遠距離恋愛的お部屋探し 前編

昨年の12月。正式に夫の転職が決まり、北海道から東京への引っ越しがマジのマジになった。引っ越しを3月上旬と決め、さっそく部屋探しをはじめた。東京に住んでいる小中の同級生が、不動産会社に勤めている友達を紹介してくれたので、その人にお願いすることになった。

希望の条件を伝えるわけだが、その条件を決めるのでさえ大変だ。東京は広い。いや北海道の方がもちろん土地は広いが、例えば札幌なら3つの地下鉄の路線、もしくはJRの駅の中から選べばいいところを、東京はあのタコ足配線みたいに膨大に絡み合った交通網の中から選ばなければならない、というか、選べる。選べてしまう。たぶんどの駅に住んでも、そこまで不便はしないのだ。電車を乗り換えていけば、どこにでも行ける。そういう意味で、広い。

あとは家賃だが、生活費などどれくらいになるのか、実際に生活してみないとわからないので、とりあえずできるだけ安く抑えたいところである。東京は家賃が高い。エジソンはえらい人、くらいにそんなの常識である。とりあえずピーヒャラピーヒャラ言いながら、「こんくらいであってほしい」という希望、というか願望を部屋探しアプリの家賃設定にぶつけたところ、あんなにも広かった東京が急にこじんまりとした。パッパパラリラ踊っている場合ではない。

ネックは間取りである。田舎の広々2LDKに暮らしていた我々夫婦の家財道具はおそらく普通の二人暮らし家庭全国平均より膨大であり、一部屋は寝室、もう一部屋を書斎として使用、その書斎にはそれぞれのデスクとそれぞれの本棚(でかい)という贅沢な使いっぷり、さらに夫は転職にあたり今まで職場に置きっぱなしにできていた大量の書籍(図鑑とかそういうやつ、でかい)を今後は自宅に置く必要があると言い出し、それはすなわち本棚をもう一つ増やさなければならないことを意味していた。というわけで、2LDKは必須条件。しかし、2LDKは総じて家賃が高くなる。

とにかく自分たちだけで悩んでも仕方がないので、友達の友達に希望の条件を伝えてみる。この家賃でこの条件希望とか馬鹿かよ田舎モンがプププと思われないだろうか、という心配が頭をよぎらないこともなかったが、きっとこの世にはもっと無茶苦茶な条件、例えば家賃3万以下でタワマン最上階庭付き希望みたいな輩もいるはずだと、架空のインチキおじさんをおなべの中からボワっと登場させることにより私などまだ可愛い方に違いないと面の皮を分厚く保った。

友達の友達はすぐに条件に合う物件情報を送ってくれた。それなりに数はあった。リノベーションされていれば築年数が古くても可としたものの、やはり写真で見た段階ですでに古さが目立つ物件も多く、また写真で綺麗に見えても、こればかりは実際に見てみないとわからないなと思った。

それらの中で、夫が「ここいいじゃん!」と注目した部屋があった。駅から17分と少し離れており築年数はかなり古いが、リノベーションされたばかりで間取りは2LDK、その他の条件もクリアしている。そして何より注目すべき点は、すぐ近くにコメダがあることである。

我々の暮らしていた田舎にはカフェがなかった。二人とも書き物をするが、家では集中できず外で書きたい日もある。そんなとき、我々は片道30分弱かけて山を越え、隣町のファミレスまで車を走らせた。もっと近くにカフェとかあったらな……と、いつも話していた。書き物をしにふらっとカフェに行ける、それこそが我々の思う最強の都会だった。

その中でも、コメダは特別に素晴らしい。私は結婚するまで札幌に住んでいたが、生活圏内にコメダがなかったのでほとんど行ったことがなかった。モーニングが無料で食べられるらしい、という噂だけ聞いていた。コメダが近くにある、それだけで充実した生活が送れそうだ。

この第一候補の部屋をダイイチ・コーポと呼ぶことにしよう。夫はダイイチ・コーポをすっかり気に入り、もうここに決めようとまで言い出した。だが、1月の後半に部屋探しのため東京に行く飛行機をとってあったので、決めるのはそのとき実際に見てからにしたかった。引越しシーズンなので、それまでにダイイチ・コーポが埋まってしまう可能性は大いにあるし、実際見てみたら想像と全然違うという可能性もあるので、私は今の時点でダイイチ・コーポにやたら入れ込むのは危険、他の物件も広く検討すべきだと思った。

