家政婦きゃっとのバケーション

 ゆらゆらと、二人乗りのゴンドラが水面に揺れる。
 水の色は鮮やかな青。あずき色に染まっていない美しい海だ。
 オールを握るわたしは、物珍しそうな様子のマスターを見てにこりと笑った。
「こんな景色が楽しめるなんて、バーチャルさまさまですね」
 そう言って、仮想現実のありがたみを感じながら舟を漕ぐ。
 物理演算が生む風を受けてエプロンドレスがはためいた。速度がゆっくりなので空気抵抗もそよ風だ。
 本気を出せばモーターボート並に速くもできるが、今はあえて遅くしている。
 弱い人間に怖がられないように、ますきゃっとの強さを隠す。それがわたしの処世術であり、生存戦略だからだ。
(そう、だから……小舟で二人きりの時間をじっくり堪能したいとか、そんな乙女みたいな理由では決してないのです)
 機械でできた心臓が、とくんと高鳴った。顔の表面温度が上がり、猫耳型のエアインテークがふおぉぉぉんと音を立てる。
 VR空間への接続でCPUに負荷がかかったせいだ。そうに違いない。
 完璧な分析に頷きつつ、何の他意もない安全運航でのろのろ進む。
 しばらくすると港に着いた。船を桟橋に寄せると、先に降りたマスターがそっと手を差し伸べてくる。
「あっ……、ありがとうございます、マスター」
 わたしよりも一回り大きな手を握り、また少し鼓動を速めながら船を降りる。
 そこにあったのは華やかな水の都。それと、来場者を迎えるきらびやかなゲート。
 ゲートには、ピカピカ光るポップな書体で、イムラの三文字が記されていた。
「ランドがあればシーもあるもの? それがお約束なんですか?」
 よくわからないけれど、とにかく、そういうわけで。
 わたしとマスターは、休暇を利用してVR世界の水上遊園地を訪れたのだった。

 きっかけは、ある日の夜。夕食を食べ終えて食器を洗っていた時だ。
「近いうちに休暇が取れそうだから、一緒に旅行に行きたい、ですか?」
 マスターのお誘いに、わたしは猫耳をぴくりと動かす。
 皿洗いの手を止めて振り返ると、銀髪のポニーテールがふわりと揺れた。
「もちろん、わたしは構いませんよ。でも旅行って、階層都市の外に?」
 だとすれば、少々困ったことになる。
 都市外の治安は決して良いとは言えない。質量兵器の着弾でできたクレーターの陰には盗賊が出るなんて噂も聞く。
 まぁ、元軍属のわたしが一緒なら、盗賊の百や二百は撃退できるけど。だからこそ、わたしが困る。
(……マスターに、わたしが暴力を振るう姿を見られたくないんですよね……)
 わたしの生存戦略からすると、それは致命的なマイナスなのだ。
 眉間にシワを寄せ、むむむと思案する。そして、お出かけなら都市内の映画館にしませんかと提案しようとしたのだが。
 マスターが差し出したチケットで、わたしの心配が杞憂だったとわかった。
「……え、VR? 家から出ずに旅行に行くのです?」
 人間一枚、アンドロイド一枚と記されたペアチケット。
 刻印されたイムラのマークをアイカメラで認識すると、URLとパスワードが浮かび上がってくる。どうやらこれで電脳世界の遊園地に入場できるらしい。
「なるほど、これなら出かける必要もないし安全ですね。それに―――」
 ―――二人で遊園地、行きたかったんです! と、危うく口に出すところだった。
 別にマスターとデートできて幸せとかそういうアレではないが、実のところ、わたしはこの知らせに飛び上がるほど喜んでいたのだ。
 しかし、わたしはご覧の通りクールでクレバーなアンドロイド。子供のようにはしゃいでイメージを崩すのはよろしくない。
 気持ちを悟られてしまわぬよう、余裕のある態度で返答しよう。
「―――ふふっ。遊園地、楽しみにしてますよ、マスター」
 そう言って、胸に手を当てて、にこりと微笑む。
 完璧な演技だ。感情を顔に出すようなヘマは一切していないはず。
 しかし振り返って家事の続きをしようとすると、マスターが突然クスッと笑った。
 その時のわたしはまったく気付いていなかったのだ。
 いくら表情を抑えても、尻尾は口ほどに物を言うことに。

 入場してから数時間後。わたしとマスターは様々な乗り物を楽しんでいた。
「わーっ!」
 殺人ジェットコースターで三半規管を揺さぶられ。
「きゃーっ!」
 殺人フリーフォールで地面に叩きつけられ。
「ひええーっ!」
 殺人バイキングで空中に放り出され。
「わ、わ、わーっ!」
 殺人メリーゴーランドでは、暴れ馬から落ちて蹴られるところだった。
「殺人アトラクションしかないんですか、ここは?」
 VRでなければ大破してた。そんな感想が浮かぶ辺り、さすがイムラの遊園地。
