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OTG#05_20190404

大塚ギチへのインタビューは2019年の3月27日、4月4日、4月12日の3回に分けて、西新宿の大塚の自宅で行われた。録音時間は計8時間に渡り、ここでは約1時間分ずつテキスト起こしという形で紹介していく。

生前の大塚の言葉をできる限り残したいという目的から、カットや修正は最小限にとどめ、ほぼノーカットでお届けする。そのぶん話題の繰り返しなど冗長な部分も残っているが、療養中の大塚の話にゆっくり付き合う雰囲気を感じていただけたらと思う。

なお、生前の大塚は転倒事故とそれによるクモ膜下出血の後遺症で、記憶に障害を負っており、転倒前後からの記憶には喪失部分や誤認、思い込みなども多く混じっている。そのため本人の証言が実際の事実関係と食い違っている可能性もあることを、あらかじめご了承の上お読みいただきたい。

聞き手・構成・写真 野口智弘(※写真は往時のアンダーセルの応接間で、収録が行われた大塚宅とは異なります)
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(#04から)

『ホムンクルス』の世界を抜けて

――……なんとなく回しますか。(前回の収録から)この一週間の間に新元号の発表もありましたけど、転倒事故と言えば爆笑問題の太田(光)さんがクリームで滑って頭を打っちゃって。

大塚 ああ、あれ危なかったよ。

――ねえ。検査してすぐ大丈夫だということで2、3日したら復帰してましたけども。

大塚 ただあれ頭蓋骨割ってたりとかすると、俺と同じことになってるから。あれ危ないよ。自分で一回経験してる身としては、一歩間違えれば。

――本当に当たりどころの問題ですからね。で、復帰直後のラジオ(『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』)でしゃべってたのを聞いた話だと、頭を打ってすぐの記憶はないらしいですね。

大塚 俺もそうだよ。俺はそれから記憶が相当ないからね。

――で、うわ言のように太田さんは「俺のネタはウケてたのか?」って何度も何度も田中(裕二)さんに聞いてたらしいですけど、それも本人は覚えてないという。

大塚 うん。だから頭蓋骨を割ったりとかクモ膜下(出血)になったりとか、脳梗塞を起こしてないということだよね。意識は戻ってるから。俺の場合はそれもないから、転落してからの意識なんていっさいないし、そこからずっと長い間集中治療室にいたもんだから、何も覚えてないね。

――逆にはっきりした転倒事故後の最初の記憶ってなんです?

大塚 集中治療室にいて、駆けつけた身内に対して病院側から言われたのは「もう死を覚悟してください」ということは、3回言われたんだっけな。で、そのときも俺は全然意識もないし。まあ、奇跡的に意識は戻って、意識は戻ったら別の病院に搬送されて入院生活になるんだけど、そこまでのプロセスがまったく思い出せないよね。ある日気がついたらなんか別の病院にいて。何が起きたんだかさっぱりわからなくて、ただいまでもここ(頭を指して)に3ヶ所と、ここか。穴は空いてて、そこに全部管を通されて血を抜いてということだったんだけど。

――映画やドラマでよくある、気を失ったあとに病院で目が覚めて「ここはどこだ?」みたいな、ああいう感じにわりと近いんですか?

大塚 「ここはどこだ?」どころの騒ぎじゃないよね。クモ膜下という問題は、クモ膜下に限らずだけど、脳を傷つけてしまうということに関して言えば、俺は幸いにしてこうやってしゃべれるような状況にはなってるけれども、意識と記憶の障害は当時すごかったから。わざわざうちの両親も見舞いに北海道から来たりとかしてたんだけど、俺が意識を戻って一番最初に会ったときに誰かわからなかったからね。

――そうですか……。

大塚 うん、わかんなかった。で、「誰ですか?」って聞いちゃったんだって、俺。

――そのときの自覚というか「なんか知らない人が来たぞ?」という感覚って残ってるんですか?

大塚 うん。知らない人が来ちゃったというよりは、自分の記憶といまある光景が重なり合わないんだよね。だから全然誰が来てるのかもわからないし、何があったのかもよくわからないし。で、病院もわざわざそういう説明を一個一個してくれるわけではないので、それよりはとりあえず現状の状態から復帰させることしかしてくれないので、俺が当時の脳のCTスキャンを見たのって退院してからだからね。で、退院したあとに撮ったCTスキャンと事故後のCTスキャンの画像を比べて見せてもらったら、事故後のCTスキャンとか、脳の中身真っ黒で。

――血が出てる。

大塚 血が出ちゃって。で、いまはそれはないけれども、それぐらい意識の混濁はひどかったなあ。いまはだから時間経過でそれが落ち着きはし始めてるけれども。あと当初はね、クモ膜下をやった人たちを当然いろいろ調べるじゃない? 物書きだというのもあるし、編集者だとかそういう自分の生活もふくめて知りたいからさ。で、病院は事細かにそういうことって説明しないからさ。自分なりに調べたらやっぱりクモ膜下をやったあとって感情のコントロールとかができないみたい。

――うーん。

大塚 だからすごいキレやすいとか、そういう問題もあって。当初はやっぱりそういうのは多かったなあ。いまはかなり落ち着いてはいるけど。

――最初は意識はグチャグチャだったと思うんですけど、だいたいこれぐらいの時期から意識ははっきりして、そこそこ理路整然と日々過ごせるようになったのって秋とかですか? もっとあと?