しかしながら、その後も自分たちで調べたり、定期的に不動産屋から情報が送られてきたりしたが、ここだと思える部屋にはなかなか出会えなかった。そうなると私の中でもダイイチ・コーポの存在は自然と大きくなる。ダイイチ・コーポの周りにはどんなスーパーがあるのか、居酒屋はあるのか、駅まではどんな道のりか。調べれば調べるほど、知れば知るほど、ダイイチ・コーポで暮らす自分たちを想像し、もうダイイチ・コーポに決めたような気持ちになっていった。夫に至ってはダイイチ・コーポの話をする際、「俺らの家の近くにさ〜」などともう俺らの家呼ばわりであった。

部屋探しで東京に行く日を一週間後に控えた1月の半ば頃、いつものように部屋探しアプリのブックマーク一覧をチェックしていたとき、異変に気付いた。ダイイチ・コーポの情報が消えていたのだ。緊急事態である。すぐに夫に知らせた。
「大変だ!ダイイチがなくなってる!」
「そんな、俺たちのダイイチが……。」
念の為、友達の友達に連絡して状況を確認してもらうと、やはり他の人が契約に至ったとのことであった。

ダイイチを奪われ、我々は喪失感に打ちひしがれた。しかし、どうしても諦めきれなかった。まるで呼びかけるが如く、ダイイチの名を検索バーに打ち込んだ。実は、ダイイチ・コーポにはもう一部屋、空いている部屋があった。存在は知っていたが、その部屋は1LDKだったので、2LDKを条件に探していた我々は候補から外していたのだ。

ダイイチにはコメダ以外にもう一つ、ストロングポイントがあった。それは、総面積がやたら広いことである。当初、私は2LDKでさえあればどうにかなると思っていたのだが、他の候補物件は2LDKではあってもそれぞれの部屋がかなりこじんまりとしており、書斎にデスク2台と本棚3台を置くのはかなり厳しいように見えた。その点、ダイイチは総面積が現在住んでいる部屋とほぼ同じくらいで、これならどうにかいけそうだという見立てがあった。で、そのもう一つ空いていた1LDKの部屋というのが、2LDKと総面積は全く同じで、部屋との壁をぶち打ち抜いてリビングを広くしてある1LDKだったのだ。

それに気付いた夫が、「リビングを自分たちで仕切って、書斎スペースを作ればいいのではないか」という案を出した。私は最初そんなことをしたらなんかゴチャゴチャになりそうだから嫌だと言ったのだが、考えてみると、そうすることのメリットもあると気付いた。

例えば、2LDKでは書斎にしたかった部屋の床が畳なのが気がかりとしてあったのだが、1LDKはリビングぶち抜きで床がフローリングになっている点。また、エアコンがリビングに一台しかなく、2LDKで完全に部屋が分かれていると夏は書斎にいられないくらい暑いのではないかと懸念していたのが、ぶち抜きになっているなら仕切りをつくったとしてもエアコンの風が通るだろうという点。さらに、2LDKの収納は押し入れが2つだったのに対し、1LDKの方は押し入れが一つで、もう一つがクローゼットになっている点。さらにさらに、2LDKはキッチンが壁付けなのに対し、1LDKの方は対面型になっている点。

これ、1LDKの方が良くね?

さっそく、例の友達の友達に、来週東京に行ったらダイイチ・コーポの1LDKを内見したい旨を伝えた。

我々は名案を思いついた自分たちを讃え、祝杯をあげた。一時はどうなることかと思ったが、やはりダイイチ・コーポは運命の部屋だった。こうなることがはじめから決まっていたのだ。来週、会える。ダイイチ・コーポについに会えるのだ。

友達の友達から返事が来た。

「申し訳ありません。ダイイチ・コーポの1LDKなのですが、今の住人が2月頭まで入居しているので、来週はまだ内見できません。」

我々は白目を剥き、額には縦線が入った。まる子がショックを受けた時の「ほげ〜ん」という気の抜けた音声がどこからか聞こえた気がした。


後半へ〜続く。


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