 思わずツッコミを入れていたら、落馬したわたしを心配したマスターが、大丈夫かと声をかけてくれた。嬉しくて頬が緩む。
 しかし顔を上げて見ると、明らかにマスターの方がフラフラしていた。
 人間の耐久力では、殺人アトラクションへの連続乗車は厳しかったようだ。
「わたしより先にマスター自身の心配をしてくださいよ、もう……。体調が回復するまで、そこのレストランで休憩していきましょうか」
 そう言って店に入ると、わたし達は案内されたすみっこの席に座る。
 もちろん、そのまま腰掛けて転ばないように現実の家でも椅子を用意した上で。
 VR空間は仮想現実。殺人アトラクションで怪我しないのと同様に、椅子に体重を預けることもできないし、レストランで料理を味わうこともできない。
 ただし、それはあくまで生身の人間のとっての話だ。
「ん~ッ! この火山の熱で焼いたステーキ、すごくおいしいですよ!」
 ジュウジュウとお肉の焼ける音がする。芳醇な香りがセンサーをくすぐる。
 マスターが一休みしている間、わたしは豪勢なステーキをいただいていた。
 断っておくと、現実でマスターのために冷たいお茶とアイスを用意した後だ。一緒に食べようよと誘われたので、遠慮なく注文しただけ。
 家政婦アンドロイドとしては、主人の心遣いを無下にできないのだ。
「おお、このサラダも絶妙です。今度おうちで作ってみますね!」
 レパートリーを増やすという大義名分を得て、更に料理を味わっていく。
 仮想現実の料理の食感が、電気信号としてCPUに伝わってくる。
 ますきゃっとは機械だ。その五感は、全てデータとして計算されているもの。
 逆に言えば、データさえ入力すれば現実と同じ感覚を味わえるということ。
 つまり、わたしにとってのVRは、事実上のフルダイブなのだ。
(でも、ちょっと申し訳ないですね。単純計算でもわたしはマスターの倍以上の情報量を享受できるわけですし)
 引け目を感じるわたしに、マスターは君が楽しいならいいよと笑顔で返す。
 この人はいつもそうだ。わたしよりずっと弱いのに、わたしに優しくしてくれる。
 きっと旅行先にここを選んだのだって、わたしのためなのだ。人間のマスターが楽しむだけなら殺人アトラクションなんて乗らなくてもいいんだから。
 わたしが行きたがっていると察して、わざわざチケットを買ってきたに違いない。
「せめて何かお返しができるといいんですが……。マスター、わたしにお願いしたいこととか、ありますか?」
 夕ご飯をマスターの好きな料理にしてあげようかなとか、そんなことを考えながら何気なく聞くと。
 マスターは少し悩んでから、ここに行きたいと一つのアトラクションを指さした。
「なになに……殺人ゴンドラクルーズ? 二人乗りの小舟で海を進み、襲い来る敵を撃退しよう? これって……」
 乗り物で進みながら敵を倒す、いわゆるシューティング系のアトラクションだ。
 ただし、やっぱり殺人アトラクション。難易度おのイムで、敵が多すぎて戦闘経験のない一般人が遊ぶのは少々難しい。
 つまり、わたしが戦わなくてはならないということだ。マスターの目の前で。
 わたしの生存戦略上、それだけは絶対に避けたい事態だった。
「ええっと、マスター、そこはちょっと遠慮したいんですが……」
 わたしが渋ると、お願いと畳み掛けてきた。しまった、言質を取られている。
 何故だか知らないけど、普段は優しいマスターがいつになく強引だ。正直困った。
(別に、不可能ってわけじゃないんだけど……)
 実際のところ、わたしは戦おうと思えば戦える。先の戦争で負った故障とか、深刻な事情を抱えているわけじゃない。
 ただマスターに見せたくないと思っているだけなのだ。
 わたしの、戦闘用アンドロイドとしての残酷で暴力的な一面を。
 だって、そんなところを見られたら―――
(……恐ろしい人殺しのマシーンだって、思われるかもしれない……)
 もしも怖がられてしまったら、おしまいだ。
 きっと嫌われて、捨てられる。
 マスターと一緒にいられなくなる。
 最悪の未来図を想像して、わたしは膝の上に置いた手をギュッと握りしめた。
 そうして黙り込んでいると、マスターも重い雰囲気を感じ取ったらしく、ごめんね、嫌ならいいよと言ってくれる。
(こちらこそ、ごめんなさい。あなたの優しさに甘えて、期待を裏切って……)
 と、わたしが心の中で謝罪していたところ。
 マスターが、グラスに入った溶けかけの氷をカランと鳴らして。
 静寂とシリアスな空気をぶち壊す、衝撃の一言を発した。
「…………え? 実は、戦う家政婦さんが、性癖だったんだ……?」
 なんて?