大塚 年明けぐらいじゃないかなあ。最初は7月に事故を起こして入院生活をして、退院して、できることはできるんだけど、できないことはやっぱりできないというか。いろいろと障害者認定を受けるための手続きのために手書きで書類を書かなきゃいけないというのもあって、そういう作業をしようとしたときに漢字がまず書けないというか、思い出せないんだよ。いろいろ調べて写し書きをして書いてたんだけど、字が書けなくなってたというのはあるよね。字と数字が完全にダメになってたね、当初は。

――ひらがな、カタカナならなんとかなる感じ?

大塚 なるんだけどやっぱり字が荒れるよね。で、それを続けていかないと申請書類が作れないわけだから、そういう作業は当然しなきゃいけないんだけど、それに対しての集中力が昔みたいにフルタイムで続かないから、もう休み休みで書いたりとかしてる感じではあるね。だから落ち着いてきたのは今年に入ってからなのかな。ただうーん、時間はかかるよ。それに関しては本当に実感したけどね。ただ俺の場合は半身不随になってるわけでもないし、しゃべれたりするけど。で、足むくんでるでしょ?

――(見て)むくんでますね。いまふと見たら足パンパンで。どうしたんですか?

大塚 これも脳梗塞の後遺症のひとつなんだけど。だから今日午前中からずーっと、週にいろいろ病院行かなきゃ行けないんだけど、これでも今日はまだずいぶんマシになったんだけど。

――これは足にいろいろ水とか溜まっちゃってるんですか?

大塚 うん。水が溜まっちゃう。それのための治療を今日午前中にしてきたんだけど。

――膝から上は痩せてる人なんですけど、足だけお相撲さんみたいになってるからちょっとびっくりしますけど。痛いとかそういうのはないんですか?

大塚 無きにしもあらずだね。日中横になってる分はうまく血流が回ってくれるからいいんだけど、起きて椅子に座ってるとどうしても足のほうに水とか血が溜まっちゃうので。

――それは時間経過というかだんだん治していくしかないんですか?

大塚 週1回そっちも行って。それ以外にも脳の病気とかがあるから、ひととおりの障害者としての手続きは申請出してはいるけど、病院への通院生活はしなきゃいけないし。腫れてるでしょ?

――腫れてますよ。

大塚 でもこれね、昨日に比べれば全然マシなのね。

――腫れの症状って「それ面白く盛ってないですか?」みたいな大げさな説明されることが多いですけど、本当にそれぐらい腫れてますよね。

大塚 いまとか曲がるから靴下は履けるけど、ここまでむくんじゃってるから足上がらないんだよね。

――横になって足を上げるとかのほうがいいんですか?

大塚 基本的には療養生活というか横になって休んで、あとはむくみが激しいときにはお湯に浸かって血流をよくするという以外にはないよね。それぐらいのもんだよ。だから今日も先生とその話をして、鍼を打っていただいて。でも寝て、寝てる間はいいんだけどね、起きて椅子に座ってるとどうしても腫れてきちゃう。腫れるというかむくみだよね。

――多少歩いてたりしたほうがいいんですか?

大塚 まあ、歩いたほうが当然いいんだけど、足のむくみを取るので一番いいのは、足を高く上げて横になる。それで自然に血流をよくするということなんだけど。

――このおしゃべりもべつにこのポジションで座ってする必要はないので、寝てもらっても。(※収録は3回とも大塚宅の台所の椅子に腰掛けて行われた)

大塚 いや、べつに。まあ、わざわざ横になって話をするのも違うと思うし、それはそれでしゃべりづらいので(笑)。

――なのでだんだん前回の話とも混ぜていければなと思うんですけど。

大塚 はいはい。


『ろくでなしBLUES』in 北海道

――前回の音源、4時間全部じゃないですけど、僕も飛ばしながら聞いて面白かったのは「大塚さんは若いときにこんなにすごい人たちともうファーストコンタクトしてたんだ」みたいな話はやっぱり面白くて。

大塚 若かったからかわいがられたのはデカいけどね。20代であんな立場でフラフラしてる奴なんて、なかなかいないから。

――大学生ぐらいの年齢でプロの現場に飛び込んでる人もなかなかいないでしょうし。

大塚 だから早熟だったというのはあると思うよ。かわいがってもらったし。それもあるんじゃないかな。

――前回「編集者か、マンガか」という話はありましたけど、こういう仕事をしようというのは早くから決めてたんですか?

