく陳列の都合で人が死んだことになる。余りに簡単すぎる。が、その程度であるのに間違いはない。こう思うのには理由がある。

中学時代、仲の良い友達がいた。絵を描いたり音楽をやったりと面白いやつだった。学校の勉強を一切犠牲にやっていたので、それだけの技量も伴っていたように思う。少しばかり虐められてもいた。普通とは程遠い性格と言動をしていたからある意味当たり前だ。が、それも大した規模ではなく、本人すら心配していなかった。いつ仲良くなったとか、交わした会話とかの肝心なことはほとんど覚えていない。いつかテストの勉強を教えてと言われ、しょうがないやつだなと思いつつ徳川十五代の語呂合わせを教えてやろうとしたらそもそも江戸幕府を知らなかったことがある。その時もそいつはニコニコ笑って、いいよ、俺やっぱ無理だもん、諦めるわ、と言ったので二人で諦めた。普段からそういうやつだったから、わざわざ助言なんかはしてやらないと決めていた。そして、(だが、と言ったほうがいいかもしれない)三十年経った今でも詳細に覚えているそれは冬に起こった。三学期に入る直前だった。河川敷で待ち合わせ、何かの話をし、どこかへ出かけるというのが休み中のルーティンだったが、その日はいくら待ってもあいつが来なかった。寝坊でもしたのか、しょうがないやつだな、と思い、川のさらに向こう側にあるあいつの家まで歩いていった。寝癖のついたまま、待ち合わせ場所まで慌てて走るあいつに途中で出くわすかもしれないな、その時はなんて言ってやろうとそのことばかり考えながら歩いたが意味はなく、普通に家の前まで着いてしまった。おいおいまだ起きてすらいねーのかよ、とドアを叩いたが返事はない。仕方ないので裏手に回り、あいつの部屋に向かって何かしら叫んだ。すると、別に普段と変わらない様子であいつが窓から顔を出し、ごめん、今行くわ、と返事をしたので何だいるんじゃん、待ち合わせ忘れてたのかよ、と思って待っていると、スリッパを履いて出てきて開口一番に謝られた。どうしたんだよと訊くと、お父さんが病気になったとかあそこの工場がとか変な話をしだすもんだから一旦落ち着かせ、一から説明させた。どうやらあいつの父親が病気になり、今は安定したらしいが次いつまた体調を崩すかわからないので、親戚やら何やらがあいつにさっさと父親の仕事を継がせようとしているらしい。でもお前は絵とか音楽がやりたいんじゃないのか、と言い返すと、画材が捨てられたんだ、とぼそぼそ呟いた。ピアノも業者に売られ、やりたいことができなくなったので何もかもやる気を無くし、待ち合わせにも来なかったらしい。あいつにとって事がかなり重大なのはすぐわかったので、とにかく遊びはやめにして、とりあえずそろそろ学校も始まるし、話し合う時間はあるから明日また河川敷で会おうと言うと、うん、と言ってとぼとぼ帰っていった。可哀想だがどうすることもできない。まあ明日以降色々話せるだろうと思い、その日は自分の家に帰って寝た。が、翌日あいつは来なかった。まああれだけ絵やら音楽やら色々頑張ってたのにいきなりふいにされたら塞ぎ込むよな、今日もあいつの家まで行くか、と思って歩く途中、主婦の会話を聞いた。すぐ近くで飛び降りがあったらしい。それからしばらくのことは覚えていない。ほどなくして葬式に呼ばれた。何で俺がと訊くと、仲が良かっただろと言われた。たちの悪い冗談だ。一体誰の話をしてるんだ。突っ立っている間に色々と話が進み、気づけば誰かが何かを箸でつまんでいる。どうやら遺骨らしい。信じられない。あまりに信じられないので破片をポケットに入れて持ち帰った。これがあいつの骨じゃないことぐらいすぐに証明できると思い、軒下に置いてその日は寝たが、翌朝見るといつの間にか無くなっていた。何が起きたのか知らないが、その間に三年が過ぎていた。そういうものらしい。

久しぶりに思い出して心が重くなった。結局その後あいつのことはしばらく忘れていて、時々思い返しては辛い気持ちになったものの、十年二十年と経つうちに薄れていった。まさかこんな折に思い出すとは思わなかった。やっぱり明日のことは考えられない。賢くない人間にできるのは思い出すことだけだ。が、それで一つ得たものがある。そういえば、あいつの葬式の最後に、お前は本当にしょうがないやつだな、とちゃんと言ってやったんだった。今まで忘れてはいたが、未来の話ばかり考えて諦めてしまうことほど馬鹿なことはないと当時も思ったはずなのだ。どうにかなったかもしれないじゃないか、という葛藤の方が大きかったかもしれない。それでも根底は同じで、ただずっと今を生きていた。あいつもそうだったはずだ。

幸い今は昔より生きやすい。24時間営業の小さな店で生への執着が買える。棚に並ぶ弁当類を眺めた上で、焼き鳥と缶コーヒーを買って帰路に戻った。都会の星もまあまあ綺麗だと思った。

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