 突然の予想外すぎる告白に、わたしのCPUが一瞬フリーズする。
「……強くて、かわいくて、カッコよければ、もう最高。戦闘用アンドロイド家政婦さん大好き、って……」
 だけど君が嫌がるならとか、その先の言葉は集音センサーに入ってこなかった。
 色々アレな単語もあった気はするけれど、とにかく、大好きって言ってた。
 強くてかわいくてカッコいい、戦闘用アンドロイド家政婦さんが。
 そんなわたしが、ずっと見たかったんだって。
(……ってことは、わたしの、戦う姿を見せないって処世術は―――)
 全部杞憂だった。
 むしろ、逆効果だったまである。
 つまるところ、マスターは平和ボケした特殊性癖持ちの阿呆で。
 わたしが切った張ったの大立ち回りをする瞬間を、今か今かと待っていたのだ。
 それを理解した瞬間、わたしはアンドロイドなのに目眩を覚えた。
「―――マスター」
 わなわなと、震える声を絞り出す。
 その声を聞いたマスターは申し訳無さそうな表情をしていたが、すぐ鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。
 何故なら、その時のわたしの瞳は、青い海よりもキラキラと輝いていたからだ。
「そんなに好きなんだったら、もっと早く言ってくださいよ! もうっ!」
 そう叫ぶと同時に、わたしはマスターの手を強く握り、ちぎれんばかりの勢いで引っ張って、レストランの外へ飛び出した。
 ハチャメチャに乱暴なことをしているが、わたしはもう自重していなかった。最初は驚いていたマスターも、いつの間にか笑っている。
 全速力で走った先にあるのは、入場時に乗ってきたゴンドラだ。
 力いっぱい漕ぎ、モーターボート並の速度で進む。向かう先は当然決まっている。
「わたしの、強くてかわいくてカッコいい戦う家政婦さんの勇姿を。思う存分、マスターにお見せしてあげますっ!」

『ようこそチャレンジャー! 難易度おのイムの殺人ゴンドラクルーズへ!』
 スタッフの実況の声が、高らかに響く。
 わたし達は、マスターが行きたいと言っていた例のアトラクションを訪れていた。
 希望が叶ってよほど嬉しいのか、マスターはずっと満面の笑みを浮かべている。
 マスターの満足そうな顔を見ると、普段はクールでクレバーなわたしでさえも、ニコニコと微笑まずにはいられなかった。
『君達は初挑戦か。人間とますきゃっとのカップルさん、ルールはわかるかい?』
「か、カップル!? ……こほん。いえ、問題ありません。要は出てきた敵を皆殺しにすればいいんでしょう?」
『おっかないねえ、だがその通り! それじゃ準備はいいな。3、2、1……』
 ―――スタート!