大塚 まあ、編集者になっちゃった時点でそこからはもう。でもさいわいなことに編集者というか出版社を辞めてすぐにまた仕事をフリーランスでいただいて転がってきたというのがあるので。

――というか一番最初の編集業って『HiPPON(SUPER!)』でいいんですか?

大塚 うん。で、宝島社だけだよ、出版社に勤務してたのは。

――そもそもなんで『HiPPON~』だったんですか? 拾ってもらった方のお名前(井上裕務氏)は出ましたけど。

大塚 もともと高校のときからファストフードでバイトしてたというのがあって。

――そういう話はちらっと聞いたことがあるな。

大塚 うん。で、上京してからもいろんな仕事をしてみたんだけど、高校のときから複数の店舗でファストフードを経験してたという実績があるから、どこの店舗に行っても重宝されてたんだよ。それで働いてて、社員に1回なったのか。

――その辺も何ステップかあると思うんですけど、上京したきっかけって何かあったんですか?

大塚 いや、北海道にいる理由がないからね、俺。もともとガキの頃からすげえ引っ越ししてるからさ、だからべつに北海道に長くいるつもりもないし、高校のときにはすでに月に(アルバイトで)結構な額稼いでたから「もういいや」と思って。

――じゃあ高校時代は基本バイトで?

大塚 もちろん。だからその頃はケンタッキーで働いて、ケンタッキーだけじゃないよね。学校行く前も早朝にセブンイレブンで働いたりとかして。

――それはもうバイトしてるときにもかなり明確に「これは上京するときの資金にしていこう」みたいな感じで貯めてたんですか?

大塚 うーん、というよりは学校生活を続けててもイコール自分の将来にはならないと思ったんだよな。

――授業には?

大塚 行ってないよ。2年ぐらいからほぼ行ってないからさ。あとはだからお金は適当にあるし、日中に学校サボって札幌で遊び呆けてるみたいな上京ではあったね。

――恵庭(えにわ)から札幌って気軽に行けるぐらいの距離なんですか?

大塚 うん。まあ、いまほど近くはない。いまは30分とかで行けるけど、当時は電車がそこまでアクセスよくなかったから、ちょっとかかってはいたけど、どうしたって高校のときにいた恵庭という町になんかカルチャーがあるかっつったら何もないからさ。

――恵庭って千歳空港と札幌の真ん中ぐらいにあって。

大塚 そうね。で、俺の同級生で、後にアンダーセルにもいた菊崎(亮)っちゅうのは恵庭のなかでも外れの田舎町で、あいつの家からだと俺らが通ってた学校は近いんだけど。まあ、極端な学校だったからね、あの学校も。ヤンキーがすごい多いし、同時に偏差値高い奴もすごい多いしという、わけのわからん学校だったから(笑)。

――いろんな人種がいるというか。

大塚 いやあ、大変だったよ。

――差し支えなければ、なんて高校だったんですか?

大塚 いや、それはあんまり言いたくない(笑)。

――差し支えあるんだ(笑)

大塚 差し支えあるというか、そこまで素性をバラすことに意味を感じないけど(笑)。

――じゃあ母校にも思い入れはない?

大塚 というか変な学校だったよね。(ひと学年)7クラスとかあったかな。

――まあまあ大きいですね。

大塚 で、ヤンキー率と偏差値高い率のバランスが半々ぐらいだったかなあ。

――それって要するにその地域に高校の選択肢があんまりないから、バカも賢い奴もだいたいそこに行くってことなんですか?

大塚 (地元に)ほかの高校もいくつかあるんだけど、本当に悪い奴しかいない学校もあったりとかするので、そういう意味で言えば変な学校だったね。変なバランスだったなと思うし。だって入学して、その場でいろんなところから俺の高校には来てたので、入学して1年のはじめとかってのは結構みんな荒れてたよね……。

――(笑)。クラスでは大塚さんはどういうグループに?

大塚 俺ね、親父の仕事の都合上、中学を3つ行っていて、ゆえにその俺が最後に所属をした中学から俺の通った学校に行った人がトータルで4名ぐらいしかいないんじゃないかな? すごい少ないんだわ。

――最後の中学時代から高校が恵庭だったということでいいんですか? そこでも引っ越ししてる?

大塚 してるしてる。

――過去に住んでいたところを順番で聞いたほうがいいのかな?

大塚 俺、最後の中学生活って1年間ぐらいね、恵庭からの電車通学だったんだよね。

――中学で。

大塚 うん。それは先生と話をして、高校入試前の1年前にほかの学校に行くのはあんまり……。

――先生的にはあんまり勧めないでしょうからね。

大塚 それで(引っ越しても転校はしないで遠方から)「電車通学してくれ」ということを言われて電車通学をしてたんだけど。で、当然電車通学をしてるような中学生ってあんまりいないじゃん。

――まあ、高校ならともかく。

大塚 だから中学の最後の年は電車通学してたんだよなあ。それはいま思い出した。

――でも北海道でさらに電車通学となると、登下校だけでもかなり大変そうなイメージありますけど。

大塚 当時はね、大変だったと思うけど。

――片道1時間とかで行けます?

大塚 まあ、1時間ぐらいはかかるけど。ただ当然定期を作らなきゃいけないというので、定期が往復で6千円ぐらいかかってたのかな? それで両親から定期代を毎月もらうじゃん。で……。

――……(その後の展開を予想した笑い)。

大塚 それで、『スーパーマリオ(ブラザーズ)3』を買って……。

――88年ぐらいですね。

大塚 で、あとはとりあえず毎日自転車で。

――まあ、中学生からすれば月6千円という結構な大金が。

大塚 それで買って、親には言わず、毎日自転車で30分、40分かけて。

――そんなのバレるじゃないですか!

大塚 バレてたバレてた(笑)。親は何も言わなかったけどバレてた。

――なぜか6千円ぐらいするものが家にあって(笑)。自転車は近所に隠してたんですか?

大塚 普通だったら自転車通学は学校の駐輪許可を取らなきゃいけないわけだ。ただそれも届け出を出せないから、隣にあるイトーヨーカドーかなんかの駐輪場があったんで、そこに停めてたけどね。そんなこともあって。


『今日から俺は!!』in 北海道

大塚 それで中学時代を終えて高校に行って、高校に行くときに中学からの知り合いがほとんどいないということと、あとは半分ガラが悪くて、半分頭のいい奴がいるというのは知っていたので「とりあえずこれは気合い入れて行かなきゃいけねえな」と思って……。

――すいません、いちおうヤンキー度数が全然ない僕のためにも、その辺で具体的に何をしたのかを説明してもらえると(笑)。

大塚 うちの親にもびっくりされたんだけど、俺はそのときに「とりあえずここでカッチン行かねえと自分のポジション築けねえな」ということでナメられるとアカンなと思って……いま考えるとわけがわかんないんだけど丸坊主にしたんだよね、俺(笑)。

――おおー。

大塚 丸坊主にして行ったらなんか圧倒的にビビられちゃって。

――その丸坊主も高校球児ぐらいの感じなのか。

大塚 いやあ、全然。本当に丸坊主。

――僕も大学時代に丸坊主にしたことあるけど、ビビられますよね。

大塚 まわりの人間たちが相当引いたらしいけどね。で、「どこのどいつなんだあいつは?」というのがさすがにヤンキーどもに広がってて、それで入り口はできたのかな。

――丸坊主は自分でバリカンでしたんですか?

大塚 いや、床屋行って「丸坊主にしてくれ」っつって。うちの親もびっくりしたけどね。「なんでアンタ丸坊主にしてるの?」って。

――校則が厳しいわけでもなんでもないのに(笑)。

大塚 うん。ただそこで気合いを入れていかないとというのでね。中学時代からね、悪さというか夜遊びもしてたし、時効だから言うけどタバコも吸ってたけど、さすがに一気に高校デビューじゃないけど「ビビらせないとこりゃやべえな」と思って。

――(笑)

大塚 その辺の体験はね、いまだに『クローズZERO』というか(笑)、そういう感覚が俺の原点にはなってるんだと思うんだけどね。

――結果的にナメられはされなかったかもしれないですけど、クラスメートと距離もできたみたいな感じなんですか?(笑)

大塚 えーっとね、クラスメイトたちはよくわからなかったんだと思うけど「誰だあいつは?」って言ってた。で、ほかのクラスにいるヤンキーどもはほかの中学から来てるから。

――派閥とかあるでしょうね。

大塚 で、ガチのヤンキーたちだったから、そういう奴らから「てめえ誰だよ?」という話はされて、こっちもビビってるわけにもいかねえから、そういうことでおたがい距離を感じていた矢先に、速攻で俺が授業中に数学教師にキレてしまったので。

――……はあ。

大塚 まあ、いま考えたら暴力沙汰なんだけどさ、それで一躍有名になってしまって(笑)。

――「あいつはキレさせるとヤバそうだ」みたいな?