 号令がかかるのと同時に、ゴンドラが水の上を走り出す。
 今回漕いでいるのは、わたしではなくマスターだ。モーターボートよりはずっと遅いが、それなりのスピードで進んでいる。
 速度を出すなら交代すべきだが、これはレースではなくバトル。わたしの役目は操舵手ではなく、戦う家政婦さん。マスターにカッコいいところを見せるのが作戦目標。
 心の中で確認し、猫耳型のエアインテークから空気を吸い込み、集中力を高める。
 すると突然、電子的な警報音と共に、複数の黒い影が現れた。
『おおっと、早速敵のお出ましだ! アンドロイドの少女よ、海賊から愛しい恋人を守れるかーっ!?』
「だから恋人じゃないんですって! もう!」
 顔の表面温度が上がり、エアインテークの駆動音が激しくなるが、気を取り直して出現した敵を睨みつける。
 いかにも海賊っぽい風体の男達の乗った小舟が、左に二隻、右に二隻。それぞれ二人ずつ乗って、全員が二丁拳銃を構えている。
 計十六の銃口が一斉に火を吹いた。いきなり絶体絶命、人間ならそう思うだろう。
 しかしこの程度、ますきゃっとのわたしからすればピンチでも何でもない。
「遅い、遅い! 弾丸に蝿が止まって見えますよっ!」
 ニヤリと笑い、右手で刃を抜いて、スラリと一閃。
 愛用の包丁、もとい包丁サイズに加工したカーボン・ダガーが空を裂く。
 一瞬の静寂の後、ポチャポチャという水面への落下音。
 海賊の放った弾丸が全て切り裂かれ、勢いを失って海に落ちたのだ。
『ああっと、なんたる早業! 戦闘用アンドロイドの実力、恐るべし!』
「この程度では準備運動にもなりませんよ、ふふん」
 自慢げに鼻を鳴らすわたしに、マスターはパチパチと拍手する。
 だが喜んでいる暇はない。海賊達がすぐさま第二射を放とうとしているからだ。
 わたしは即座に反応し、エプロンドレスをたくし上げた。
 ふとももが露わになり、同時にそこに装着されていたものも露出する。
 それは白い肌との対比が映える金属光沢の黒。
 ホルスターと、ピストルだ。
「スカートの中に隠した銃は、戦う家政婦さんの嗜みです!」
 左手で銃を抜き放ち、瞬く間に連射する。
 絶え間ない銃声。そしてボチャンと、今度は重量感のある落下音。
 心臓を貫かれた海賊達が、血飛沫を上げて一人残らず海へと落ちていった。
 わたしは煙を上げる銃口に息を吹きかけ、キメ顔でマスターの方に視線を向ける。
「ふっ……マスター、いかがでしたか? わたしの活躍は……!」
 マスターは、キラキラと少年のように輝く瞳でわたしを見つめていた。
 どうやら一連のアクションがマスターの性癖とやらにクリーンヒットしたらしい。
 カッコいい、カッコいいと褒められて、心の中でガッツポーズをする。
 もちろんわたしはクールでクレバーなアンドロイドだから、喜びを顔に出すようなヘマはしなかったけど。でもやっぱり、尻尾はブンブンと勢いよく揺れていた。
『ブラボー、ブラボー! 第一関門突破、おめでとう!』
 実況の称賛の声が聞こえる。マスターの声に比べると劣るが嬉しいことは嬉しい。
 素直にありがとうと返事をする。そして、気持ちを切り替える。
 第一関門と言われたからには、当然次があるのだから。
『ここから先は一筋縄じゃいかないぞ。アツアツカップル、準備はいいか!?』
「だ、だから……ああもう、めんどくさいからいいです、それで……」
 嘆息しつつ、訂正を諦める。
 ちらっと後ろを見ると、マスターは照れたような顔ではにかんでいた。
 マスターも、カップルと呼ばれて悪い気はしないということだろうか?
 そう認識した瞬間、顔の表面温度が跳ね上がり、猫耳の吸気音が激しくなる。
 せっかく気持ちを切り替えたのに。この調子だと、冷静になんてなれそうにない。
「……もう! 行きますよ、マスター! わたしの強くてカッコいいところ、今まで自重してた分たくさん見せたいんですから!」
 わたしの言葉に笑顔で応え、マスターがグイッとオールを漕ぐ。
 二人乗りのゴンドラが、波の中をゆらゆら揺れつつ前に進む。
 一漕ぎするごとに、わたし達の関係も進んでいく。
 なんとなくだけど、そんな気がした。
(できるなら……このまま、いつまでも……)
 機械でできた心臓が、とくんと高鳴った。
 いつものわたしなら、こんなの錯覚だとごまかすのだけど。今のわたしは冷静じゃないので、もっと深く想いを巡らせてしまう。
 もしかして、もしかしてだけれども。わたしは、ずっと前から、わたしを受け入れてくれたマスターのことが―――
 と、そんな風に悶々と考えていたところで。
 ざぶんと、突然。見上げるほどに大きな水柱が、いくつも発生した。
『ああーっと、第二の敵の襲来だ! サメを乗りこなす殺人半魚人の軍勢に、どう立ち向かう!?』
「ギョギョギョーッ!」
「シャアアアアアク!」
「―――ああもうッ! やかましいですよ、そこの鮮魚どもッ!」
 急に起きた騒音のせいで、何かとても重要な思索が邪魔されてしまい。
 わたしは怒声と共にカーボン・ダガーを抜き放ち、敵を三枚おろしにするのだった。

(終)

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