大塚 「何やったんだあいつは?」っつって。

――それ数学教師にキレたのは本当に些細なことなんですか? それとも人間的に腹に据えかねてなのか。

大塚 いや、簡単な話だよ。すごい高圧的な数学教師だったんだけど、俺、当時からあんまり目がよくなかったんで、黒板がよく見えなかったんだよね。で、当時はメガネとかもしてなかったから。

――目つきが余計悪くなるわけですよね。

大塚 うん。で、なんか質問されたんでよ。で、「見えないからわかんねえんだよ」って言い方をしたら俺に絡んできたから頭に来ちゃって、その瞬間に教科書とかノートとかも全部その担任にぶん投げたんだわ。結構年配の人だったんだけど、それで頭に来て、授業を放置して、学校を出ちゃったんだよね。で、それが一気に噂になって「あのわけのわからん丸坊主が大変なことをした」って騒ぎになっちゃって。それからなんか一気にムードが変わったね。

――それは本人的にも「なんか学校行きづらいな」みたいな感じになったんですか?

大塚 いや、学校行きづらいというか勝手に出ちゃってるから、あとで担任の先生にも謝りに行ったし、数学の先生にも謝りに行かなきゃいけなかったけど。まあ、それ以上の騒ぎにはならなかったけど、生徒たち的にはやっぱり。

――怖い大塚くん、みたいな。

大塚 意味がわからなかったんじゃない?(笑)

――先生とうまくいかない子というのはいるかもしれないですけど、キレて先生が出て行くんじゃなくて、自主的に出ていく生徒はあんまりいないと思いますね。そのときに菊崎さんとかいたんですか?

大塚 いるよ(笑)。同じクラスだったから。(高校)1年のときにあいつと一緒だったんだよね。

――菊崎さんの反応は?

大塚 「頭のおかしい奴がいる」ってことしかないらしいよ(笑)。

――(笑)。菊崎さんは菊崎さんで、学生のタイプとしては?

大塚 真面目だよあいつ、学生のときは。真面目だったね。自宅が当時は天ぷら屋さんをやってたのかな?

――僕がアンダーセルに入社した2004年ぐらいに、菊崎さんの里帰りに同行して北海道旅行させてもらったときはもう天ぷら屋さんじゃなかったですね。

大塚 うん。家庭の事情もあってずいぶん環境は変わってるはずだけど。学校終わったあととか店の手伝いやってたしね、あいつ。だから学校生活で言えば真面目な子だったよ。頭もいい子だし。


『グランド・セフト・オート』in 北海道

――大塚さんの場合、中学高校とかでいいんですけど、家に帰るとお母さんやお兄さんお姉さんがいる感じ?

大塚 いや、お父さんもいるし、お母さんもいるし。ただ高校のときにうちの兄も姉も大学行ったりとかして実家を出ているので。

――実質ひとりっ子みたいな。

大塚 高校のときは完全にそうだったね。中学もかな。

――おいくつ違うんでしたっけ?

大塚 3つずつ違うんだけどさ。だから(中学や高校も重ならずに)スライドしていっちゃう。

――順番的にはお兄さん、お姉さん、大塚さん?

大塚 うん。俺は末っ子だからね。というような状態ではあったね。だから高校のときは完全にひとりっ子になってたね。それは間違いない。

――じゃあ「学校も面白いことないし、バイトするか」みたいな?

大塚 学校が面白くないわけじゃないんだよね。バイトが面白すぎたんだよね。お金になるし、年上の人たちにかわいがられてたというのもある。

――そういう人結構いますね。学校よりもバイトで大人の人とコミュニケーションしてたほうが、という人は。僕が全然別のインタビューで聞いた話だと、その人は珍しい本名で子供時代はクラスメートにそれをからかわれてたんですって。でもバイト先とかだったら「あ、珍しい名前だね」ぐらいで、子供っぽくそれをイジるということは普通はないわけじゃないですか。だから「大人たちに囲まれてたほうが全然気楽だった」みたいな話を。

大塚 ああ、それはまったく一緒だな。べつに名字とか名前という問題はないけれども、俺がバイトしてたファストフードというのはちゃんとしたフランチャイズなんだけど、ヤンキー上がりの社員が多くてさ、その人たち、いまだにじつは付き合いがあるんだけど。

――へえー。いいですね。

大塚 たまーに酔っ払って電話かけて来られたりとかする(笑)。俺も北海道に行くときはたまーに会ったりしてるんだけど。まあ、当時はみんなガラ悪くてね。

――バイト先の先輩は年齢的にはどのくらい上なんですか?

大塚 当時俺が16、17でしょ? で、すごい大人に感じてたけど、いま考えると先方は19歳ぐらいなんだよね。ただみんなやりたい放題ぐらいの時期だからさ。仕事はしっかりするし、縦社会で生きてるから教育もしっかりしてるんだけど、オフになった瞬間は、北海道だというのもあるけど、クルマがバカみたいにヤンキー車(しゃ)だからさ、『頭文字(イニシャル)D』みたいな世界だったからね(笑)。

――遠洋漁業の漁師とかと変わらないですよね(笑)。

大塚 変わんない変わんない。

――沖に出てるときはおたがい命かかってるから真面目にやるけど、それで稼いだらガンガン好きなことに使っちゃうみたいな。

大塚 (氷を冷蔵庫から取り出しつつ)そうなんだよねー。だから高校のときにあの先輩方にお会いしてたというのはひとつデカいかな。

――そうなると確かに同級生とか「べつにこいつらとわざわざ我慢して付き合わなくてもいいや」みたいな感じになりますよね。

大塚 (氷をグラスに入れつつ)それでもね、同級生といるのも楽しいし、付き合ってはいたけども。やっぱり教師殴った事件とか、バイト先の諸先輩方に育てられたというのはね。

――学校の部活じゃないところで縦社会的なのを学んでいくみたいな。

大塚 完全に縦社会を学んだのはバイトだよね。それまでは俺、ろくでもない人間だったから。

――バイトはずっとファストフード?

大塚 あとセブンイレブンだよね。朝働いてたときも先輩方にはかわいがってもらったし。それが自分の原点ではあるんじゃないかな。めちゃくちゃだったからね、俺もその頃は。

――そのめちゃくちゃを言える範囲で具体的に聞いていきたい気もするんですけど(笑)。

大塚 うーん。

――タバコの話も出ましたけど、バイクとか。

大塚 バイクは高校に入ってすぐぐらいかな? 一回ノーヘルで夜中に走り回って、警察にパトカーで追いかけられて、逃げ切ろうと思ったら砂利道に入っちゃって、転倒してしまって(笑)。

――『GTA』(『グランド・セフト・オート』)じゃないんですから(笑)。

大塚 というのがひとつあって。そういうのはあったよ、普通に。

――オタク業界でそういうヤンキー的な武勇伝が普通にあった人って、僕の知る限りでは板野一郎(アニメーター)さんぐらいしか知らないですけど(笑)。

大塚 うーん(笑)。

――板野さんは確か工業高校かどっかで男友達連中とバイク乗り回して、みたいな。

大塚 そうだね。そういうのが一個一個積み重なっていたんで、多少は自分の居場所ができたというか、変なヤンキーに絡まれたりはしなかったけど、ただ同級生の連中たちは現役(ヤンキー)感がすごかったんで、学校の近くの駅とかで他校の連中と喧嘩になって、トイレの手洗い場が血まみれになったりとか、そういうのは見かけてたけどね。俺はそこまでやってないけど(笑)、そういうのは見かけたなあ。そういう経験はいまにも根付いてるというか。

――それに比べれば学生とかいまの若い人たちは喧嘩しなくなりましたね。SNSでは喧嘩してるのかもしれないですけど。

大塚 いや、だって具体的に言えばさ、相手の頭をつかんで顔面を洗面台にバーンと叩きつけたらさ、そりゃ鼻も割れるよ(笑)。

――ターミネーターだったら便器なり洗面台のほうが割れますけども(笑)、普通の人は歯のほうが折れますからね。

大塚 そういう高校生活を送っていたのは事実だね。

――すごいなあ。僕が生まれ育ったのは三重県鈴鹿市ってところで、ホンダの工場や鈴鹿サーキットもあるんでバイク文化はあるっちゃあるんですけど、全然ヤンキーと遠いところにいた田舎の学生だったんで。だから尾崎(豊)とかもピンと来ないんです。

大塚 わかるよ。俺も静岡の富士スピードウェイの近くに長くいたからわかるけど、(バイクと言っても)スポーツ感のほうが強いよね。ヤンキー感ではないからさ。

――家でゲームしたり、部活したりで十分気が済んでる感じというか。

大塚 当時は表向きはそういうガラの悪いことをしながら、家に帰るとオタク的なことをして。で、誰かが家に来るっつったらそのオタク的なものを全部反転させて片付けて、みたいな生活で。

――時代がそうですからねえ。

大塚 という時代ではあったし、それを体現したというのはあるね。いまでもその体験はデカいんじゃないかな。話が最近のことになるけど、そういうことってずっと長らくしてなかったけど、さすがにICUに入って死亡宣告3回受けて、奇跡的に生き延びた人間としてはさ、退院したあとどこかでタガが外れたんだろうね、言っていいのかわかんないけど、ガラの悪い奴とかぶん殴ったりしてたからね。

――前回ちょっと話に出ましたけど(笑)。「そういうことをしてた」って過去形で言うんで、もっと若いときの話かなと一瞬時系列がわからなくなってたんですけど、数ヶ月前の話なんですよね?

大塚 数ヶ月前の話だから(笑)。で、いまはもう意識が回復してるんでしないけどさ。

――だんだん理性が戻ってきたわけで。

大塚 殴るとかというのはね、おたがいダメージが大きいんでね。

――僕も40になったんで……。

大塚 野口、40になったの!?

――もう40ですよ。で、40になって思うのは歳を取るのって結局は筋肉の緊張と弛緩がいろんなパーツでできなくなっていく結果なんだなと思って。記憶や集中力もそうですし、ちんちんが立つの立たないのもそうですし。理性も脳のカオスな状態をギュッとブロックしてるのは、直接的な筋力じゃないにせよ、神経がきちっとセーブをかけられるんでしょうけど、そこがだんだん緩くなってきてるわけですよね。

大塚 転倒がデカいよね。意識戻して、歯止めが利かなくなったというかストレスを溜めてしまっていたのもあるんだろうけど、まあ、よう喧嘩してたな。いまはもうないけど。そういうときに自分のルーツというか。

――そういや昔も喧嘩っぱやかった、みたいな。

大塚 のは出てきちゃったんで、それは拭い難くあるなと思って。面白いもんだなと思った。

――ははは(笑)。

大塚 なんか毎晩ずーっと『仁義なき戦い』とか『クローズZERO』とか見て奮い立たせてる自分がいて「何をやってたんだろう俺?」みたいな(笑)。

――それ、数ヶ月前の話でしょ?(笑)

大塚 数ヶ月前だね。でもまあ、早いもんでね。いろんなフラストレーションが溜まってたんでしょ。

――まあまあまあまあ。一時的にじゃあ本能の歯止めが利かない10代に先祖返りしてた感じだったんですか。

大塚 という感じはあるよね。そこからの再スタートだなっていま思ってるし。いまはべつに何かあっても人に殴りかかったりはしないけど、退院直後とかは腹立つことあったら、すぐに襟(えり)ぐりつかんで殴りかかってたからなあ。それはオタク的なことをさ、マンガだったりゲームだったりアニメだったり、音楽でもなんでもいいし、そういうものとはまた違うルーツとして一個あるんじゃない? 原体験としては。

――そういうところをサバイブしてた時期が確かに昔あったという。


オタクとヤンキーの狭間で

大塚 いまでも思うけど、ほかのライターの人の文章を読んだりしてても、オタク的な知識なりサブカルチャー的な知識はみなさんお持ちだし、それによって評論家的な仕事をされてるのはわかるんだけど「俺はやっぱり原体験が違うんだなあ」というのは感じるよね。

――大塚さんの文章にはストリート感が紛れもなくありますよね。ほかの人は机の前だったり、自分の頭の中の世界だったり、書いてる風景はその人の仕事場や書斎ぐらいしかなかったりするんですけど、本当に路上の文学というか。

大塚 だって俺、いまでも意味わかんないし、時々酔っ払ったときに人に話してゲラゲラ笑われるんだけど、高校のときの俺の格好ってボンタン(幅の広い変形学生ズボン)で短ラン(丈の短い変形学生服)で、しかも上半身裸でさあ。

――(笑)

大塚 裸にサスペンダーでボンタン支えるっていうわけわからん格好で(笑)。

――まあ、一歩間違えたら『爆れつハンター』ですから(笑)。

大塚 のちに『爆れつハンター』のキャラを見たときに「これ俺じゃん!」みたいな(笑)。

――しかもあっちはセクシーな女性キャラで、もともとは『愛の嵐』(のシャーロット・ランプリング)からでしたっけ? そういう映画が元ネタだからちゃんとあの裸サスペンダーに意味があるんだけど。

大塚 北海道の人間がそんな格好するべきじゃないじゃん。それが自分の美学であって、そんなことやってる奴はほかにいなかったから、ある種の変態行為だよね(笑)。

――単純に北海道だったら寒いと思うんですけど(笑)。

大塚 そう思うんだけどね。ずーっとそれが自分のスタイルだったんだよなあ。いまでも意味わからん。

――もう『(天元突破)グレンラガン』のカミナみたいなもんでしょ?

大塚 うん、そう(笑)。だから『グレンラガン』の(シリーズ構成の)中島かずきさん、あの人も編集者だったけど、もともとは九州のガラの悪いところにいらしたみたいで、話してても「ヤンキー癖あるなこの人」って(笑)。劇団☆新感線とかだからね、しょうがないんだけどね。なんかそういうノリはあるね。

――うん(笑)。「戦って生き残った奴が一番偉い」みたいな修羅の風景というか。

大塚 そうねえ。

――大塚さん、中島かずきさんには『グレンラガン』の本のときに取材されてたと思いますけど、何回か飲んだりとかあったんですか?

大塚 かずきさん、ほとんど酒は飲まない人だから。ただ俺は『グレンラガン』のムックを2冊作ってるんで、そのときの取材でお会いしてご飯を食べたりとかはしてるけど。まあ、それ以後のお付き合いはないんだけど。

――でもそういう大塚さんのオタクとヤンキーのハイブリッドみたいな感覚は学生時代の当時からだったんですね。

大塚 それはあるね。いまでもあるんだろうな。いまでもあるよね、やっぱなあ。

――大塚さんが確か『CONTINUE』(鼎談コラム「玄関以外はできている」)で言ってた高校ぐらいのエピソードで、『ファイブスター(物語)』の映画の試写が札幌であって、それを彼女と見に行こうとして……?

大塚 いや、彼女に隠して。試写に当たっちゃったんで……。

――ハガキで応募した結果(笑)。

大塚 で、隠して行って、見終えて知らんぷりしたというね。

――じゃあ「ちょっと札幌まで行ってくる」もべつに言わず?

大塚 一緒に札幌に行ったのかなあ? 当時俺、高校時代ほとんどの人というか、オタクだって知ってたのは菊崎ぐらいじゃないかなあ。それ以外の人間にオタクであることはバラしてないから、彼女に対してもただのガラの悪い男でしかなかったんで。だから『ファイブスター~』の試写に行くこととかって、べつにわざわざ話したりもしてないし。

――「ちょっと野暮用に」ぐらいの感じ?

大塚 で、当時はさあ、いまと違って……。

――宮崎勤の事件(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)があって、それから『エヴァ』(『新世紀エヴァンゲリオン』)までの間って感じですもんね。

大塚 うん。あと映画って俺の子供の頃からその頃もだけど、2作品同時上映なんだよね。で、『ファイブスター物語』の場合は『宇宙皇子(うつのみこ)』という映画と併映だったんで。

――ああ。

大塚 「試写で『宇宙皇子』もやるのかな?」と思ってたら『ファイブスター~』だけで、舞台挨拶もなしというさ。で、「なんだこれ」と思って。

――イベント的な感じじゃなくて、純然たる試写。

大塚 それを見たっていうことだよね。

――ほかにその当時、オタク活動的に覚えてることとか、当時お気に入りだった作品みたいなのって?

大塚 プラモデルが好きになっちゃってたから。しかもスケールモデル(車や兵器など実在するものの模型)じゃなくて、キャラクターモデルのほうが好きだったというのがあるから、プラモデルに関してはアクティブだったよ。

――じゃあガンプラ買って、改造したりして。

大塚 うん。めちゃくちゃそれに。転勤族だったから友達がなかなかできづらいということを両親が心配したんだと思うけど、そういうことに関してお金をかけることにNGはなかったから。とにかくプラモデルを買いまくって、プラモデルを作って遊んで、みたいな状況ではあったんだよね。ただそういうのを表には出さなかった。

――アニメとかマンガとかゲームよりプラモの比率が多かったんです?

大塚 キャラクターモデルはどうしてもアニメが原作になっちゃうんで、並行してアニメという感じではあったけど。ただ高校に入ったぐらいからアルバイトが楽しくなったりとか、ガラの悪い生活をしてたというのがある。その辺からパーセンテージは変わったのかもしれないね。

――さっきちらっと出たガールフレンドの方はバイトで知り合ったんですか? あるいはヤンキーのところで知り合ったのか。

大塚 あ、後者後者。当時ね、ほかのクラスに、中学の他校出身でブイブイ言わせてたガラの悪い男がいて、それの彼女だったんだけど……。

――……。

大塚 それを寝取ったという(笑)。

――なんでそこも『GTA』みたいなんですか(笑)。

大塚 とにかくオタクであることがバレると、このままだと居づらいなと思ってたんだよね。

――なんかでバランスを取らないと。

大塚 「ヤバい!」と思って、そういうことに関して早々に手を染めたほうがいいなと思って。

――いろんなものはもう済ませてしまおう、みたいな。

大塚 うん。という感じがあったなあ、当時は。

――僕はいまなんか中森明菜の歌の世界に出てくるような情景しか頭に浮かんでこないんですけど(笑)。

大塚 まあ、田舎のヤンキーだからね。で、田舎のヤンキーで居場所を作ろうとするとやらなきゃいけないことが結構重なってて。

――でも群れてもないわけでしょ?

大塚 群れてはないね。群れてはなかった。

――身の危険的には大丈夫だったんですか? それとも大丈夫じゃない?

大塚 いや、学校の先生に喧嘩を売った件もふくめていちおう名が売れているから、みんなちょっとある程度の距離を取ってくれたので、喧嘩沙汰にはならなかったな。

――下校途中に取り囲まれて、みたいなベタなこともべつになかったんですか?

大塚 ないね。要するに単純に意味がわからなかったんでしょ、俺のことに対して。「あれ何なの?」みたいな。

――「あいつはほっとけ」みたいな? まあ、「何か直接してくるわけでもなさそうだからそっとしておこう」みたいな。

大塚 という感じではあったのかな。

――でも彼女取られた側のヤンキーが怒ってきたりとかもなく?

大塚 うーん、ないね。なかった。なんかおかしなバランスのなかで生きてたんだろうね。

――無事なのはいいですけど。

大塚 なんかそういう時期だったなあ、高校のときは。

(#06につづく)

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